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「やあ、どうも。来てくれてありがとう。待ってたよ。弁護士といったら、やっぱり君しか思いつかなくてさ。よろしく頼むよ。まさか、今度は自分自身のために弁護士を依頼することになるとは思わなかったけどな。一つの事件で二度も選任されて、君も結構な収入を得られたんじゃないのか?そんなことない?まあ、いいや。でも、君なら、事件のことをよく知ってるから、安心なんだけどね。
 共犯とはいえ、人を一人殺したわけだから。
 二人以上殺さないと死刑にならないとは言うが、裁判員裁判なら、『犯行は、きわめて計画的かつ冷酷で、死刑もやむを得ない』なんて判決が下されても文句をいえないわけだ。
 冗談めかして言ってるけど、本当は恐怖におののいてるんだぜ。人を殺しておいて身勝手な言い分だと思ってるだろうけど、でも、君だから正直に言うよ。
 千鶴から、旦那を殺して一緒になりたい、と持ちかけられたのが、ひと月ほど前かな。
 千鶴は、愛情の薄い夫に長らく不満を持っていて、別れたいと思っていた。しかし、派手好きな彼女は、夫の資産にも未練があって、自分から離婚を言い出すのをためらっていたんだ。
 そんなところへ、僕が彼女の治療をしたんだが、どういうわけか、彼女は僕を気に入って夢中になった。
 無論、こちらは千鶴と一緒になるつもりはなかった。もっと若くて魅力的な女はいるからな。
 それと、クリニックの経営は順調だったけど、開業するために借りたお金の返済もあるし、僕の収入では、彼女の浪費を支えられるとは思えない。僕自身も、車には金を惜しまない方で、結構、収入のかなりの部分をつぎ込んだりしているんでね。つまりは二人とも浪費家なんだよ。
 そのうち、僕と千鶴の不倫を、藍澤先生が嗅ぎつけたらしいんだ。旦那は旦那で、千鶴とは別れたいと思っていたらしい。先生にもほかに好きな女がいたんだろう。
 証拠写真を突きつけられて、離婚請求されたら、千鶴としては拒むこともできないだろう。多少の財産分与をしてもらうのがせいぜいだ。
 そうされる前に、先手を打って旦那を殺してしまおう、というわけさ。そうすれば、千鶴は旦那の遺産を全額受け取れる。
 もちろん、僕たちが殺したってわからないようにする必要があるのはいうまでもない。毒殺にしようということになった。千鶴が、夫の研究室で青酸カリを扱っていて、自分もたまに研究室に行ったりするので、それをごく微量持ってくることは可能だということだった。厳重に管理しているといっても、結構、雑らしい。
 ではどうやって飲ませるか。青酸カリなんて、誰でも入手できるような代物ではない。すぐに足がつく可能性がある。
 そんなことを考えて思いついたのが、今回の方法だ。
 青酸カリは先生に飲ませるウイスキーに入れておく。ただし、ウイスキーの量は、ボトルの半分くらいにして、凍らせておく。凍ったら、今度は毒の入っていない残りのウイスキーを一部、よく冷やしてから注いで、これもすぐに冷凍しておく。同じことを繰り返す。さらに当夜、最後の残りをよく冷やして注ぎ足し、それをリビングに持ってきて、すぐに僕が飲む。
 こうすれば、凍ったウイスキーはまだほとんど溶けてないし、無毒なウイスキーが同じく氷となって間に挟まってるから、青酸カリが混ざることはないだろう。そこが重要なんだ。もし僕が飲んだグラスの中に少しでも毒が検出されたら、仕掛けがばれちゃうからね。面倒だが念には念をいれたわけだ。もちろん、僕が飲んだグラスはキッチンに置いておいた。僕が飲んだ時に毒は入っていなかったことを示すためだ。
 さて、飲んだ後は、キャップを閉めて、氷が溶けやすいよう、暖炉の近くに置いておく。もちろん、千鶴も僕も、瓶には触らない。先生が戻った頃には、氷が解けているから、それを飲んだ先生は死ぬ。
 まあ、こんなことを思いついた。昔読んだミステリー小説によく似たアイデアがあったのを覚えてたんだ。つまらない小細工だと笑ってくれ。でもこれで僕も千鶴も疑われることはない、と思った。
 でも、誰も触っていないのに毒が入っていたら、かえっておかしいだろ。だから、スケープゴートをつくることにした。岩井奈津子さんだ。
 彼女が一人になる時間を作ろうとした。そこで、大庭さんがトイレに立ったときに、由布子に食器を片付けるように頼んだ。彼女が廊下に出たところで僕がわざと彼女に当たって、皿を落とさせた。千鶴もそれを合図に飛び出してくる。岩井さんにはそのまま、席にいるように指示し、彼女を一人にさせておく。
 もちろん、そんなことをしたからといって、岩井さんが認めるはずはないと思ったんだが、彼女が先生に惚れていて、しかも先生の方は、彼女を避けていることを、千鶴が大場さんから聞いて知っていた。彼女が認めなくても、先生を逆恨みしての犯行という動機はある。
 何てひどい男だと思うだろ。今自分で話しててもそう思うくらいだからな。まあ、かつて自分をあっさり振った女だ。そのくらいの復讐はしてもいいんじゃないかって、軽く考えただけなんだがね。
 でも、まさか、彼女が、自分がやった、と言い出すとは思わなかった。うれしい誤算だった。彼女はどういう気持ちでそんなことを言ったんだろう。先生に罪悪感があったのだろうか。それとも、自分への嫌疑から逃れられなくて、いっそのこと、と思ったんだろうか。
 え、彼女は、ウイスキーに毒が入っていたのを知っていた?
