キャット兄弟、猫ダマシ

文字数 3,326文字

 ピシャリと襖が閉められた。風圧。滋比古は尻で後ずさる。背中を壁に付け、遠ざかる気配を耳で追う。
 やがて訪れたのは、屈辱。まんまと三ツ首に、からかわれたのだ。闇の中、常より赤いその頬をカァと燃やす。
 と、ガタリ異音。悲鳴を喉で押し殺す。玄関の引き戸だと気付く。尻を床に着けたまま、滋比古はそちらに直った。カンテラの灯りが揺れていた。
「おやおや、坊ちゃ……滋比古様ではありませんか。いかがされましたかな」
 曲馬だった。滋比古は立ち上がる。
「なんでもない」
 ぶっきら棒に答えたが、声音に潜む安堵は隠せない。
「質問に回りたいんだが場所が判らない。案内しろ」
「廊下は電灯がないですからね。そりゃあもう無理はないでしょうよ。うっふっふ」
 含みを持たせた言い回しが気に入らないが、ここは滋比古が譲った。
「キャット兄弟を探していたんだ」
「かしこまりました」
 三ツ首の部屋からは、一切の気配が消えている。この問答は聞こえているだろうに。団長の出迎えをしないのか?
 しかし、滋比古は何も言わない。曲馬も無言を通した。
 二人の歩に連れて、廊下がギィと鳴く。
「こちらです」
 曲馬が立ち止まり、襖を開いた。中も闇。
「ただいまぁ。良い子は、いずこに?」
 キャアともニャアともつかない声が挙がり、幼い兄弟が布団から飛び出した。
「すまないね。良い子はもう寝る時間ですのに。お客様をお連れしたんですよ」
 代わる代わる二つの小さな頭を撫でながら、曲馬は滋比古を紹介した。
「寝てるのに、悪かったな」
 兄弟はおそらく十にも満たない。滋比古の態度も柔らかくなる。布団の脇に、カンテラが置かれた。
 兄弟は曲馬の左右に分かれて座り、その膝にもたれるようにして甘えてみせる。二人とも両手で握り拳を作り、絶えず口元に添えている。
「さて。滋比古様。キャット兄弟は幼ぅございますゆえ、お話は私が代わっていたしましょう」
「何だと? それじゃあ話が」
「おやおや、滋比古さまは猫語をご理解いただけましたかな?」
「……ね、猫語ぉ」
「キャット兄弟は猫語しか口にできません故、通訳が必要かと。嘘ごまかしなどいっさい致しませんので、どうぞご安心なさいませ」
 不安げに、庇護者に寄り添う兄弟。曲馬は二人の背にそれぞれ腕を回すと、抱え込むように力を込めた。
 ボクから守っている――と、いうのか。
 滋比古の胸にチクリ。予期せぬ回想。
 (とこ)に就きながらも自分を抱き寄せてくれた母。当然のように父を抱きしめる義母。自分ではない子を抱き上げ、(まなじり)を下げる父。その父が自分へと向けた眼差し――消えろ! 滋比古は頭を激しく振った。前髪が乱れる。
「そんな小さい子達を、いったいどうしたんだ」
 その(ざま)を面白そうに眺めていた曲馬は、笑いを含んだ声で応じる。
「坊っ……、滋比古様は誤解をされてますな。私がこの子らを人買いから買った、いや、どこからか(さら)ってきたとかねぇ?」
 (まく)し立てる。
「まさかまさか。だったら何故に、この子らはこんなにも私に懐くでしょうか。うっふっふ、まさか芝居だとおっしゃる?」
 分厚いカイゼル髭を撫でつけながら、挑発の口調。兄弟は握り拳を口元に置いたまま、それぞれ滋比古と曲馬とを見比べて、ぺたぺたにゃあにゃあ喋っている。意味など、さっぱり判らない。
「私が何故、ゼニトル曲馬と呼ばれてるとお思い?」
 唐突な問い。
「馬夫人の話をしましょう」
 唐突な話題。
「馬夫人はこの曲馬団に来てから、まだ六月(むつき)。もちろんロッポンも一緒です」
「な、なんでそんな話を」
「卑しくもここジェントル曲馬団を名乗る舞台で、馬術を披露する腕前になるには一夜漬けなどでは足りません。ましてや妊婦。訓練などできません」
 薄明りの下、お互いは表情を探り合う。
「滋比古様には、この意味がお判りですか」
「……う、いや、判らない」
 滋比古は、注意深く返事を選ぶ。
「馬夫人は、ここに来る前から馬術の素養があったということです」
