第4話  追加の話 3

文字数 1,942文字

夕方になっても温度が下がらない街をとぼとぼと歩いて帰る。
今から本社に戻って報告を上げなくてはならない。・・のだが、もう今日はこのまま帰ってしまおうと思った。私は部長に電話を入れて、会合の簡単な説明と今日はこのまま帰ると言う事を伝えた。部長は快諾してくれた。

学童クラブを出て来る時にミレア子が私に言った。
「吉田さんってバリバリなのね。・・まあ、私は結婚して出産育児があったからね。育休もゆっくり取った方がいいよって夫が言ってくれたから、一年間はのんびり子育てをしていたの。夫は子育てにすごく協力的だから、これから私も頑張って上を目指すわ」

「でも、やっぱり家族が一番ね。・・・家族はいいわよ。心の支えになるもの」
ミレア子は笑ってそう言った。
「お幸せそうで良かったですね」
私はにっこりと微笑んだ。
「そうよ~。すごく幸せなの~。優しくて素敵な夫と可愛い子供。あなたも早く・・あら、御免なさい」
ミレア子は勝ち誇った笑みでそう言った。
私はフフッと笑って「あなたは相変わらずね。・・・じゃあ。帰ります。お邪魔しました」と返した。

自分の顔が引き攣っていなかった事を祈ろう。


道の途中でペットボトルの水を買う。
それを飲みながら歩いた。
歩きながら昔の事を思い出していた。
ミレア子と私は同期で入社した。彼女と私はライバルだった。仕事も、そして何故か恋愛も。
私は首を傾げる。
私の恋愛にいつの間にかミレア子がライバルとして登場していたのだ。今だにその経緯がよく分からない。まあ、今更分かっても、何の益にもならないのだけれど。

 檜扇 渡は私達の二つ先輩だった。実を言うと彼も「乗り鉄」で私達はとても気が合った。私達は付き合っていて、二人でよく電車の旅をした。地方のローカル線やSLにも乗った。
そのまま行けば婚約して結婚と言うはずだったのに・・・。何故かミレア子に横取りされてしまった。彼が結婚をして転勤先の広島に連れて行ったのは私では無くてミレア子だった。

 電撃結婚だった。
 私は愕然とするばかりだった。
 社内恋愛はご法度ではなかったが、やはり同じ部署と言う事で付き合いを秘密にしていた。
だから、誰も私と檜扇が付き合っていた事を知らない。
流石にミレア子は知っていただろうけれど。

 彼は二股をかけていたのだろうか?それに私が気が付かなかった?
結婚相手としてどちらがいいか、私とミレア子をずっと比べていたのだろうか?
それとも私の事を単に嫌いになっただけなのだろうか・・・。
理由は聞けなかった。聞く気力が無かった。結婚してしまったら、もう何も言えないと感じていた。彼とミレア子はさっさと広島に行ってしまった。
 暫くして、私は昔からの友人に話をした。彼女は私の代わりに憤慨してくれた。怒髪天を突く勢いで二人を非難した。私は嬉しかった。持つべきものは友人だと思った。
何故なら私はその時落ち込むだけで憤慨することすら出来なかったから。

 時が過ぎて怒りが湧いて来た。
 私はこんな風に反応が人よりワンテンポもツーテンポも遅いのだ。

 ミレア子が甘い新婚生活を送り、妊娠し出産し子育てをしている間、私は失恋の悔しさをバネに仕事に邁進した。失意をエネルギーに変えたのだ。そして今の私が出来あがった。だから私の神経は鋼だと密かに自認するのだ。

檜扇一家は一年前に東京に戻って来た。
(来なくていいのに・・・)
檜扇渡は本社の営業部の課長である。営業部とはフロアが違うので彼と会う事も無い。会ったとしても別に何でもない。もう遠い過去の出来事だから。でもまあ会いたくはない。ミレア子にも会いたくないのに・・。
私はため息を付いた。

T町の駅に向かう道には花壇があって低木の植木が植えられている。いつもは緑濃く、生き生きとしているのに、この暑さで雨も降らず、からからに枯れて、大部分が茶色に変色していた。
人間は暑ければクーラーをつけて公園の水場やプールで遊べるのに、天水を待つばかりの植物は気の毒だと思った。もう何日も雨が無いからどこの植物も枯れ枯れである。
「水を掛けてあげればいいのに・・・」
そう思いながら、ペットボトルの残りの水をかけてやる。
「ちょっとした夕立があるといいのになあ・・」と思った。

炎天下の東京砂漠・・・何だか、心の中も砂漠だわ。そう思った。
今度の休みには只見線でも乗って来ようかしら・・・。
そう決めたら心がちょっと上向きになる。帰ったら予定を立てなくては。
独身者のいい所はこうやって気儘な旅が出来る事である。家族も、そりゃあ勿論いいだろうけれど、この自由さは中々捨て難い。自分で稼いで自分で遣う。自分の時間を自分で管理する。結婚したくなったら婚活サイトにでも登録するわ。



数日後夕立が降った。
「降れば土砂降り」。その言葉が頭に浮かんだ。



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