第9話 混浴での悲劇
文字数 2,067文字
亨はお笑い芸人が被るようなつるつるした肌色の
「それ本当の話なんですか?」
意識はしていないが、タメ口が直っていた。
「旅館では、貸し切り風呂に二人で入ったのです」
亨の質問には答えず、田中は温泉旅行の話を続けた。
「その時、
相談所のコーディネートで出会ったことは髪の毛が薄い人だなあと思っていたのに、知らぬ間にフサフサになっているが何をしたのか、と問い詰められたのです、と田中は話した。
「その頃の私の髪型は、今と同じように長めのオールバックでした。佳代子が短い髪型よりも長い方が好きだと言ったから、そのようにしていたのですが、彼女は私が鬘を使っていると疑っていたそうなのです」
疑いを持ったのはごく自然なことだっただろう。初対面では薄毛だった男が、それから半年でフサフサ髪のオールバックに変貌を遂げているのだから。
「私には佳代子に隠していることはありませんでした。もちろん、
風呂でも鬘を外さない徹底ぶりに、少し呆れていたらしかった。
「まあ、好きにすればいい、と私は頭を彼女に差し出したのですが――」
頭頂部の毛がごそっと抜けたという。
亨は全身にぞわぞわと鳥肌が立った。意味もなく周囲を見渡したが、駐車場には二人以外、誰の姿もない。
あれから一時間が過ぎたが、コンビニに来る客は一人もいない。日常と切り離された異空間に店舗ごと転移してしまったように思えてきた。
「佳代子は毛の束を掴んで悲鳴を上げました。それを見て私も悲鳴を上げましたよ。痛みはありませんでした。ほとんど抵抗なく、プツプツと抜けていったのです。佳代子は私の毛を放り投げ、私は無駄と知りながらも湯船に拡がった毛を洗面器に集めるのに必死でした」
田中は当時の感覚を思い出したのか、おのれの頭に手をやり、大事そうに撫でた。
「私たちは気まずい雰囲気のままで翌朝を迎え、宿を出ました。外は雪で、タクシーを呼ぼうか迷ったのですが、佳代子はそんなに距離もないので歩くと言いました」
駅までの道を、佳代子は持参していた折り畳み傘を差して歩き、その少し後ろを私は傘を差さずに歩いたんです、と田中は説明した。
「どうやら佳代子は私に謝る場面を作りたくて、徒歩を選んだようなのです。彼女はふざけ半分で鬘を壊してしまって申し訳ない、弁償する、と言いました。でも違う。あれは自毛です」
田中の語りに力が入ってきた。
「私が誤解を正そうすると、彼女は嘘をつかないでくれ、と言い返しました。でも嘘ではありません。鬘だ、自毛だ、の言い合いが続きました」
「それで、どうなったのですか」
「佳代子は私が少し変わった人間だと言い始めました。どういうことかと聞くと、傘を持ち歩かないのはどういう理由なのか、と逆に聞いてきたのです。私は正直に説明しましたよ。去年の五月以降、傘を持つたびに失ってきたことを――。後藤さんには全部話していませんでしたけど、法事以降も、傘は順調に無くなりました。十二月の忘年会では部下から借りた傘が酔っぱらいの運転する自転車に壊され、大晦日の夜には父から預かった傘を川に落としました。一年も経たない間に十一本もの傘を失う人間はそう多くないでしょう」
だから年明けからは傘を持たないと固く誓い、旅行にも持ってこなかった。
立ち止まって話を聞いていた佳代子は、最初の傘、すなわち白黒ツートンの八千円の傘を無くす直前に変わったことはなかったかどうかを聞いてきた。
田中が萬叶神社のことに思い至り、その経緯を伝えると、彼女は「試してみよう」と言って、手に持っていた傘を田中に突き出した。
「これをあげる、と言い出したんです。私がいくら拒否しても、彼女は『これは試しなんだ』と言い張って聞きませんでした」
「その結果は――?」
「はい。その翌日には髪の毛がまた生えてきました」
田中はにっこりと笑った。
「佳代子から譲られた傘は、帰りの電車の中で他の乗客のキャリーバッグに引っ掛かり、骨が折れてしまいましたけどね」
「つまり――」
さすがに亨にも結末が見えてきた。
「髪の毛を生やす代償が、傘だったということですか」
「代償ではありません。傘は、毛を生やしていただくための
そのおかげで佳代子という女性とパートナーになれましたよ、と田中は言って、照れ隠しのつもりなのか、頬を両手で軽く叩いた。