 僕が普段酒など飲まないのに不自然だと思ったのかな。地震のとき、まだ溶けきってなかったウイスキーの中身の揺れ方が不自然だったのと、瓶が結露しているのに不審を抱いたっていうのかね。
 よくわかったな。まあ、彼女、異様に頭の切れるところがあったから。とにかくあのウイスキーはおかしい、と思ったってわけだね。研究室から青酸カリが少量なくなっていることも、先生から聞いて知っていたんだ。
 僕もついつい、ウイスキーが気になって目線を送っていたし。中身の様子がわからないかと思って黒い瓶を選んだんだが、照明の具合で透けて見えたんだな。よく見てるよね。
 結露の方は誤算だった。いや、本当はそれを予想して、瓶の下に布巾を敷くつもりだったんだが、つい、慌ててテーブルの上にじかに載せてしまった。確かに、岩井さんが瓶を触ろうとして、千鶴が慌てて取り上げて、水滴のついた瓶と、濡れたテーブルをさっと拭いたんだよな。僕もそれを見て、少々慌てたよ。
 
 でもそうするとさ、気づいていながら、先生が飲もうとするとき、あるいは飲んで、変な味がしたと言ったとき、直ちに何らかの行動をするべきだったのに、彼女が黙って見ていたのはなぜなんだ?
 先生は彼女を避けるために、癌で死にたい、なんて言ってたのか。それで、先生を死なせてあげようとした。だから見過ごしたってわけね。でも、結局後悔して、これは、自分が殺したのも同然だから、罰を受けるべきと考えた。……なるほど。わかったようなわからないような。
 でも、彼女にとってみれば、先生が飲んだ時点で、ウイスキーに青酸カリが入っているとまでは断定できなかったんだし、現実に罪にとわれることはないだろうな。
 え、彼女、自分も、藍澤先生を殺そうと思って、青酸カリを用意していたんだ。会社の研究室から盗んだって、嘘だろう。その日は家に保管していたんだ。
 まったく、とほほだね。だったら、僕と千鶴は黙って待っていればよかったんだ。そのうち、岩井さんの方で、先生に毒を盛ってくれたわけだから。まあ、毒を入手したからといって、僕のように、本当に実行できたかどうかは、わからないけどさ。
 先生の件はこれくらいでいいだろう。千鶴の事故に関しては、まったくの偶然だった。千鶴が中々帰ってこなかったのは、先生が死ぬところを見たくなかったからだ。『そのとき私は出て行くからね』って前もって言っていたし。僕の提案した小細工に賛成したのも、自分が不在でも済むからだった。
 先生を迎えに行くと言って出かけ、わざといつもと違う場所で待っていて、先生が一人で帰った頃を見計らって、戻ろうとした。でも、運悪くトラックに追突された。こんなこともあるんだね、まったく。
 もし千鶴が無事に戻ってきてたらどうしてたかって?
 別にどうもしないさ。千鶴が遺産を相続する。僕は千鶴と結婚する。でも、千鶴はまもなく死んで、僕は由布子と結婚する。そんな筋書きだった。
 千鶴を殺しはしないさ。
 癌だったのは、藍澤先生じゃなくて、千鶴の方だったんだ。もちろん、千鶴も知っていたよ。でも、僕以外には黙っていた。先生にもだ。余命半年とかって言ってたな。
 じゃあ先生を殺して僕と一緒になったって意味ないじゃないかって?
