第1話 交尾のお誘い

文字数 2,384文字

「ペンギンになって、わたしと交尾しない?」

 女友達のそんな一言を耳に挟んで、僕は足を止めた。

 古城の大広間の天井から、淡雪が降りゆく。頬に触れれば灯のように温かい。首無し騎士が雪玉を投げ合う。雪だるまに木苺シロップを掛け、平和な化け猫が舐めとる。善き隣人の少女が大広間を歩き回り、裸足で新雪を踏み抜く。

「そっか。またね」

 ざく、ざく。ちいさな足跡。

「あ、ひさしぶりー。最近ちょっと忙しくてね。でちょっとお願いなんだけど、ペンギンになって、わたしと交尾しない?」

 そう誘われた金髪高身長の美男子は、六花の如く微笑んだ。

「なんの話?」

 僕は両者の間に割り込んだ。

「あれ、アラン君だ」

 少女は、思いがけず珍獣を見つけたように言う。

 雪原に立つ隣人ミースは、雪と共に溶けてしまいそうなくらい、儚い光だった。美しさをそのまま彫刻にしたような非現実的な美貌。薄手のネグリジェが輪郭をあやふやにし、ケープが秘めた内側を希薄にする。無から大剣を生み出し、狂気の如く振り回すその凶暴性は、結核患者の誤った姿を連想させる幽世の美になりを潜めていた。

「ペンギンになって、わたしと交尾しない?」

 愛も関心もなく僕まで誘う。

 美男子に視線を遣り、この場は僕がやり過ごすと、言外にコミュニケーションを試みた。美男子は優雅に前髪をかきあげ、意味ありげな微笑を浮かべる。ミースの髪を一束さらい、紳士のように唇をあてる。

 せせらぎのように立ち去る。
 足音はなく、足跡さえ残らない。

「また振られちゃった」

 ミースは沈む。

「モテるって、難しいね」

 しみじみと告げるその言葉には、違和感しかなかった。

 給仕係の小人が現れ、ミースにホットミルクティーを差し出す。ミースは彼の目線に合わせてしゃがみこむと、ぱっと笑った。

「ペンギンになって――」
「待って」

 下の句は言わせない。給仕係はミースにカップを渡し、雪に埋もれながら帰っていく。ミースは甘い熱で喉を潤す。

「どうかした?」
「えっと、ペンギンって何? こ、交尾って、」
「え。わたしと交尾してく」

「だから! そういうことは、はっきりと口に出さないほうが……」

 つい視線を逸らす。ミースは僕の顔をまじまじと見つめるばかりだ。善き隣人に恥じらいがないのか。

「興味はあるってこと?」
「ま、まあ。そう解釈しても差し支えないかもね」
「そう。ならいこっか」

 ミースは僕のコートを掴み歩き出した。

「あと一人足りなかったんだー。隣人さんでも人間でも構わなかったんだけど、アラン君が来てくれて良かったよ」
「別にまだ……というか、説明してよ」
「わたしより適任がいるから」

 そう言うばかりで、ミースは語ろうとしなかった。

 銀世界を後にする。回廊を突っ切り、古びた石の階段を登る。頂上から夜空に跳び込めば、海岸に瞬間移動した。

 嵐が夜の海をいら立たせる。黒い崖に八つ当たりし、恐怖が撒き散らされる。崖の砕屑物に埋もれた海岸で、僕らは早速濡れ鼠となった。傾斜の緩やかな岩場を進み、明かり漏れる小屋の中に入る。

 戸を閉じても、風が小屋を揺らし、存在を主張していた。雨が小屋を叩き、呪うように潰れて垂れる。安息の地は狭く、暗く、古びた匂いが立ち込めていた。

 唯一の救いは、炉火だった。

「おかえり、アデリん」

 炉から数歩離れたところに、木桶が置かれている。

 木桶には水が張っていた。

「彼が、新しい隊員?」

 その水の中で、ペンギンが入浴を楽しんでいた。

 子どもだった頃、近所の爺様から、話を聞いたことがある。随分前はエーレ国にも現れた、ペンギンという水鳥のこと。水かきの足でよちよち歩き、ちょこっと付け足したカンマみたいな翼を揺らす。白い腹、背中から嘴まで黒い。脂肪をでっぷりと蓄えた、まん丸フォルムは鳥類には見えなかった。事実、鳥類でありながら、ペンギンは飛べない。流線型の体で水の抵抗を受け流し、海を自由に泳ぎ回っていたという。

 体長は僕の腰に届かないくらいか。一部白い頭の羽毛に、ピリオドみたいな黒い目がくっついている。ペンギンは翼を木桶の縁におき、悠々としていた。

「ただいま、ペンちゃん。コガタんもペラ子もこんばんは」

 ミースが手を振る。目を凝らせば、炉の両隣の闇から、赤毛の少年と銀髪の乙女が浮かび上がる。それぞれがミースに挨拶を返した。

「これで役者は揃った……」

 ペンギンが立ち上がる。水滴が羽毛をなぞり落ちた。

「完成まであと二日、下準備はひとまず終わり。これでやっと正義への第一歩が踏み出せる。みんな、本当にありがとう」

 ミースも、赤毛の少年も銀髪の乙女も、同意して頷く。

 僕はそうっと手を挙げた。

「あの、まず、炉火にあたっても?」

 寒さを自覚すれば全身震え上がり、歯がカチカチと鳴り出す。

 誰も責めない。率先して場所を譲ってくれる。僕とミースは放射熱の恩恵をその身に受けた。周囲の優しい笑みに、警戒心は薄れていく。

「えっと、それで、この集まりはなんなの?」

 あまりに初歩的な質問に、一同ミースに視線をやった。

「え? ああ、だって、ペンちゃんの方が適任でしょ?」
「脅して連れてきたんじゃ」
「違うよ。成り行きだよ、ねえ?」

 僕は愛想笑いを返す。むしろ一番の問題児は、ミースかもしれない。

「まあついてきただけでも、資格はありそうね」

 ペンギンは首を縮めた。毛布にくるまう僕に嘴を向け、遠慮なく語り出す。

「三か月前、ペンギンが絶滅したの」

 僕は顔が固まる。

「だから復活させる。私たちは、言うなれば、ペンギン復活隊ね」

 体が固まる。

 耳から入った言葉が脳内を一周し、どこにも置き場がないと知ると、反対の耳から出ていった。もう一度耳に入れてみたけれど、やはり脳は解釈できず、空中に飛び出ていく。

 絶滅? それだけでも奇怪なのに、復活って。

 妖精譚にしても、もっと尤もらしい幻想を語って欲しい。
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