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文字数 5,773文字

「あ、こんなところに。至急、作戦司令室にきてください」
 ニクスが階段を下り終えた時、兵士の一人にそう言われた。ニクスはシエ・スーミンを見て、うなずき作戦指令室まで走った。今度こそは実力を……シエ・スーミンは強く思った。
 作戦指令室の扉が勢いよく開かれ、最初に目にしたのは、鉢巻を巻いて気合十分な龍麗だった、シエ・スーミンを見るやぱっと明るい顔を向けた。
「スーミン様。今回も参加させていただきます!」
「おお、龍麗か。頼りにしているぞ」
 嬉しそうな龍麗の顔を見て、すぐに周辺の地図に顔を向ける。今回は山地での依頼らしい。前回ほど苦しい戦いにはならないだろうが、一応気にかけておく必要もありそうだ。
「お待たせしました。情報を持ってきました」
「ご苦労。今回は……なに」
「スーミン様。こいつは……」
「ああ。こいつはまた手強い奴が現れたものだ……」
 シエ・スーミンの視線の先に映る文字……それは。
「邪竜……アラニ・カラミッド」
 アラニ・カラミッド。邪竜と呼ばれた理由は未だ明らかになっていない。なぜなら、これまで戦って生き残っている者がいないからだ。
「こいつって、封印されていたはずじゃ……」
「ああ。錬金術師によって封印は施されているはずだ。それがなぜ……」
 ただ、文献によると災いをまき散らす凶種、既に錬金術師によって封印がされているということかわかっていない。その封印の手順などはページが破れていたり、かすれていて読めない部分が多く見受けられている。
「そこで、今回の作戦にはこいつの同伴が義務付けられている。入ってこい」
 ゆっくりゆっくり開く扉からまず見えたのは、まるでマスカレードマスクのような浮遊物が部屋を覗いたあとに、銀色の髪の少女が恐る恐る中へと入ってきた。
「は……はぅう。し……失礼しま……ふぎゅっ」
 少女の背後にまず、マスカレードマスク、そこから豊かに広がる紫色のドレープカーテン。歩く度にふわりと揺れるそれは一見大人の雰囲気を醸し出す。……はずなのだが、それに不釣り合いの銀髪の少女がドレープカーテンの裾を踏み、盛大に転ぶ。
「……」
「……」
「こ……コケましたぁ……」
 痛そうに鼻を撫でながらゆっくりと立ち上がる。金色球体のついた杖を握り深々とお辞儀をする。
「は……初めまして。私はオルロ・ソルシエと申します。よ……よろしくお願い
 します」
 オルロと名乗る少女をその邪竜封印に連れていくだと……シエ・スーミンは眩暈を覚えた。
「えっと……なんでオルロを連れていくことが絶対条件なんですかね?」
 申し訳なさそうに耳打ちをするニクス。指揮官もこれには少し困惑気味な様子で答えた。
「これは皇帝からの命令なんだ。逆にオルロがいなければ封印は無理ということ
 も仰っていた。なんでも錬金術に精通しているとか……」
錬金術……誰もが一度は耳にしたことはあるだろう。錬金術は簡単に説明をすると金属ではない金属を使って、科学的に貴金属に変える試みのことをいう。貴金属だけではなく、場合によっては生命を作る者もいるとか。ただ、誰でも錬金術師になれるというわけではない。高度な知識や器具を扱う技術などが必要であるため、それをきちんと理解した者のみがはれて錬金術師として名乗ることが許される。そして、その錬金術師が目の前にいるというのだが……。
「なんとも威厳がないというか……」
「ただのおっちょこちょいにしかみえないというか……」
 聞こえないよう小さな声でけなすニクスと指揮官。加えてシエ・スーミンも「頼りない」
とバッサリ。本人は部屋の中で転んで謝るを繰り返していた。
「ところで……オルロ殿。そろそろ説明をしてくれないか?」
「はぅう……あっ! そうでしたね。では、説明します」
 真っ赤になった鼻をさすりながら、指令室の真ん中で説明を始めるオルロ。要約すると、オルロが作った薬品で弱らせてから一気に叩くという戦法だ。一気に叩くのは簡単なのだが、肝心なのはその薬品の効力。いくら弱らせることができたといっても、その効力がどのくらい持続するのか、どれくらい弱らせることができるのか未だにわからない。それに加えて、アラニ・カラミッドの戦力がどれくらいなのかも未知数である。オルロがアラニ・カラミッドを封印できるといっていても、アラニ・カラミッドの戦力が上回っていた場合は敗戦最悪の場合はこの国さえ滅ぼされてしまうことも考えられる。
 しかし、今はこの小さな錬金術師に頼るしかない。薬品などについての説明もしてもらわらないとこちらも細かな作戦が練られない。そこで、シエ・スーミンはその薬品について尋ねた。
