第10話 嘆いて

文字数 2,344文字

 ペンギンの悲鳴がつんざく。

 心割れた鳴き声……。

 外の嵐に、ペンギンは飛び出した。

 岩に叫ぶ。

「やだ、ヤダ、嫌だよ! 認めたくない終わりたくない! 嘆きたくない! 取り返しがつかないなんて! あの声が二度と聴こえないなんて! 護れなかったなんて! こんな世界、嫌、なんで、こんな、私のせい、私があんな、いや、いや、やだ、嘆くのは、泣き叫ぶのは――」

 現実から逃げようと、ペンギンは闇雲に走る。崩れた岩場を直進する。失意が自殺を誘発するその前に、ミースが動いた。よちよち歩きに追いつくのは、簡単なことだった。ミースは後ろからペンギンを抱きかかえる。優しく抱きしめる。目を閉じて頬を寄せる。翼や水かきを暴れさせるペンギンを、無償の愛で包む。

 そのすべてを赦すように。
 そのすべてを分かち合うように。

 少年と乙女が、ミースに続く。ミースの左右に座り込み、ペンギンを包む愛の毛布の二層、三層となる。

「いや、どうして、ごめん、ごめんね、私、私何も、何も、」

 懺悔の声が風雨に混じり出す。

 嵐が強まっていく。

 ペンギン復活隊の四名は、過去はけして覆らないという絶望を前に、互いに身を寄せ合い、純真無垢の心で嘆いた。ついに確定したペンギンの絶滅を、きっとこの世の人間の誰よりも激しく、痛み嘆き悲しんだ。

 僕は戸の横に立ち、復活隊を見守る。

 求めた結果を目の当たりにする。

 最後まで部外者だった自分が恥ずかしかった。悪役を演ずることでしか、尽くせない自分が憎かった。ひそかにほっとする自分が情けなかった。

 暗雲を見上げる。

 吹き荒ぶ風にいくら連れ去られても、晴れ間が覗くことはけしてなかった。

 ※※※

 夕方、エーレ国の首都・タラの人間たちは、集団幻覚に見舞われた。

 道向こうから、長い行列が現れる。ブルネットの女性達が喪服に身を包み、涙に明け暮れながら先導する。靴づくりの小人、給仕係の小人、愚鈍な鬼は一様に伏し目がちで、歩き方もぎこちない。藁の灯が暗い炎で整列し、有翼の大蛇と三首の番犬が、さみしそうに首を垂れていた。

 広げた布の端を掴むのは、三羽の黒白の水鳥だ。二足歩行で、水かきでぺたぺたと歩く。嘴は下がりがちだった。毛並みは乱れ、時折、悲嘆に暮れる声がした。布の上に横たわるのもまた、他三羽とは多少異なる、黒白の水鳥だ。

 目は開かず、翼が腹で交差する。
 季節の花が散っている。
 身動ぎ一つしない。

 その行列は、ペンギンの葬列だった。

 人間たちは言葉を失い、葬列の対岸で立ち止まる。ペンギンの後ろを、美男美女のフィドル隊、蝶の翅を生やした小人達のコーラス隊が続いていた。もの悲しい音楽が町に響き、人間たちもつられて泣いていく。

 行列は町の外へ、ゆっくり進む。

 嘆きを集めて。
 ペンギンを悼んで。

 僕はその様を、一人遠く、眺めることしか出来なかった。

 身勝手に、願う。

 忘れないで。たまにでいいから、思い出して。この国にペンギンがいたこと、無垢な彼らが人間をきっと信じていたこと。その信頼を裏切ってしまったこと。力の限り泣いて、心の奥底から泣いて。いまこの瞬間だけは、ペンギンを思ってすべてをさらけ出して。

 ペンギンの分まで幸せに、同じ過ちを繰り返さないと誓って。

 二度とペンギンの為に行動できない僕たち生者が、ペンギンの為と偽って出来ることは、他に何もないんだ。

 その絶滅を生かして。
 忘れないで。
 嘆いて。

 その本物の嘆きが、いつかきっと、誰かを護る力になるから。

 葬列は夕暮れを背負って進んでいく。人間たちは追いかけることができない。埋葬の瞬間だけは、最後までペンギンの友達だった彼らの特権だ。犯しがたい聖域だ。その背を見送り、矛盾した涙を流すことしかできない。

 残光が消えるその時まで。

 葬列は去り、太陽は沈み、僕らはまた日常に戻っていった。

 ペンギンのいない日常に。

 ※※※

 ペンギン復活隊は最後の役目を終え、解散の運びとなった。

 ペラ子は進学を選ばなかった。まず父親を向き合うことにした。共に嘆いた思いを無駄にしない為に、戦い続けることを選んだ。

 コガタんは人間を選ばなかった。生き残ったかもしれない家族を捜すことを、拒絶した。受けた恩を返す為に、ペンギンを選んだ。

 ペンギンは復活を諦めなかった。

「南に行くよ。ペンギンに似た生き物がいるって、噂で聞いたの。今度こそ護ってみせる。嘆いた時間を恥じない。声を無視した罪を贖い続ける。魔力が溜まったら、また復活も試みる……今度こそ、身勝手と糾弾されない形でね」

 表情は吹っ切れていた。
 旅立ちは、あっという間だった。

 雪が降り止まない異界の大広間で、ミースが僕にそう伝えてくれた。

「君にもよろしくだって」
「よろしくて、次会う時ははたくとか?」
「うん、そんな感じ」

 それは、痛いの、我慢しなくちゃな。

 給仕係の小人がかき氷を用意する。しゃきしゃきで、熱々だ。幻想的な味に感嘆したのは、ミースだけではない。黒妖犬も異界水鳥も半魚半人もそうだ。早速奪い合いが発生し、それぞれ自分の剛力を見せつける。

 それが嬉しくてつらかった。

 絶滅は実在する。文化は実際に死ぬ。善き隣人も、この景色も、いずれ消えゆく定めなのかもしれない。誰かが足掻かなければ、突如吹き荒れた不条理の嵐に――すべて、かっさらわれてしまうのかもしれない。

「どうかしたの? 冷めちゃうよ?」
「溶けちゃうじゃないの?」

 僕は笑った。

 ミースの呑気な顔だって……。

 ペンギンと同じ後悔はしない。したくない。それが、ペンギンの絶滅に嘆いた僕が、為し得る唯一のことだ。

 かき氷をふくむ。
 ぬくい。

 大事なものがいまここに存在するのは、奇跡を積み重ねた歴史の末端が故と、思い知らされたのだから。
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