~バンド結成まで その2~

文字数 1,625文字

 中三の秋になると、好きな曲のコード弾きができるようになって、源三郎は毎日弾き語りをして楽しんでいた。
 その頃はスピッツにハマっていて、「ロビンソン」、「チェリー」、「楓」などを部屋で弾き語りしていたが、キーが高くてすぐ(のど)が痛くなるため、一日に数曲歌うと限界が来ていた。ビーズも同様だ。好きだけど、たくさんは歌えない。まだ変声期の源三郎にとっては、かなりキツい。
 それにキーの高い歌を無理に歌うと、大声になりがちだった。田舎だから近所はそんなに気にしなくてもいいのだが、家族――特に母親からクレームが来ていた。
「うるさいよ! それにお客さん来たら恥ずかしいでしょ!」
 そのため、サザン(オールスターズ)やミス(ター)チル(ドレン)などの、『比較的』キーの低めの曲を、たくさん弾き語りしていた。

 やがて冬には耳コピもできるようになり、そうなるとスコア(楽譜)が入手困難なアラベスク[注:源三郎一番好きかもしれない音楽グループ。1980年前後、日本や世界各国で一世風靡(いっせいふうび)した。ディスコ系。女性三人組。英語の曲ばかりだが、実は西ドイツのグループである。その音楽的影響は多岐にわたり、特に音楽プロデューサーつんくに与えた影響は計り知れない]なんかも、耳コピして弾けるようになった。これには源三郎も歓喜した。アラベスクは、コード進行は、あくまで『比較的』だが単純なのだ。
 ……しかし、歌えない。英語だからということが問題なのではない。そんなのは適当にカタカナ英語でやり過ごす。問題は、キーが高すぎるということだった。当然だ。女性グループなのだから。
「サンドラ、そんなに俺を苦しませたいのか……?」源三郎は、近付いてきた高校受験よりも、せっかくコードが分かったアラベスクの弾き語りができないことに悩んでいた。

 そんなある日曜の朝、目覚めとともになんとなく(エレキ)ギターを手にし、アンプにはつながず、シャカシャカという生音を立てながら、寝ぼけ眼《まなこ》で無意識に「ミッドナイト・ダンサー」を弾き語りしていた。

――あれ?

 源三郎の目が精気を帯びはじめ、〈信じられない〉という表情になり、やがてそこに歓喜が混じり始めた。

――歌えている! なぜだ? 俺がアラベスクの、サンドラの、「ミッドナイト・ダンサー」を歌えている! ミッドナイトでもないのに! 朝なのに。いや、そういう問題じゃないか。起きたばかりなもんで、頭が上手く働かないな。しかし、なぜだ……?

 歌いながら、源三郎は考えていた。

――それに、大声を張り上げてないぞ。ラクに、サンドラと同じように歌えている。むしろ途中の男声の部分が苦しい。なぜ?

 歌い終えて我に返り、源三郎は考え込んだ。が、すぐに気付いた。

――1オクターヴ、低く歌っていたからやないかい!! だが、この手があったか!!

 源三郎は、これでスピッツもビーズも、レッド・ツェッペリンもイエスも、マイラバもザードも、アバだって歌えると気付き、「ヒャッホー!」と勝鬨(かちどき)を上げた。

 それから源三郎は、サンドラ部分は1オクターヴ下げ、男声部分は下げるとかなり苦しいのでそのままで、繰り返し弾き語りした。しかし、母親はクレームをつけなかった。それは、源三郎の声が低く小さかったからではない。いつものように源三郎の歌声は家中に聞こえていた。むしろ歓喜のあまり、低いとはいえ普段より勢いがあった。
 それでも母親がクレームをつけなかったのは、歌に「Aha, Aha」が頻出しており、かつ(きょう)()った源三郎が妖艶に発声するため、それを聞くたびに気が引けたせいだった。お客さんが来たら恥ずかしいとかの騒ぎではなかった。

 その日は源三郎にとって、『比較的』重要な日となった。源三郎の部屋からは、午前中ずっと「ミッドナイト・ダンサー」が聞こえていた。
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