「すまながいが、その薬品というのは具体的にはどのような作用があるのだ」
「えっと……使うとみなさんがぐったりします」
「……みなさん?」
「……どういうことだ?」
 弾むような声で耳を疑う言葉を発するオルロ。使うとぐったりするのはいいのだが、みなさんとは……。
「その薬品は、竜族に効果があります。もちろん、邪竜と呼ばれる竜もぐったり
 として動くことさえ面倒なくらいになります」
「それはいいんだが……みなさんというのは、俺らも含まれるわけ?」
「はいっ」
 ……なぜだろう。シエ・スーミンは疑問に思っていた。かつてこれほどまでに殴りたいという衝動にかられたことはあるだろうか。……いや、ない。すでにシエ・スーミンの右手は拳を作っていていつでも繰り出すことができる状態となっているのを、龍麗が慌ててひっこめるようお願いする。なんとか頭を冷やし拳を収めることができたシエ・スーミンは、さらに尋ねる。
「今、その薬はあるのか?」
「はい! ここに……。あれ……おかしいな。はぅあ! わ……忘れてしまいま
 したぁ……」
 シエ・スーミン、今度は両方の手で拳を作るとオルロに殴りかかろうとする。それを止めるニクスと龍麗。この二人でも怒りで力を増幅したシエ・スーミンを抑えるのに相当な時間を要した。
 数十分後。まだ怒りはあるものの、なんとか手を出さずに済んだ。それを抑えることができたのは二人のおかげであることは言うまでもない。
「はぅう。すみません……」
「……仕方ない。その薬をどうにかしなくては」
「私の研究室にあるので使い方も含めて来ていただけませんか」
 ……オルロを一人で研究室に行かせて、ここに無事に戻ってきてもまた転んで……というシナリオがなんとなく見えたニクスはシエ・スーミンにこっちが行った方がいいことを耳打ちする。諦めを含んだため息をし、これからオルロの研究所に行く旨を了承する。
「あ、ありがとうございますぅ! では、張り切っていきましょう!」
 踵を返して作戦司令室から出ようと一歩踏み出すのだが……
「ふぎゅっ!……またコケましたぁ……」
 また裾を踏んで転ぶオルロに今度は大きなため息をつくシエ・スーミンだった。

「ここが私の研究室です。どうぞー」
 どうしたらそんなにまぶしい笑顔を出すことができるのだろうか。ここに来るまでに、穴に落ちるし落下物のせいで気絶するし、挙句には道に迷って辺りを何周もする破目に……。これにはさすがのニクスも難色を隠し切れなかった。
「スーミン様……申し訳ない。俺の方が先に手を上げてしまいそうです」
「私が言える立場ではないが、我慢してくれ。ここは……」
「も、もう少しです。もう少しの辛抱です。ニクス様」
 よたよたとしながらオルロの研究室に入る。まず感じたのは鼻を突く異臭だった。甘さのあとに続く何かが腐ったような臭いが研究室一体に広がっていた。鼻を塞ぎながら研究室を見ると、全体的に湿った土色をした壁があり、向かって左側には大量の書物が収められた棚があるのだが、それに収まりきらず、天板に積み上げられている。ひとつ大きな揺れがあればすぐにでも倒れてくる様だった。反対側は研究に使うであろう器材が並んでいた。どれもきれいとはいえず、瓶底に汚れが残ったままの物や、洗わずに放置されている物もたくさんあった。そのまま器材伝いに歩くと、今度は無数のフラスコが並んでおり無色透明なものからフラスコからはみ出している緑色の液体まで様々だった。
「……なんか、体が重たくなってきませんか?」
「……そういわれてみれば……」
 奥に進むに連れて段々と体が重たくなり、一歩一歩がまるで分銅をつけられているかのように上がらない。思考も段々と薄れて、息をするのも面倒くさくなってくる。
「臭いだけなのに……こんなに効果があるんですね。さすがご先祖様です」
 そういってパタパタと走り出したオルロ。手にして戻ってきたのはその緑色の物体だった。さっき、フラスコに入っていたものと同じもので、直に持ってこられると足に力が入らなくなり横になってしまうほどの脱力感。最初に倒れたのは龍麗だった。
「……スーミン様、申し訳ありません。ぼく、力が入らなくて……」
「龍麗! オルロ、今すぐそれをしまうんだ」
「えっ?」
「え? じゃない! とっととするんだ」
「は、はいぃい!」
 シエ・スーミンの覇気に驚いたオルロは急いで緑色の物体をしまいに行った。臭いが遠くなったとはいえ、まだ体の自由は利かない。一旦体が動かせる場所まで戻ることにした。
「はぁ……ここならまだ大丈夫です」
