~バンド結成まで その3~

文字数 2,247文字

 ちょっと端折(はしょ)りますが、やがて源三郎は高校に入学した。伝統ある、市内一の進学校だ。源三郎は1年8組の生徒となった。

 源三郎は根がマジメなので、勉強はできた。そのマジメさで、アラベスクだってミスチルだって耳コピした。耳コピしようとしているコードがセブンスなのかナインスなのか判断が難しい場合も、「ま、セブンスでいいだろ」とはならない。頭がおかしくなるほど該当の箇所をリピートして聴く。そして2度の音が鳴っていないことを、(あるときは、鳴っていることを)確認する。納得がいくまで聴いては弾いてみて、を繰り返し、確定すると自信を持って弾き、歌う。それが快感という、細かなことを気にする、神経質な男なのだ。

 高校は、公立の進学校にありがちな、もともとは男子校で、現在は共学という学校だった。こういう学校でも、ある程度年数が経つと男女比が同等になるのだが、なかなか女子が増えなかった。原因は男子校時代からさほど変わらぬ校舎の汚さ、近くの元女子高の対照的な美しさにあった。偏差値こそ(まさ)っていたが、女子はほとんど、元女子高の方を選んでいた。しかも、源三郎の高校に入学してくる女子は、男の中にいてもさほど違和感のない者が多かった。

 だから源三郎は、高校で彼女をつくるなんてことはあきらめていた。――どうせ、勉強勉強の日々で、チャラ高に行った連中みたいにヒマなんてないだろう。受験が終わってホッとするどころか、あとは常に地獄だ――

 春の(うら)らかさとは対照的に、源三郎を含め新入生はみな一様にどんよりしていた。市内で一番ここが暗いんじゃないか、と源三郎は思った。春なのに……。

 ところが、源三郎があずかり知らぬ、校舎内のどこかで光が灯《とも》り、日が経つにつれ、その輝きの輪が徐々に大きくなっていった。4月の半ばには、源三郎もその気配を認めざるを得なくなった。そして少しずつ、この学校にあるはずのないトーンの言葉を耳にするようになった。

「未だに信じられねえ!」「まさかこの高校でなあ」「やっべえ!」

 源三郎は初めワケが分からなかったが、クラスメイトも、上級生も、教師までもが、少しずつテンションが上がっていた。さらに――

「見たか? あの子」「開校以来初だな!」「か、かわいい……」

 鈍い源三郎もようやく感付いた。かわいい子が入学してきたのだ! こんな肥溜(こえだ)めみたいな高校に!!

 そんなある日の放課後、帰りのホームルームが終わり、みな帰り支度をしていたとき、源三郎の左後ろからあのトーンの(ささや)きが聞こえてきた。

「ありゃ、かわいいのか、美人なのか?」「2組のヨウコちゃんだろ。それより苗字が分かんねえんだよな。確か……オオノだっけ?」「そうだっけ? ま、いいや。それより、かわいいのか美人なのか――」

 ――オオノヨウコ…………2組の、オーノヨーコちゃん!!………

 その日は帰宅時も、夕食のときも、風呂に入っても、床に就いても、ずっとその言葉が響いていた。

 翌日、69年ごろの、ヘロイン中毒のジョン・レノンのような目をして、源三郎は登校した。だが彼の1年8組の教室に向かうのではなく、1年2組の教室に向かった。もう前日から、興奮が抑えきれていなかった。――絶対に見たい! オーノ・ヨーコちゃんとやらをこの目で!!――その想いが強くなり、明け方になると、朝一に見ないでは気が済まないまでになっていた。もちろん一睡もできていない。

 やがて2組の教室が近づくと、空気が違っていた。なんだか明るくなったような気もした。ここから先は天国なのか、というほどだ。同じ校舎内とは思えない。

 廊下から教室内を目にしたとき、初めは眩しくてよく見えなかった。やがて目が慣れて、彼女の姿を見ることになった。その瞬間、源三郎の体中に、凶暴なまでの激しい稲妻が走った。彼女は美しく、かわいらしいという噂だったが、それどころではない! この世のものではない! もはや女神だ!! と源三郎は思った。

 彼女は教室の後ろの方の席に座り、隣の女子と話していた。男たちはコソコソと彼女に視線を送っているようだった。源三郎の目はいつもの三倍ぐらい大きく開き、血流が10倍ぐらい良くなっていた。彼女はどことなく、若き日のオノ・ヨーコを思わせた。

 ――ジョン・レノンに、俺はなる!!! ……日本のね。今の日本のジョン。みたいな!!!

 知らぬ間に、そう強く決意していた。源三郎でなく、ジョン三郎にでも改名したいと思ったが、我ながらキモいと認めた。そして、彼女の近くにいて場を共有にいる2組の連中を、全員太平洋の藻屑(もくず)にしてやりたくなった。同時に、8組というだいぶ遠いクラスになった自分の運命を呪って、強く小指を噛んだり……。

 その日は、ジョン・レノンの「コールド・ターキー」のコピーに余念がなかった。アウトロの吐息の音程もヘビロテで確認した。源三郎の家族は、入学したばかりで大変だろうし、思春期もあいまって仕方ないんだろうと理解を示した。

 二日連続で徹夜となり、翌朝は目の周りのクマといい充血した目つきといい、源三郎はまさにコールド・ターキーに(とりつ)かれたかのようだった。朦朧(もうろう)とする源三郎の口から洩れていたのは、やはり――

……Cold turkey has got me on the run……
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