第1話 すべてのはじまり

文字数 2,567文字

はじまりはいつかの土曜日。僕は大学を卒業し、2日後の入社式を待ちわびていた。やることもないので、引っ越したばかりの街をあてもなく散策することにする。よく晴れた日で、そよ風が背中を押し、新天地での快調なはじまりを予感させた。

心を踊らせながら歩いていると、歩道沿いのブロック塀の上に白ネコが姿を現し、目の前に降り立った。その綺麗なオッドアイで僕を一瞬のうちに品定めし、無表情でそのまま道を横切っていく。どうやら僕には興味を持てる部分がなかったらしい。少しばかり悔しいので、腹いせに白ネコの後ろ姿を追った。

白ネコは迷いのない足取りで住宅街を進み、白い教会の庭へと侵入。そして、わずかに開け放たれた入り口へと吸い込まれていった。臆病な僕は教会という慣れない場所を開拓する気には慣れず、白ネコの追跡を諦めて引き返すことに決めた。

背を向けた瞬間、建物の中から大きな物音が響いた。重い物が倒れる音を耳にして反射的に振り返ったものの、中にいる関係者が対応に当たるだろうと思った。だけど、あの白ネコは無事だろうか。もし、中に誰もいなかったとしたら。迷っていると、とんがり屋根の頂点に鎮座する十字架が陽の光で煌めいた。柄にもなく、それを呼ばれているサインと受け取った僕は、教会の敷地に足を踏み入れて扉に手を伸ばした。

中を覗くと誰もいなかった。いや、正しくは、そこは廃墟だった。木製のベンチはそのほとんどが朽ちてバラバラになり、ただの木片と化している。かつて床であった場所には雑草が生い茂り、蔦が壁に模様を描く。建物の内と外でこんなに印象が異なるなんて。僕は単純に驚いていた。

入り口からしばらく中を観察したが白ネコは見当たらず、しっかり入って調べることにした。ガラスが割れてすっかり空と繋がった天窓から、まっすぐな光の筋が伸びている。そこは廃墟であるのに光に溢れ、不気味な様子がなく、むしろ荘厳な美しささえ感じられた。

何かが雑草を撫でる音が聞こえ、白ネコと期待して振り向くと、色白の人がこちらを見つめていた。こちらと同じくらいの背丈、中性的な顔立ちで、艶のある白髪を肩まで伸ばし、白いパンツスーツを着て上品な雰囲気を放っている。年齢不詳だが、肌の感じからして僕とそう変わらないだろう。綺麗なオッドアイが、にっこりと笑った。

「君が無事でよかったよ」

中性的な声なので、やはり性別はわかりかねた。白い人は胸に手を当てて言葉を続けた。

「ねえ。君は明日のこと、覚えてる?」

「明日?何のことでしょう」

「うん。よかった。あれは本当だ」

「あの、私に何か御用ですか?」

「君を守るために、ここに戻ってきたんだ」

「仰っていることがよくわかりません」

「そうとも言うね。大丈夫、気にしなくていいよ。絶対に君を守るから」

白い人は僕に手を振って言った。その表情はどこか寂しそうだった。

「バイバイ。僕の大切な……」


**********


「おーい!ユウ起きろ、帰るぞ」

目を覚ますと、幼馴染のヒロトが僕を呼んでいた。椅子に後ろ向きに座り、僕の額をつつきなが彼は言う。

「早く帰ろーぜ。明日の模試の勉強しないと」

僕はのそのそと上半身を起こし眠い目をこする。窓際の自席から見える夕日が最高に綺麗だ。

「ハハハッ。夕日見て青春感じてる場合かよ。ユウって本当にマイペースだな」

「そうかな」

僕はセノト・ユウ。高校2年生。県立高校の普通科に通う、いたって普通の男子高校生だ。明日の模試でも、きっと可もなく不可もなく平均的な成績を取るだろう。

幼馴染で親友のイリデ・ヒロトと一緒に、歩いて家路に着く。ヒロトとは家も近く、よほどのことがない限り行き帰りを共にしている。満開の桜並木を見上げながら、彼は僕に言った。

「そうだユウ。模試が終わったら、三者面談あるじゃん?」

「うん」

「先生は進路について話すって言ってたけど、どこに進学するか決めてる?」

「なんとなくね。僕は文系の学部に行こうと思う」

「え?それだけ?大雑把にもほどがあるだろ」

そういってヒロトは笑った。僕なりに真剣に考えて出した答えだったけれど、目標と計画を立て遂行するのが得意なヒロトからしたら、それは目標とすら呼べないのだろう。

「あのな、ユウ。何かを成し遂げるためには、最初の目標設定が大事なんだ。何かこう、もっとあるだろ。この分野で活躍したいとか、好きなことを突き詰めたいとか」

「好きなことかあ。読書は好きだけど、読書してお金は稼げないよね?」

「そういうときは、想像を広げて可能性を探すといい。本に関わる仕事なら、作家を支える編集者になるとか、イラストレーターとして表紙絵を描いたり、本屋で働くこともできる。な?いろいろあるじゃん」

「さすがヒロト。天才だね」

僕はどちらかというと視野の狭い人間であることを自覚している。そして同時に、自分の意見というものをあまり持ち合わせていない。君がいいなら僕もそれがいい。あなたが喜ぶなら、それが僕にとっての最善。だけど副作用で、いつの間にか自分のことを考えるのが苦手になった。そうして行き詰りを感じるたびに、ヒロトが助け舟を出してくれるのだった。

「天才なんかじゃないって。何かの本で“想像を止めた途端に世界が縮む”って書いてあるのを読んでさ。いい言葉だなと思って、それから想像ばかりしてる」

「へえ。ヒロトは哲学の本も読むの?僕もチャレンジしてみようかな。想像力が高まるかも」

「よし!明日オススメの哲学本、貸してやるよ」

「いいの?ありがとう」

「レンタル料は1日100円な」

「えー。そこは友人割引してよー」

「ハハハハ」

ヒロトは突然歩みを止め、何かを探してあたりを見渡す。つられて僕も周囲を見るが、特に変わったところはなかった。

「どうしたの?」

「いま、ネコの鳴き声が聞こえなかったか?子ネコみたいな、か細い声」

「ネコ?」

二人してしばらく耳をすませる。しかし聞こえてくるのはカラスの鳴き声と、車道を行き交う車の走行音だけだ。僕は痺れを切らしてヒロトをせっつく。

「気のせいじゃない?」

「かもしれないな。行こっか」


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み