第4話

文字数 1,857文字

「これ、おばさんから」
 礼子さんがお弁当箱のフタをあけると、キツネ色のいなり寿司がお行儀良く並んでいました。
「いただきまーす」 
 キャンパスの食堂で、私と礼子さんはママのお弁当をはさんで昼食をとりました。節分に「フレンズ」で恵方巻きを食べさせてもらった時、「今度はいなり寿司を作るわね」といっていたママが有言実行。いなり寿司を作って礼子さんに持たせたのでした。
「やっぱり人と一緒に食べるとおいしい」
 お店でごちそうになる時も、下宿のワンルームで一人で食べる食事より格段においしい、と、私はいいました。
「祥子って、ウチの店が家みたいだね」
「うん。ずいぶんお世話になりました」
 あと何回、「フレンズ」でママの手料理を食べられるだろうと思うとさみしくなりました。私は大阪のメーカーに就職が決まっていて、卒業後は大阪市内で一人暮らしをする事になっていました。
「実家に帰らないんだね」
「うん。家、嫌いやねん」
 私は母が嫌いで、母のいる家も嫌いだと礼子さんに話しました。
 私には二つ年下の弟がいて、母はあからさまに弟をエコヒイキしました。幼い頃の私は少しでも母に好かれようとしたものです。
 男の子だからといって弟のほうがごはんは多め。おやつだって弟にはおまけがつきます。弟が国際会議などで活躍する同時通訳になりたいというと母はヘソクリからポンと英会話塾の月謝を出します。
 母親は息子に嫌われたくないものだと人から聞いた事がありますが、うちの母の場合、息子が可愛くてしかたがないというよりは私への当てつけでした。
 第一子である私の子育ては失敗したと思うらしく、自分の失敗作を見るのが腹立たしくて母は私をないがしろにする、と、私は礼子さんに話しました。
「でもさ、祥子がC女子短大に入って、一人暮らしをしたいといったら、お母さんは賛成してくれたんでしょ? それって理解じゃない?」
「表向きはね」
 と、私はいいました。
 母が私の一人暮らしに賛成する時、再来年受験を控えた弟のためにも家が静かになっていい、といいました。また下宿の家賃と仕送りで家計の出費は増えるけれど、洗濯や食事が一人分減るなら得した気分ともいいます。言葉の端々に嫌味を含ませて、母は事ある毎に私を傷つけてうっぷん晴らしをするのです。
「それって、家にお父さんは存在感ない感じ?」
 礼子さんは察しよく、私の家には父親の居場所がない事をいい当てました。私が中学生の頃、愛人の家に入り浸りになった父は、その時の負い目から母にはめったに意見できず家では小さくなっていました。
 母は孤独だった、と、今ならわかります。さみしくてさみしくて、家の中で自分を誇示しなければ生きていけなかったのです。
 暴力を使った虐待こそしないけれど、言葉を駆使して私を心理的に虐げて、母はどうにか自分を保っていたのでした。
 そんな母の暴力から自分を護ろうとして、私は言葉の裏側を読む癖を身につけたのでしょう。
 私が柄にもなくお嬢様学校のC女子短期大学を受験したのは、実家から離れたところにキャンパスがあるからでした。
 母から離れたら自己評価の低さや僻みやすい性格が少しはマシになるだろうと自分が変化する事を期待したのです。
 そんな私がお母さんと仲良しなC女子たちに出会うとは皮肉な事でした。
 一年の時、この食堂で開かれた新入生歓迎会の事を私は礼子さんに話しました。あの時はC女子たちの友だちみたいな母娘関係に驚かされた、と、卒業を前に短大生活を振り返りました。
「友だち母娘(おやこ)ね」と、礼子さんは頷き、「彼女たちも、仲が良いフリをしてるのかもしれないね」と、いいます。
「仲が良いフリ?」と、私は聞き返しました。
「仲のいい母娘に見られたくてね」と、礼子さんはブサリといなり寿司に箸を刺します。「仲良し母娘に見られたら、娘は母親に愛されていると思えるじゃない」
 私は半信半疑でした。でもいわれてみれば仲良し加減が出来過ぎだったようにも思います。C女子たちの話し方に芝居がかった感じも受けましたが、それは彼女たちが標準語を使うせいだと私は思っていました。私がそういうと、
「それ、躾けでしょ」
 と、礼子さんはいいます。「それだって母親に矯正されたのかもね。関西に住んでいるのに標準語を話すって、外の世界から隔離されちゃうんじゃない?」
 それでC女子たちはC女子にしか居場所がないのよ、と、礼子さんはいつになく険のあるいい方をしました。
「ゆるやかな軟禁状態だね。洋服だってバッグだって、母親たちの洗脳かも」

(つづく)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み