面影

文字数 1,564文字

 婚約者を連れて、帰郷しようと思ったゴールデンウィーク直前。家族から「今はちょっと帰ってこないでほしい」と言われた。原因はばあちゃんの認知症だ。認知症と言っても、普段の生活に問題はない。ある一点を除いては。
 スマホに送った俺と彼女……伊織の写真。ばあちゃんにそれを見せたら、ばあちゃんは俺のことを『じいちゃんだ!』と言い出したらしい。じいちゃんが自分以外の女と一緒にいる写真を見て、ぽろぽろと涙をこぼしたという。
 俺の今の姿は、じいちゃんの若い頃に面影があるようだ。じいちゃんが亡くなって数年。気丈だったばあちゃんだが、とうとう。
 今俺が、伊織を連れて実家に帰ったら、きっとばあちゃんはショックを受けるだろう。そういう判断から、帰郷を待ってくれと頼まれたのだ。
 帰郷を待ったところで、ばあちゃんの認知症が治るというわけじゃなし。だからと言って、ショックを与えるような真似は、孫としてもしたくはない。
 伊織にそのことを話すと、少しショックを受けたような表情を浮かべた。
「そう……理人のことをおじいさんと思っちゃうんだ」
「俺がじいちゃんじゃないってわかれば問題ないんだけどな。多分、亡くなったショックが今更襲ってきたんだと思う。じいちゃんとばあちゃんはおしどり夫婦だったからな」
 伊織に淹れてもらったコーヒーを口にしながら、じいちゃんとばあちゃんのことを思い出す。
 出会いは確か、『合同ハイキング』とか言っていたっけ。学生だったふたりは、山で出会った。最初に恋に落ちたのは、じいちゃんのほう。一人暮らしを始めたばかりのじいちゃんだったけど、ばあちゃんは実家暮らしで。電話するにもいちいち一苦労していたという話を聞いている。今みたいにひとり一台スマホがある時代じゃなかったからな。
 それと手紙。電話代はバカにならなかったから、じいちゃんは毎日ばあちゃんに手紙を出したという。今もばあちゃんはその手紙を大事に取っておいている。その数、100通はあるとか。
 小さいときに一度、じいちゃんの手紙をばあちゃんに見せてもらったことがあった。ばあちゃんは「私の宝物なのよ」と言って、微笑んでいたことを忘れない。
 そのばあちゃんが、じいちゃんと俺を混同してしまうなんて。
「それだけ寂しいってことなんだろうな」
 つぶやくと、伊織が隣に座って身を寄せてきた。
「ねぇねぇ、おばあさんとおじいさんは、結婚後どんな感じだったの?」
「じいちゃんは学者だったからな。学会の関係で世界中を一緒に飛び回ってたんだ。ともかく旅行が好きでさ。趣味でも船で世界一周してたっけな」
「ふうん、なんかいいね。そんな夫婦」
「ああ、俺の憧れだよ」
「私の憧れにもなった」
「そうか」
 伊織はそうやって俺に笑いかける。その微笑みは、どことなくばあちゃんに似ている気がして……。はは、俺もばあちゃんのこと、悪く言えないな。
 伊織と一緒にじいちゃんやばあちゃんみたいなおしどり夫婦になりたい。そして、幸せな家庭を築きたい。でも、その前に。
「俺、ばあちゃんにどうしても伊織のこと紹介したい。大好きだからさ」
「私も、会ってみたい」
 きっと、会いに行くことでばあちゃんがショックを受けることは間違いないだろう。だけどね、ばあちゃん。俺はじいちゃんじゃないんだ。あなたの愛する人は、宇宙にたったひとりだけだろう? 
 スマホを手に取ると、俺は実家へメッセージを打つ。
『やっぱりゴールデンウィークは、伊織を連れて帰ります』
 ばあちゃんに会ったら、もう一度じいちゃんの手紙を読んでもらおう。じいちゃんは、ばあちゃんのことを今でもきっと愛している。たとえ、肉体がこの世から滅んでも。伊織と一緒に三人でじいちゃんの手紙を読めば、きっと一瞬だけでも思い出してくれる。
 そんな淡い期待を込めて、送信ボタンを押した。
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