第4話 変わらぬ世界

文字数 3,069文字

制服の衣替えをして上着が半袖シャツに変わり、夏到来の予感にワクワクし始めたころ。昼休みになり、購買にお弁当を買いに行ったヒロトを待っている間、僕は窓の外を適当に眺めていた。今日は快晴、午後の体育で外に出たら日焼けするかもしれない。

「お待たせー」

「おかえり。早かったね」

「めっちゃ走ったからな」

その頃にはヒロトの怪我はすっかり完治していた。お目当ての唐揚げ弁当を無事にゲットし、彼は満面の笑みを浮かべる。

「いただきまーす」

「いただきます」

僕は母の作った弁当を食べ進めた。

「あ、そうだユウ。数学の・・・」
「えー!!ウソー!!」

ヒロトの言葉は、すぐ近くに集まっている女子グループの声にかき消された。げんなりする彼に同情しつつ、話を続行できずにいる僕らは静かに食べ続けた。それとは逆に女子グループは盛り上がり続け、会話の内容がダダ漏れていく。


「本当だって。私見せてもらったもん。すっごいフワフワで可愛い子ネコなの」

「え?モモ、サクライ君の家行ったの?まさかの抜け駆け?」

「そんなことできるわけないじゃん。スマホで撮った写真見せてもらっただけだよ」

「いいなー。やっぱり私もA組がよかった」

「それでね、ネコも可愛いんだけど、ネコを抱くサクライ君がさらに可愛いのー!もうあの笑顔拝んだ瞬間にキュン死するかと思った」

「想像するだけで最高―!」


嫌でも聞こえてくる会話に、ヒロトは次第に顔を曇らせる。

「そういえばそういう話あったな」

「ね。忘れてたね」

「なんか、すっげえ癪に障る」

サクライ君はみんなに優しく、柔らかい雰囲気を持つ人で、さらに秀才で顔も整っている。言わずもがな、モテる人なのだ。ヒロトも精悍な顔立ちで成績優秀、さっぱりした性格が持ち味の頼れる存在。本人が気づいていないだけで、実はファンが多いことを僕は知っている。そんなヒロトの嫉妬は、さして取り柄のない平均男子な僕からしたら、ただただ贅沢な悩みに見えた。

「ユウ、今日の放課後付き合え」

「いいよ。あそこに行くんでしょ?」

「おう。乗り込むぞ」

「ハハハ。殴り込みみたいだね」

「それだけ気合が入ってるんだよ」

「わかってる」

もちろん、僕らが向かったのはあの教会だった。


***


久しぶりに足を運んだその場所に、門扉はなかった。来ない間に工事でもしたのだろうと思い、2人ともそこを気に留めることもなかった。ヒロトは躊躇なく前庭に足を踏み入れ、入口へとまっすぐに伸びる歩道を進んでいく。僕はその頼もしい背中を追うだけで、特に何も考えていなかった。

満をじしてドアノックをしても反応がない。2度目のノックも効果がない。ヒロトは僕と顔を見合わせてから、そのドアノブを引いた。

「こんにちは」

顔だけ中に入れて挨拶をすると、室内に声がこだまする。彼は振り向いて「なんかすごいな」と呟いてから、また中に顔を入れて人を探す。

「こんにちはー」

すると奥の方からコツコツと足音が響き、白髪を綺麗にまとめた男性がやってきた。想像していた“いかにも神職者風な衣装”は来ておらず、洋服に身を包んだ彼は一見普通のおじさんだった。彼は僕らのもとへとやってきて、笑顔で迎え入れてくれた。

