第2話 抜け殻斗飛への百出哲則の助言①

文字数 3,371文字

 五時間の授業を終え、斗飛は抜け殻のようになって教室のイスにへたり込んでいた。目の前には子どもたちから集めた夏休みの課題やら提出物が積み重ねてある。教室の時計に目をやった。午後三時半をさしていた。子どもたちが帰って二十分が過ぎようとしていた。子どもたちが帰った後で、放心状態で時を過ごしてしまったようだ。
 廊下からスリッパの足音が聞こえてきた。廊下に目をやる。独自の教育論を持ちセオリー百出と名づけている六年担任の百出だ。百出は教室にたたずむ斗飛を目にすると、前の扉から宿題が入ったかごを抱えたまま入ってきた。
「おう、十五ラウンド戦い抜いたボクサーみたいだな」
セオリー百出が声をかけてくる。抱えていたかごを床に置いた。
「いやあ、玉蘭小五年生の洗礼を浴びましたねぇ」
斗飛はため息まじりに答えると、天を仰いだ。
「玉蘭小の三年と五年は特に個性的な子が多いからね。今日は学級開きで精一杯だっただろ。まあ、慣れないうちは余計なところに力が入ってしまうから無駄も多い」
百出は笑顔で言った。
「はい。子どもたちの自己紹介のくだりだけで疲れ果てました。孤軍奮闘ってやつです。まあ、僕を守るべき守護霊がクリオネでは全然歯が立たなかったですね」
「守護霊? ははは、城零ちゃんの霊視だね。そういえば去年、僕の守護霊も教えてくれたよ」
「えっ、百出先生の守護霊は何だったんですか」
「うぅん、メダカって言ってた」
百出はそう言って思い出し笑いをした。
「へえ、我々は魚類に守られているんですね。まあ、クリオネよりは強そう。霊視料は払ったんですか?」
斗飛は苦笑してたずねた。
「いいや、ただだったよ。勉強教えたからかな」
百出は首をひねりながら答えた。どうやら料金設定はレーバイ零の気分しだいらしい。
「ところで授業の方はうまくいったかい」
百出がたずねる。
「国語の時間に伊都さんから漢字の書き順違いを五カ所、計算間違いを廉人くんから三カ所指摘されて、指導主事の娘である笹津益代さんにしっかり報告メモされました」
「うぅん、出だしの印象としては最悪だな。まあ、益代の親は指導主事だからプレッシャーあるだろうけど、まあ最初はそんなもんだ。特に君の場合、採用試験が終わってすぐで、ろくに授業の準備もできてないだろう。勝負は仕事に集中できるこれからさ。今後は事前にしっかり準備して授業に臨むことだ」
「はい。ところで、教頭先生が最初の三日が黄金の時って言ってましたけど。どういう意味ですか」
「新しい先生になると、子どもたちはどんなことを考えると思う?」
「えっ、怖い先生か優しい先生か、とかですか?」
「まあ、単純にそう分類する子もいるだろう。大事なのは何に厳しく指導をして、何にゆるいのかってことだ。誰だって新しい担任には気に入られたい。だから、新担任が叱るようなことはしたくはない。でも、できるだけ手は抜きたいとも考える子もいる」
「なるほど、楽して気に入られたいと」
百出はうなずいた。
「もちろん誰が担任であろうと信念をもってやるべきことをやる子もいる。しかし、自分の甘い気持ちに流されるのが子どもというものさ。だから新しい担任になると、たいていの子どもたちは探りを入れてくるんだよ」
「どういうことですか?」
「新しい担任になると、子どもたちの中にどこまで楽ができるか試す者が出てくるんだ。時間にルーズになったり、私語をしてみたり。この先生はどこまで許してくれるかなってね。そこで甘くしていると、子どもたちは徐々に手抜きの範囲を広げてくる。ある子の手抜きが黙認されたら別の子もまねをしだす。そうやって次々にルールが崩壊していく。そして気づいたら修復不可能なレベルになるのさ。一度ゆるんだルールを元にもどすには数倍の労力がいるからね。論理をこねくり回すだけでは難しいんだ。だから最初のうちにそういうシグナルにきちんと対応しておかないといけない。こういうことをしたらしっかり叱りますよ、というのをはっきり示しておく必要があるんだ。今日は子どもたちが先生を試すようなことなかったかい」
斗飛はあごに手をやり下を向いた。