 ゆっくりと続ける曲馬。
「例えば。何処の馬の骨とも知れぬ男の、子を宿した、もとより馬術を(たしな)む階級の令嬢が、お(いえ)の恥だと表舞台から消された先が、ここだった」
 滋比古は、弾かれたように顔を上げた。
「秘密を喋らぬ代償としての、莫大な持参金と一緒に」
 曲馬の片頬が大きく歪み、
「二度と表の世界に戻してくれるなという、代金として。ジェントル曲馬団は、そんな不幸な者たちが寄り添う場所なのだとしたら、どうです」
 吐き捨てる。
「この子らも三ツ首も、死んだお千代も皆同じ。滋比古様、貴方のいた場所からすれば、ここはお家の邪魔者達の吹き溜まり」
 滋比古は、曲馬の言葉を心で反芻する。――曲馬はああ言ったが、自分だってお家の邪魔者――。
 異様な雰囲気にキャット兄弟は怯えてしまい、いつの間にやら黙ってしまった。
「おっと、ごめんよ、良い子達」
 曲馬は兄弟それぞれに微笑みかけ、その背を優しく撫でてやる。やがて安心を取り戻したか、ぺたぺたにゃあにゃあが、また始まった。
 曲馬は、打って変わって穏やかに語りだす。
「私は約束事を決めました。ここに来て【笑う】ことができたとき、それが私らが真の【家族】になったときだと」
「じゃあ、お千代が笑ったなんて言ったのは、最期の(はなむけ)
「いえ、滋比古様。お千代は【笑った】のです。笑いたいと願っていた、あの子の悲願が血化粧となり、笑みの形を作ったのです。――まぁ、死んだ後でしたがね」
「死んだ後……、まさか自害なんか」
「それは、残念なことに違うとは言い切れません。お巻が、戸棚のお菓子には猫イラズが仕掛けてあることを、お千代に告げていたかを忘れているのですから」
「じゃあ告げていれば、自害。いなければ」
「夜中にお腹が空いて食べたのか、おさげを切られた意趣返しに、子供らしい復讐をしたつもりだったのか――、もはや確かめる術などありません」
 それを聞いた滋比古は、腰を浮かせて叫んだ。
「じゃあ、なんでボクをここに呼んだんだ!」
 その剣幕を、キャット兄弟の猫目が四つ、見つめている。
「ボクが解く謎なんて、なんにもないじゃないか!」
 愚弄されていた! 三ツ首から喰らった屈辱の、何倍もの苦味と痛み。
「ご無礼、どうぞお許し下さい。滋比古様に、どうしてもこちらに来ていただきたかったものですから」
 曲馬は穏やかな態度を崩さない。それが余計に滋比古の血を(たぎ)らせる。
 カンテラの灯りの中、唇を震わせる滋比古に、
「本当にお願いしたいことは、これからお話し致します」
 曲馬が一礼した。それに(なら)い、一拍遅れてキャット兄弟も頭を下げた。――恐らく意味など判らずに。
「お巻のところへ、行ってやってはくださいませんか」
 掻き口説くような曲馬。カンテラの灯りのせいか、滋比古の瞳が揺れている。
「滋比古様の優れた脳髄と慈悲深いお心で、お千代を殺したかもしれないと煩悶するお巻を、救ってやってはくださいませんか」
 滋比古は暫く項垂(うなだ)れて、
「……ボクに何ができると」
 と呟いた。
「滋比古様、それは違います。どうぞお巻のところへ行ってやってくださいませ。お巻は目が見えません。暗い中、ただひとり、罪悪感と後悔に(さいな)まれていることでしょう」
 曲馬はカンテラを差し出した。
「さぁ、滋比古様のお言葉で、お巻を救ってやってくださいませ。私が言うのも何ですが……、もう、お解りになってらっしゃるのでしょう? 聡明な滋比古様」
 滋比古はその言葉を心で繰り返し、噛みしめ、意を決すると立ち上がる。カンテラを受け取り、頷いた。
「お巻の部屋は突き当りです」
「ありがとう」
 滋比古は肩越しに、本心から礼を言う。カンテラが遠ざかり、曲馬とキャット次郎と三郎が闇に溶けていく。
 ぺたぺたにゃあにゃあ。
 滋比古の胸に天啓のように、太郎がいない訳が閃いた。決して口にはしまいと誓い、襖を開けた。

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