 僕もそう思った。でも、千鶴は、死ぬ前に、一度でいいから本当に好きな男と一緒に暮らしたい、と思っていたんだ。たとえそれが一日でも一週間でも。
 本当は、愛情に飢えていたんだ。浪費も、愛されない代償だったと考えられる。純情で愛おしいじゃないか。僕も、そこまで言われちゃ、千鶴を見捨てるわけにはいかないと思ったよ。少しくらいなら一緒になって、彼女の死に水をとってやろうとね。
 僕も、決して血も涙もないわけじゃないんだぜ。もちろん、藍澤家の資産も魅力的だったけどね。
 彼女は、僕に迷惑がかからないよう、夫を殺すのはすべて自分がやると言った。彼女にしたら、自分が死ぬときまでに犯人が発覚しなければいい、というつもりだったんだろう。確かに、僕は青酸カリをまったくいじってない。千鶴の単独犯だったと主張してもいいくらいなんだが、もちろん、プランニングしたのは僕だし、罪を免れるつもりはまったくないよ。
 でも、千鶴が不慮の事故で亡くなってしまっては、すべてが水の泡さ。しかも時刻的に、千鶴の方が先生より前に亡くなったらしいから、遺産は配偶者の千鶴を通すことなく、すべて先生の姪の由布子のものになる。そうしたら、由布子は、僕のような中年男には目もくれないだろう。すでにそうなってるけど。半分、金の力で付き合っていたようなものだから。
 もう、彼女のことはあきらめている。
 しかし、彼女に間違ってメールを送ってしまったのは、悔やんでも悔やみきれないよな。アドレスのリストが隣り合ってたんだ。しかも、君に言われるまで、気づかなかったんだから、救いようがない。肝心のところが抜けてるんだよな。
 まあ、僕もそこまでの人間だったということかな。彼女『KCN』の意味を知らなかったって?まあ、理系じゃないからな。
 でもさ、どうでもいいことだけど、あんな大文字だけのシンプルな化学式って珍しいと思わないか? カリウム、炭素、窒素って、どれもこの地球上にありふれた元素だし、人体を構成する要素にもなっているけど、結合すると、突然、最凶の猛毒になる。それに最近、『KCN』って、自分の名前の謙三、それに千鶴、さらに藍澤先生の名前直孝の頭文字じゃないか、ってふと気づいたんだけどね。いや、『N』は奈津子さんかもな。なんてことを言っている場合じゃないか。
 なぜ君を岩井さんの弁護人に呼んだかって?君しか知っている弁護士がいないから、というんじゃだめなのか。あ、そう。
 僕が岩井さんに振られたのは、岩井さんに他の本命がいたからだが、それが何を隠そう、君だった。知っていたさ。もちろん。
 別にいつまでも君を恨んでいたわけじゃない。君も結局、彼女とは別れてしまったわけだし。ただ、君に、かつてつきあっていた女の弁護をさせてみるのも一興だろう、と考えたまでさ。彼女の方が君を振ったっていう話を聞いたけど、岩井さんの方は、君に洗いざらい喋るのを躊躇する結果、本当に有罪になってしまうかもしれないし、君は君で、まだ独身のところをみると、自分を振った女に未練が残っているんだろう。その女の不倫にまつわる不愉快な告白を聞かされなけりゃならない。まあ、ちょっとした嫌がらせだよ。
 あきれたような顔をしているね。
 いいさ。どうせ、僕はこんなふざけた男なんだから。最後までふざけたまま、刑を受けるんだろうよ。
 あと、岩井さんも、劇物を無断で持ち出したわけだから、会社はクビになるだろうし、それ以前に刑事罰も免れないだろう。君が面倒みてやるしかないんじゃないか?
 まだ何かあるのかい?
 藍澤先生も、青酸カリが入っていることを知って飲んだ可能性があるって?
 うーむ……確かに、変な味だと言いながら、お代わりまでして飲んだんだよな。しかも、先生は、研究室から青酸カリが少量なくなっていることも知っていた。頭の回転の早い先生のことだから、一瞬のうちに真相を見破って、なおかつ、あえて飲んだというのはあり得ない話じゃない。
 若年性アルツハイマーで悩んでいたから?うーん。
 もしそうだとすると、僕の罪も若干軽くなる可能性があるけど、でもそれを立証することは難しいだろう。死んじゃったんだから、そんなの証明できないよ。というよりさ、もしそうだとしたら、僕と千鶴は何もしないで、藍澤先生と岩井さんの二人に任せておけばよかったってことじゃないか。まったく。ひどい話だ。
 あーあ。喋りすぎて疲れた。もういいよ。どうなってもいいから、公判、よろしく頼みます。
 あ、どうでもいいけどさ、眠ると決まって出てくるのは千鶴のことなんだよな。千鶴が僕のことを呼んでいるのか、と思って気味が悪くなったんだ。でも、そのうち、千鶴の顔を見ると、どういうわけか、気分がほっとするようになった。何だかんだ言って、僕は千鶴のことが好きだったのかなと思う。
 僕も千鶴のところに行った方がいいのかもね。いや、冗談。
 じゃあ、そんなわけで。また、次の接見を楽しみにしているよ。
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