第7話 呪われていたのは
文字数 1,747文字
不吉な風が流れる。獣たちの臭いが舞い上がる。爪と鋼鉄が交差し、摩擦音がかん高く鳴り響いた。火花散りて、エメラルドグリーンの瞳が瞬く。血飛沫、床打つ水音。誰かの得物が床に落ち、からからと音を立てる。
光は見えない。記憶を便りに、手探りで進む。暗闇猫は僕に興味がない。
「とめないの? お兄さん、死んじゃうよ?」
回答は不安に揺れていた。
「とめられないよ。団長は強いもの」
「わたしなら、全員屠れる。猫姫が願うなら、もふもふ三回でいいよ。大特価だよ」
「人姫ちゃん……でも……」
「わたしが知りたいのは、猫姫の本物、本当の気持ちだけ」
少女は勇ましく語った。
「どんな選択でも、わたしは受け入れるから」
握る。猫毛じゃない。上質な絹の感触。むにむに、もみもみ? 手のひらにすっぽりと収まる体の部位。ぬくい。硬くない。ざらついてる? 位置的に、二の腕か肩か?
「硬い五本指、猫じゃないね」
「猫じゃないからね」
「猫姫の位置、覚えてたんだ。とりあえず離れ――」
前に前にと焦り過ぎたようだ。足が絡み合い、僕とミースは重なるように倒れる。猫姫、ミース、僕のミルフィーユとなる。僕の顔は猫毛に埋もれ、横を向けば唇がミースの耳に触れた。互いの胸がかち合い、心臓が共鳴している。
僕は体を起こし、闇を見つめる。
「こっちだよ」
ミースが僕の右手を取り、指と指を絡めた。
「これでもう迷わない」
断続的に明るくなる。真っ直ぐしか見ないミースの目が、洞窟内が光るたび、僕の目に飛び込んできた。きらり、きらり。瞳は不動だった。言葉では折れない、騙すなんて以ての外だ。同じ星を見上げていると、自覚させる他ない。
「呪宝クレセント」
僕はミースの手を握り返す。
「独り歩きの使命は、その破壊にある」
暗闇猫の先祖は、捕食者から逃げていた。安全なねぐらを求めて、呪宝に手を出した。得られたのは、絶対不可侵の洞窟と無限の広がり。代償は光と生命力。年月を経て、捕食者は去り、呪宝の力は弱まっていく。頼る理由は消えていた。彫り込まれた依存心を排し、奪われた自信と力を取り戻せば、暗闇猫はまた独りで歩ける。
グリマルキンはその思いを独り歩きに託した。
「君も知っていたはずでしょ?」
声を張る。ミースが僕の手を握り潰さんと、拳を固めた。弱い。普通の女の子の握力だ。
「なんだ。つまんない」
「これもある意味、君への説得なんだけどね」
「あっそ」
僕はもう一度尋ねる。
「知っていたのでしょう? 猫姫様」
息を殺して置物と化していた姫が、脈動を始めた。
「独り歩きは呪いに打ち勝ちました。呪宝を壊す唯一の力、光を携えて帰ってきました。あとは破壊するだけです。お父様の代からの悲願なのでしょう? それをどうして猫姫様が拒絶するのですか?」
「……」
「王国なら、再建すればいい。闇の洞窟から飛び出して、呪宝に依存せず、暗闇猫なんて陰気な名前じゃなくて。光の国の気高きカットシーとして、新たに国を興せばいい。その横に、独り歩きが立つことだってありますよ」
返事が遅い。誰か巨大な暗闇猫が倒れ、大地が轟く。動線上で鋼鉄の鎧がぶつかり、がんがん鳴る。
「怖いの」
姫の声は、ぼそぼそして聞き取りづらかった。
「私は、本当は、兄様に出て行って欲しくなかった。呪われたままでも、正しくなくとも、楽しければそれで良かった。兄様と父様と、みんながいれば……このまま、何も変わらないまま、歪な幸福だとしても……」
「それが、猫姫様の本心ですか?」
「だって、だって、しょうがないよ。強くなれないよ。変化は、いやだよ。呪われているから弱いんじゃない。弱いから、呪われているの。兄様みたいに、光の国で……、新しい世界に踏み出して、独りで歩く勇気なんてないもの」
僕はざっと言う。
「独り歩きも大概ですよ」
「え、え?」
「大型犬に驚いて道を譲りますし、残飯を漁る家は十箇所以上確保しています。町のボス猫には素直に頭を下げますし、鼠取りに失敗して凹むなんてしょっちゅうです。光の国の独り歩きなんて、そんな大層なものじゃない。かっこよくないし、強いわけでもない。助けられていないわけじゃないし、孤独でもない。
なにせ、ほら、僕もここにいますし」
姫が顔を上げる。コバルトブルーの目が開く。
僕は教えてあげた。
光は見えない。記憶を便りに、手探りで進む。暗闇猫は僕に興味がない。
「とめないの? お兄さん、死んじゃうよ?」
回答は不安に揺れていた。
「とめられないよ。団長は強いもの」
「わたしなら、全員屠れる。猫姫が願うなら、もふもふ三回でいいよ。大特価だよ」
「人姫ちゃん……でも……」
「わたしが知りたいのは、猫姫の本物、本当の気持ちだけ」
少女は勇ましく語った。
「どんな選択でも、わたしは受け入れるから」
握る。猫毛じゃない。上質な絹の感触。むにむに、もみもみ? 手のひらにすっぽりと収まる体の部位。ぬくい。硬くない。ざらついてる? 位置的に、二の腕か肩か?
