第4話 玉蘭小五年生の乱? 連休明けはつらいよ① 幕開け
文字数 3,731文字
学校について取り沙汰されるニュースの中でもよく見かける話題だ。斗飛もインターネットでニュースを閲覧すると、決まって教員の不祥事や児童生徒の荒れに関する記事が出てくることが気になっていた。情報にあふれる今の時代、不手際をしてしまえば、あっという間に世間に知れ渡り信頼回復に長い時間を要する。そういうこともあり、斗飛は着任してからの二週間、しっかり教材研究をしてから毎日の授業にのぞんだ。
初めて経験する国語の授業に関しては、赤刷りと呼ばれる教師用指導書を手本に無難に進めていった。どの教科も板書することを事前にノートに書いておくことで、エース廉人からの誤字、計算ミスの指摘は最小限に食い止めた。
懸念されていた音楽などの技能教科については、音楽、体育ともに子どもたちが大好きなため、子どもたちの意欲につられる形でうまく進められている。
また、慌ただしさから雑務におけるミスを連発することもあり、ササッツ益代から指摘を受けることもあったが、ゴージャス華恵の「それくらいいいじゃん」という一言でメモされることをこれまた最小限に食い止めている。
怒濤の二週間だったが、なんとか無難に乗り切り九月の三連休に至った。
敬老の日を含む三連休を終えた火曜日の朝。花壇のマリーゴールドは、これまでの猛暑に疲れ切ったかのように葉や花のみずみずしさを失わせていた。根元の葉は茶色くからからになっている。校庭の木々も黄色になった葉を次々に落としだしていた。
斗飛は職員室でセオリー百出やマッスル厚木とともに始業前の準備を進めていた。
「三日も休みがあると体力は回復するけど、なんか気分は重いですねぇ」
斗飛はため息混じりに隣の理論派教師、セオリー百出に声をかけた。
「ああ、また一週間が始まるとか、三連休が終わってしまったという気持ちの方が大きいからな。休みでリフレッシュはできたのかい」
百出は苦笑いを浮かべてきき返してくる。
「ノート見たり授業の準備をしたりで、まあ半分くらいですかね」
斗飛は肩をすくめて見せた。
「連休明けは子どもたちの生活習慣も乱れがちだ。また一からのつもりでやることさ。まっ、わかってるだろうけど、これ使いな」
百出は付箋に書いたメモを渡した。受け取って見る。給食当番の交代確認に宿題のチェック、名札と爪検査など休み明けの必須事項がずらりとならんでいた。斗飛は深々と頭を下げるとその付箋を指導簿の表紙に貼り付けた。すると、向かいに座るプロテイン愛飲家の筋肉マッチョ、マッスル厚木がちらとこちらを見て自分も何やら書き始めた。
「俺のもとっとけ。放課後用だ」
そう言って厚木も付箋メモをわたしてきた。百出のと対照的に数字がずらりと並んでいる。斗飛は百出にも聞こえるように声を出して読んだ。
「腕立て五十回、腹筋と背筋百回……気持ちだけ受け取っておきます」
斗飛はすげない会釈をしてメモを受け取ると、二度と見ないであろうプリントがため込まれた二段目の引き出しにすべりこませた。それに気づかない幸せ者の厚木がさらに話しかけてくる。
「いやあ、九月といってもまだまだ暑いのう。地球温暖化を肌で感じるぜ。今朝なんて起きたときの体温が三七度超えてたからなぁ」
「それは風邪ですよね」
斗飛は上目遣いで厚木をちょいと見た。
「気温が高くなりゃ体温も高くなるだろ」
「それは変温動物ですね」
連休明けに朝から日常会話を楽しんでいる余裕はない。斗飛は百出が「さっ、教室へ行かんとな」と言って教室へ向かおうとしたのをきっかけに、自分もそそくさと席を立った。すると、厚木が 野太い声でたずねてくる。
「ところで斉南、今朝の新聞見たかい?」
野太く耳に響くだけに聞こえないふりもできない。
「いえ、まだですけど」
頭の中でスポーツ面からの話題確率六割とはじき出される。ちなみに三割は天気とテレビ欄だ。緊急性はないはずである。斗飛は苦笑いでやり過ごそうとした。
「ほら、ある県で五年生が先生に反発して授業を集団ボイコットした事件だよ」
意外なことに社会面からの話題だった。斗飛は教室へ歩きだそうとする足を止めた。
「えっ、そんなことあったんですか」
斗飛は思わず厚木の顔を見た。五年生というのが気持ちをさらに話へ引き寄せる。
「ああ、中心になってたのは四、五人の子どもたちだったらしいけど、周りの子どもたちがびびって「いや」とは言えなかったらしいぜ」
そう言って厚木は学校がとっている新聞の記事を見せた。指さす部分を見ると「教師の授業を集団ボイコット」と書いてある。