「ああ、そういえばありましたね。零さんの居眠り、仁くんの授業中トイレ、武威くんの私語と雄叫び、佳代さんの授業中投げキッス、複家くんの職員室盗聴未遂……」
百出は次々飛び出すシグナルに膝をカクンと落とした。
「ありすぎだねぇ。一つ一つをきちんと指導しないとね。でも、毅然と対応すれば大丈夫さ。子どもたちのシグナルを見逃さない。これは最初の三日間の鉄則だ。あと、サイレントマジョリティの法則というのがある。それも知っておくといい」
「えっ、何ですか、それ」
斗飛は目を見開いて百出を見た。
「二・六・二の法則と呼ばれる集団の階層を示す原則だ。どんなクラスにも、クラスの進むべき道を見出してみんなを引っ張ろうとする層、言い換えればポシティブ層が二割いる。それが最初の二だ」
「ああ、廉人くんや伊都さんみたいなタイプですね」
斗飛は学級委員二人の名前を挙げた。百出は軽くうなずいて話を続ける。
「そして、逆に集団の動きに関係なく我が身を行き、ときには集団にとってマイナスになる動きも厭わない層、まあネガティブ層ともいえるな。こちらも二割いる」
「はあ、なるほどですねぇ」
斗飛は頭の中で何人かの顔を思い浮かべた。予備軍も含めると相当な人数になりそうだ。
「最後にその二つの層にはさまれ、その時々の空気に流されながら同調する層、サイレントマジョリティといえる子たちが大部分の六割いる」
「それが真ん中の六ですね」
斗飛の問いに百出はうなずいた。  
「ポシティブな二割には、スーパーリーダーや、人望のあるサブリーダー的な子がなる。ネガティブな二割には、残虐なリーダー、自己チュー、何を考えているかわからないような子がなる可能性が高い」
「残虐なリーダーってなんかこわいネーミングですね」
「まあな。こいつがやっかいなんだ。こういうタイプはリーダー性を持っている。しかし、共感力がないから、時に非情な決断をしてみんなをそちらへ引っ張ろうとすることがある。たとえば、クラスメート、時には教師へのいじめを扇動するとかね。これに高知能が加わっていればやっかいで、陰のリーダーとして暗躍してなかなか尻尾を出さない」
「なんか怖いなあ。うちのクラスにはそんな子はいないですよね」
斗飛は思わず顔を歪めた。
「それはわからないよ。表面上はいい子を演じていて裏では別の顔を持つという子もいるし、その逆もある」
百出は真顔で答えた。 
「ポシティブとネガティブはわかりました。じゃあ、あとの中間層の六割は目立たない子ですか?」
「いや、そういうわけじゃない。いわゆるお調子者とかいじられキャラ、それにいいヤツと思われている子たちが属しているんだ」
「はあ。仁くんとか忍さんみたいなタイプですかね」
「たしかに、仁はお調子者だし、忍はいいヤツタイプだね。この層に属している者は場の空気に応じてポシティブ派にもネガティブ派にも流されていく」
「それじゃあ比率が変わるじゃないですか」
「そうだ。油断すれば二・一・七という比率にもなり得る。そうなったら学級崩壊だ」
「ネガティブ七割! えっ、そうならないためにはどうすれば」
「中間層やネガティブ層に失望感を与えないことだね。教師ってのは、ポシティブの二に目が行きやすい。リーダーを育てようと手をかけすぎることもある。そうすると残りの者の中にはひがみをもったり、どうせ自分はと投げやりになったりする者が出てくる。はじめはおとなしかった子が後半になるとだらしなくなって、先生の言うことを聞かなくなるってことも起こってくる。すると、そういう部分を強く持つネガティブ派が不満を持ちだしたサイレントマジョリティを扇動しだす。すると、教師を見限った者たちがネガティブ派に流され出すんだ。教師への反抗に加勢したり、いじめに加担したりしだす。だから、ネガティブ派はもちろん、六割のサイレントマジョリティにもしっかり目を向けて認め、励ます声をかけてポシティブな考えをもつよう導いていくことが必要なんだ」
「なるほど、僕も学級委員の廉人くんや伊都さんをクラスの中心にすえようと思っていたので、頼りすぎないように気をつけます」
斗飛は腕組みをして答えた。
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登場人物紹介