「はい、こんにちは。私はこの教会の神父、タカサキと言います。いかがされましたか?」

僕はヒロトと一緒に教会内へしっかり入って、神父と向き合い背筋を正す。

「こ、こんにちは。あの、桜町第一高校のセノトといいます」

「イリデです。ここで白ネコを数匹保護していると聞いたのですが」

「ええ。1匹だけですが、おりますよ」

ヒロトははっきりと告げた。

「そのネコを譲ってもらえないでしょうか?」

神父はにっこり笑って答える。

「ちょうどよかった。やっと目が開いたので、里親を探そうと思っていたところなのですよ」

「その子、目の病気してたんですか?」

「いえ。獣医さんに診てもらいましたが、全身健康そのものです。ずっと目を閉じていた理由はよくわからないそうですよ。もしかしたら、君たちが来るのを待っていたのかもしれませんね」

ヒロトと僕は視線を合わせて喜びを共有した。神父さんは一旦奥の部屋へと戻り、籐のバスケットを大事そうに抱えて戻ってきた。差し出されたバスケットをのぞくと、淡いピンク色のバスタオルの上で、白い子ネコが俯いて丸くなっていた。その子が軽く尻尾を振り、ふわりと石鹸の香りが漂う。子ネコがようやく顔を上げて、目を合わせることができた。

「オッドアイだ」

ヒロトの言葉が聞き取れず、僕は首を傾げる。

「おっど?」

「オッドアイ。この子みたいに、左右の目の色が違うことだよ」

たしかに子ネコの左目は天色、右目は向日葵色だった。その透明感に誘われるように、僕は無言で見入っていた。

「まだ名前はつけていませんので、お好きに呼んであげてくださいね」

そう言って、神父さんはバスケットをヒロトに手渡した。

「あなたと、あなたのネコに、神の祝福があらんことを」


***


こうしてコットンキャンディーと名付けられた子ネコは、ヒロトの家族になった。二人の相性は抜群だったようで、お互いぴったりくっついて映る写真が、僕らのメッセンジャーでのやり取りの大半を占めるようになった。初めてのご飯、初めてのおもちゃ遊び、初めての爪とぎ。たくさんの初めてを共有し、ヒロトは毎日幸せそうな表情で登校していた。

一方で、僕の日常は特に変わることはなかった。ただとうとうと、変化とは無縁な穏やかな日々が過ぎていった。僕にはそれが似合っていた。

しかし3ヶ月後のある晩。ヒロトからの電話をきっかけに、それが変わろうとしていた。


「え?うちでコットンを飼えないかって?」

コットンキャンディーはいつの間にか略称で呼ばれるようになっていた。

「無責任なことを言うようでごめん。だけど、うちの犬とコットンの相性が急に悪くなっちゃってさ。目を離すとコットンが襲われそうになるし、気が気じゃなくて」

「そっか。大変だね。わかった、親に相談してみるよ。妹のアキも喜ぶだろうし」

「ホント悪いな」

「いいよ。たぶんオッケーしてくれると思う。それにうちで預かれば、ヒロトも好きな時にすぐ会いにこれるじゃん」

「そうだな。ユウ、いつもありがと」

「いいって」

その後、たわいない話をしてから電話を切った。時間は深夜1時を回ったところ。急いで歯磨きをしてからベッドに潜った。


その日は不思議な夢を見た。行ったことのないアパートの窓から見知らぬ街並みを眺めていた。そして、姿の見えない誰かが僕にこう言った。

『ダメだよ。ネコを飼ってはいけないよ。君は幸せにならなきゃいけない。だから、ネコを飼ってはいけないよ』

「君は誰なの?」

『それには答えられないけれど、どうか信じてほしい。絶対に、ネコを飼ってはいけないよ。約束だよ、ユウ君』

翌朝。僕は夢の言葉が気になりながらも、両親に相談した。もし僕が飼わなければ、どこの誰だかわからない人にもらわれて、ヒロトは大事な家族に二度と会えなくなるだろう。そんなの見過ごせなかった。

「自分でしっかりお世話するのよ?」

「うん、わかった」

こうしてその週の土曜日にコットンキャンディーを迎えに行くことに決めた。




『ユウ君……』


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