「硬い五本指、猫じゃないね」
「猫じゃないからね」
「猫姫の位置、覚えてたんだ。とりあえず離れ――」
前に前にと焦り過ぎたようだ。足が絡み合い、僕とミースは重なるように倒れる。猫姫、ミース、僕のミルフィーユとなる。僕の顔は猫毛に埋もれ、横を向けば唇がミースの耳に触れた。互いの胸がかち合い、心臓が共鳴している。
僕は体を起こし、闇を見つめる。
「こっちだよ」
ミースが僕の右手を取り、指と指を絡めた。
「これでもう迷わない」
断続的に明るくなる。真っ直ぐしか見ないミースの目が、洞窟内が光るたび、僕の目に飛び込んできた。きらり、きらり。瞳は不動だった。言葉では折れない、騙すなんて以ての外だ。同じ星を見上げていると、自覚させる他ない。
「呪宝クレセント」
僕はミースの手を握り返す。
「独り歩きの使命は、その破壊にある」
暗闇猫の先祖は、捕食者から逃げていた。安全なねぐらを求めて、呪宝に手を出した。得られたのは、絶対不可侵の洞窟と無限の広がり。代償は光と生命力。年月を経て、捕食者は去り、呪宝の力は弱まっていく。頼る理由は消えていた。彫り込まれた依存心を排し、奪われた自信と力を取り戻せば、暗闇猫はまた独りで歩ける。
グリマルキンはその思いを独り歩きに託した。
「君も知っていたはずでしょ?」
声を張る。ミースが僕の手を握り潰さんと、拳を固めた。弱い。普通の女の子の握力だ。
「なんだ。つまんない」
「これもある意味、君への説得なんだけどね」
「あっそ」
僕はもう一度尋ねる。
「知っていたのでしょう? 猫姫様」
息を殺して置物と化していた姫が、脈動を始めた。
「独り歩きは呪いに打ち勝ちました。呪宝を壊す唯一の力、光を携えて帰ってきました。あとは破壊するだけです。お父様の代からの悲願なのでしょう? それをどうして猫姫様が拒絶するのですか?」
「……」
「王国なら、再建すればいい。闇の洞窟から飛び出して、呪宝に依存せず、暗闇猫なんて陰気な名前じゃなくて。光の国の気高きカットシーとして、新たに国を興せばいい。その横に、独り歩きが立つことだってありますよ」
返事が遅い。誰か巨大な暗闇猫が倒れ、大地が轟く。動線上で鋼鉄の鎧がぶつかり、がんがん鳴る。
「怖いの」
姫の声は、ぼそぼそして聞き取りづらかった。
「私は、本当は、兄様に出て行って欲しくなかった。呪われたままでも、正しくなくとも、楽しければそれで良かった。兄様と父様と、みんながいれば……このまま、何も変わらないまま、歪な幸福だとしても……」
「それが、猫姫様の本心ですか?」
「だって、だって、しょうがないよ。強くなれないよ。変化は、いやだよ。呪われているから弱いんじゃない。弱いから、呪われているの。兄様みたいに、光の国で……、新しい世界に踏み出して、独りで歩く勇気なんてないもの」
僕はざっと言う。
「独り歩きも大概ですよ」
「え、え?」
「大型犬に驚いて道を譲りますし、残飯を漁る家は十箇所以上確保しています。町のボス猫には素直に頭を下げますし、鼠取りに失敗して凹むなんてしょっちゅうです。光の国の独り歩きなんて、そんな大層なものじゃない。かっこよくないし、強いわけでもない。助けられていないわけじゃないし、孤独でもない。
なにせ、ほら、僕もここにいますし」
姫が顔を上げる。コバルトブルーの目が開く。
僕は教えてあげた。