斉南斗飛……大学卒業後、中学校講師を経て玉蘭小学校に臨時採用教員として赴任する。

百出哲則(ひゃくで てつのり)……6年担任で斉南斗飛をサポートする。35歳の男性教諭。独特の教育哲学を持っている。

厚木心(あつきこころ)……4年担任。筋肉とプロテインを愛する体育主任。斗飛におせっかいとも思えるアドバイスをしてくる。そのほとんどは教師としての肉体強化に関することであり、教育に関しては精神論が多い感じである。熱い心を持つ猪突猛進型熱血漢。

小松麗子……3年担任で斗飛と同じく臨時採用。斗飛にとっては唯一の年下の教師である。容姿端麗でマドンナ的存在。

名丹亭複家(めいたんていほうむず)……斗飛が担任する5年生児童。探偵一家の次男坊。兄は金太一(きんだいち)。妹は美須(クリスティが生んだ女性名探偵ミスマープルの敬称のほうを名にもらったようだ)。複家でほうむずと読む理由は、家がホームで複はその複数形ということでホームズだそうである。名前に負けじと、数々の事件に頼まれなくても自らの推理を披露する。趣味は盗聴、盗撮、尾行で担任の斗飛をターゲットと宣言しているのが頭痛の種。

城零(じょう れい)……斗飛が担任する5年生。霊媒師のごとく、霊が見えるという前髪を目の下まで垂らした女子。その特技から斗飛はレーバイ零と密かに名づける。初対面で斗飛の守護霊がクリオネだということを指摘する。事後請求の三千円はまだ払っていない。

岩須武威(いわす ぶい)……斗飛が担任する5年生。特技はドリフト走行(ただし使うのは祖父の耕運機らしい)。モットー? は『ブイブイ言わす』自称ヤンキーだが根は優しい?

江久瀬廉人(えくせ れんと)……斗飛が担任する5年生男子。学級委員を務める。エース廉人と密かに呼ぶ。将来の夢は医者で特技は板書された漢字間違いや計算間違いを発見することである。ゆえに板書中に廉人の声が聞こえると斗飛はビクッとしてチョークを折りそうになる。

江利伊都(えり いと)……斗飛が担任する5年生女子。廉人と同じく学級委員を務める。将来の夢は弁護士で、特技は話における文法的誤りや論理的矛盾点を見つけること。この特技により、斗飛は話している最中に伊都の声が聞こえるとビクッとして舌を噛む。

波野仁(なみの ひとし)……斗飛が担任する5年生男子。特技はボケることというがほぼ天然である。その発言はツッコミどころ満載なため、斗飛は密かにツッコミ仁と名づける。

平目清(ひらめ きよし)……斗飛が担任する5年生男子。特技は発明というが実際に発明した物についてはぶ厚いベールに包まれている。

綾小路華恵(あやのこうじ はなえ)……斗飛が担任する5年生女子。綾小路財閥の一人娘。赴任した初日から執事の炭屋嘉(すみやか)を同伴し驚かせる。斗飛は密かにゴージャス華恵と命名。誰も邪魔できない我が道を行く、お嬢様。

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