第25話:あざみ野学園の船出

文字数 1,718文字

 2004年4月1日、駿台予備校から英語、数学の名物講師を週に1回ずつ、来てもらう事にした。そして、その話が、5月に横浜の地方紙に乗り、6月には、全国紙にのって話題となった。また、授業も各科目、4クラスでA、B、C、Dの能力別クラスにして、席までも成績順と言う徹底した能力主義を採用すると、新聞で話題となり、賛否両論が飛び交った。

 一方、以前購入したヤフー株が上昇し、2004年4月6日、朝のヤフー気配値140万円が出て、全株を成り行き売りを指示した。すると購入時の10株が32回の分割で320株になり、税引き後利益35400万円となっていた。つまり、崎野夫妻で70800万円で、木下が35400万円を得たことになる。この結果、崎野夫妻の投資残金が18億7000万円、木下君のが10億8400万円となった。

 そうして2004年が終わり、2005年となった。今年は、合格人数を200人と、特待生、20人の枠を設け、学費半額免除40人の枠を別にして、合格枠を260人と倍増した。それにもかかわらず、個性的な教育方針で話題となり、注目されていた。そのため、2005年1月1日から入学願書を受け付けると、1月中に400人を超える応募が舞い込んだ。

 そして締め切りの2月15日に720名で締め切りとなった。その上、入学試験の点数が、昨年よりも高くなり、優秀な生徒が集まっていることが判明。あざみ野学園高校のスタッフも喜んだ。高校の先生も並行して、募集して6人を採用した。この頃になると、刺激的な記事で有名な週刊誌が、あざみ野学園の野望と言う、事実無根だが、刺激的なストーリを書いた。

 そのためにワイドショーでも取り上げられ、授業風景が紹介され、一部の生徒の生の声も放送された。しかし、職員は、応対しないと言う条件だったので、出演することはなく、また、顔を写さないと言う条件でお願いした。また、名門予備校から週1回、招いている名物講師が、他の番組にで、今度、新しい高校へも出かけてるそうですねと聞かれ、完全能力主義で、私は好きですと言ったのが放送された。

 その後、学校に、頻繁に、全国の中学生の親たちから電話が入るようになり、事務員2人が専属で、その件に関してはお答えできません。ご希望でしたら、授業見学なら、廊下から10分限定で5人迄、受けますと言うと、大勢の親が、見学に来るようになった。そんな、出来事があり、夏休みを迎えた。10月に、職員会議で来年の募集を何名にするかと言う話になった。

 その席で崎野卓三代表が、とりあえず、260名と昨年と同じ定員にして、もし応募が、千人を大きく超えることがあれば、500名まで増やそうと言うと、木下も崎野の奥さんも同意した。その話を、理事長、理事に通達しておいた。そして、今年も8人の先生を新しく募集し、後日、採用した。やがて、2005年が終わり、2006年を迎えた。

 2006年は、合格枠を260人と、発表し、1月1日から応募開始した。すると、1月15日時点で応募が500人を超えた。そして、締め切りの2月15日に1120名と昨年の5割増の応募があった。そこで、崎野卓三代表が、来年のは、定員を500名にしようと言った。そうして受験日を迎えると、答え合わせをしている先生方が、昨年よりも今年の方が優秀な生徒が多いと感想を述べた。

 これであざみ野学園高校の生徒総数が590名。14教室を使って授業を始めた。来年は、いよいよ大学受験の年になる。そこで、特に優秀な学生は、特訓して志望有名校に合格するように先生に命じた。特に夏休みにAクラスの連中の選抜して大学受験模擬試験を繰り替えた。そして涼しくなり10月、11月、12月、希望大学を先生と最終的に決めることにし2007年を迎えた。

 職員会議で、東大、東工大、一橋大、横浜国大、横浜市大、首都大学2名、早稲田、慶応、上智、理科大3名ずつ、明治、法政、中央、立教大4名ずつ40名が受験を決めた。その後、受験日を迎えて36人が合格し4人が不合格。その他の関東の私立大学72名が合格して短期大学が20名が合格し、浪人は2人と、理想的な成績で、初の大学受験を終えた。
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