 壁にもたれて一息つく龍麗。シエ・スーミンとニクスも座って気分が落ち着くまで待った。そこへオルロが戻ってきて泣きながら謝罪をした。効力は確かだということは身をもって知ったこともあり、封印には欠かすことのできないアイテムだ。
「うちらはあの小さなフラスコ一個でこうなりましたけど、実際の相手だとどの
 くらい必要なんだ?」
「えっと……調べてみたらあれば十個ほど必要なことがわかりました」
「十個? あれが……十個となったら」
 封印の前にこちらが脱力状態になり、遅れて相手が脱力状態になり結局封印には至れない。さて、そこが大きな問題だ。
「それを中和する薬というのはあるのか?」
「えっと……あることはあるのですが材料が……ないんです」
「その材料はどれくらいいるんだ」
「ちょ、ちょっと待っててください!」
 またパタパタと走り出し、何やら取りに行ったオルロ。まさか、その素材集めから始めるとは夢にも思ってなかった。この時、シエ・スーミンは皇帝を心のどこかで憎んだ。
「お、お待たせしましたぁ」
 持ってきたのは小さなメモだ。少女らしい字でなにやら書いてある。
「えっと……ハイサラマンダーの尾、ランドタイラントの爪、レジェの角、ガル
 ディラの鱗……」
「……一番最後のが一番やっかいですね」
「それがあれば中和剤を作ることができます!」
 強力な脱力にはそれを上回る攻撃を出すものが必要というわけか。シエ・スーミンはメモを見て一人唸るもやはり最後に書かれた素材を獲得するにはと頭を抱える。
「スーミン様。ぼくにもお手伝いさせてください」
「……龍麗?」
「ハイサラマンダーとランドタイラントは、ぼくの戦友がなんとかしてくれそう
 なので、行ってきてもいいですか。もちろん、ぼく一人ではないですけど」
「そうか……すまないがお願いしてもいいか?」
「お任せください! スーミン様。では、行って参ります」
「無理はするなよ」
「はいっ!」
 鉢巻を巻きなおし、深々とお辞儀をして研究所を出る龍麗。あとは、レジェの角とガルディラの鱗……最初は全員で集めるのかと思っていたのだが、分担をして集めることとなり、そこまで心理的負担も重たくはない。
「では、スーミン様。俺たちも行きますか」
「そうだな。早く集めて備えなくては」
「で、でしたら、これを持って行ってください!」
 オルロが手渡したのは、さっきの緑色の物体を詰められた瓶だった。
「しっかりと封をしているので大丈夫です。ガルディラは中和剤の中で一番重要な素材なので、これで相手をぐったりさせてから攻めましょう!」
「そうしたいのも山々なんだが……こっちもぐったりしちゃうのは……」
「でしたら……これを!」
 小さな小瓶に入っているのは無色透明の液体だった。
「本っ当に短時間ではありますが、その薬の効果を無効化できる薬品です。た
 だ、試しで作ったものなので量は少ないのですが……」
「……ん? だったら、この無色透明の液体を大量に作れば済む話じゃない
 か?」
 ニクスがもっともな意見を口にする。短時間というデメリットはあるも、あの脱力感を無効化できるのは素晴らしいと思った。
「えっと……それのレシピ……捨てちゃったんです……どうせ失敗だと思ってい
 たので」
「捨て……た……だと」
 ニクスの場合、魔術の研究をする際はある程度の工程を頭で考えてから発動するかの確認をする。それが成功であれ失敗であれその流れを紙に書いて留めておく。それを繰り返しすることで知識として経験として積み重なっていく。
「……錬金術師なんだよな……オルロ?」
「……はいぃ」
「錬金術師って一番メモを取らないといけないやつじゃんか……それをしておけ
 ば失敗は成功につながる可能性はあるんだぞ?この液体だって、その失敗の産
 物なんだ。今度からメモや記録をとる癖をつけるんだぞ」
「は、はぃい……。あ……ありがとうございます」
 ニクスが珍しく怒っていた。同じ術を扱う者として、そういったことがいつか役に立つかもしれないのだから。口調はやや荒っぽいのだが、きっとオルロはわかってくれる。そう信じているから自然とそうなってしまったのかもしれない。
「とりあえず、まずはガルディラから行きますか。スーミン様」
 ニクスは二つの薬品を大事にしまうと、素材探しに向かうよう促す。シエ・スーミンはオルロに薬の効果を報告することを約束し、残った二つの素材を探すため研究所を後にした。
「そういえば、ご先祖様が前に採取した時の場所がここらしいんで、オルロが印
 をつけてくれました。行ってみましょう」
「ああ」
 地図を頼りに二人は本格的に採取現場へと向かう。
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