「へえ、で、いつまで続いたんですか」
「三日」
厚木は指を三本立てて見せた。
「えっ、三日も?」
斗飛は口を閉じるのも忘れる。厚木の顔をまじまじと見た。
「そうだよ、三日もボイコットしたから新聞に載ったんだよ」
「三日も学校側は何もしなかったんですかね」
「担任もその事実を隠していたらしくてなぁ。子どもたちが指示に従わない中、ひとりで黒板に文字を書いていたらしい。斉南のところは子どもたちに反発のきざしとかないかい」
「うちは大丈夫ですよ。学級委員からして正義感の塊みたいにしてますから」
斗飛はぎこちなく笑いながら親指を立てて大丈夫のサインを見せた。
「そういうやつが何かをきっかけに反発しだすってこともあることだぜ」
「えっ、いやいや、大丈夫ですよ。じゃ、遅れるので教室行きます」
斗飛は厚木につくり笑顔を見せたまま職員室を出た。
それにしても週の初めからちょっと嫌なことを知らされた。大丈夫とは言ったが、特に連休明けの朝っていうのは週末からの子どもたちの変化が気になる日である。中には夜遅くまでゲームをしすぎて眠そうにしている子もいるし、休みが終わったショックでげんなりしている子もいる。朝、一人一人の状況を把握して、会話などを通してこちらのペースに引き込むまでは不安だらけである。それに加えて他校でのボイコット事件を知らされれば、気持ちはますます落ち着かなくなる。
途中、体育館へ向かう四年生の子どもたちとすれ違った。体育館で健康観察と朝の体操をするのが厚木クラスの日課だ。体育主任の厚木らしい。
斗飛は四年生の子どもたちと挨拶を交わしながら先週の自分の行動を振り返ってみた。五年の子どもたちに反発されるようなことはしていないはずだ。それにクラスには学級委員でしっかり者の二人がいる。斗飛は動揺を押さえるように深呼吸をした。
「ボイコットとかされるようなことはしてない、大丈夫。エース廉人とヒロイン伊都もいるし」
斗飛はそう自分に言い聞かせながら教室への階段を上りはじめた。変な気持ちを吹き飛ばすように、二階への階段をひょいひょいと上っていく。週の始め、気持ちは重いが体は軽い。
踊り場まで上がると、階上の廊下へ目を向ける。そのとき、斗飛は二階廊下の陰に、こちらをうかがう人影を感じた。その影は斗飛の姿を認めると、すばやく身を隠した。誰かはわからない。パタパタと上靴の音が遠くなっていく。教室へ逃げたらしい。
斗飛は加速モードで残りの階段を駆け上がり廊下に躍り出た。誰もいない。早足で五年教室へと向かう。競歩選手のようにお尻をふりふり教室へ近づいていく。すると、あと数メートルというところで、教室から出てくる五年生たちに出くわした。ほぼ全員だ。
「うわあっ、おっ、おい、どうした。一時間目が始まるぞ」
斗飛は驚いて先頭にいたエース廉人を引き留めた。
「あっ先生、突然ですが、僕たち話し合いの結果、一時間目は体育館でドッチボールをすることになりました」
廉人がいつもと変わらぬ、はきはきした口調で言う。
「へっ、ちょっと待て、一時間目は国語だろ。なんで突然ドッチボールになるんだ」
「さっきみんなで多数決をとって決まったんです。今日から五年生は民主主義的に時間割を決めることにしました」
「はあっ? 自分たちの好きな教科だけやるわけにはいかないよ。カリキュラムは決まってるんだから」
斗飛は目を白黒させて言った。廉人以外に説明を求めようと一人一人に視線を移す。皆、斗飛と目を合わせようとしてくれない。
「とにかく、僕らは体育館に行きます。先生も来たければどうぞ」
廉人が冷たく言い放ち去って行った。
「ちょっ、ちょっとまっ、待て」
斗飛はうろたえながら両手を広げ、他の者を引き留めようとした。しかし、ざるからこぼれる水のように子どもたちは隙間をくぐってエスケープしていく。ついには体格のいいナルシス佳代だけが残った。行くかどうか迷っているように見える。
「かっ、佳代さんは残るよなぁ」
斗飛は握手をもとめるように手を差し出した。
「ごめんなさい」
ナルシス佳代はぺこりと頭をさげると、ツンとして横を通り過ぎていった。佳代に告白を断られた気分だ。どうやら迷いは移動の面倒くささとの天秤だったようである。
「なんなんだこれは」
斗飛の顔が思わずゆがむ。そのとき、職員朝会の後で厚木が話していた事件が頭をよぎる。これはまさにボイコットではないか。クラス全員がいきなり反旗を翻したのだ。斗飛は動揺で足がわなわなと震えた。しかし、このまま引き下がるわけにはいかない。斗飛は子どもたちの後を追って、体育館へと走った。