前書き

文字数 1,422文字

 この本はいわゆる積読になるべくして生まれた本である。かと言って中身が真白では他人に中を見られた際に「沢山本を読んでいると見せかける為に積んでるだけじゃないか」とやられてしまうので一応中身を書いた次第である。ところで積読をしている人間はややもすると「せっかく買ったのに読んでいない」という罪の意識に似た感覚に陥るものだが、ここは考えを変えて「私は読みもしない本の為に金を払ってやったのだ」と自負すればいいのである。どんな本にも著者がいるのであるから中古で買ったのでない限りあなたは少なからずその著者にお金を払ったのである。仮に中古で買ったとしても中古本屋さんには少なからず利益になったはずである。これは本に限った話ではない。見もしない映画のDVDだとか、聴きもしないCDだとか、使いもしない手帳だとか、置いてあるだけの一眼レフだとか、着もしない服だとか、とにかく買って満足してしまっているもの全てについて言えることである。それら全てについて必ず利益を得た「誰か」がいるはずなのであるから、あなたはその「誰か」の為にお金を払ってあげたのである。この前書きを読んでくれているということは、あなたは私にお金を払ってくれた心優しき人なのである。更にお金というものは一カ所に溜まっていては経済は活性化しないのである。あなたがこの本を買ってくれたお金で、私は夜な夜な執筆中に食べるお菓子を買ったのであり、そのお菓子代はスーパーの店員のアルバイト代になったのであり、更にそれは彼の家賃の一部になり、とお金は移動し続けることが肝要なのである。
 ところでこの本の中身についてであるが、はっきり言えば私が何となしに思いついたストーリーを書いてみただけの代物であるからして、特別な社会的メッセージなんて含まれていないし、特別に伝えたかったことも無いのである。という訳で自由に解釈して読んで頂ければ幸いである。昔国語のテストで「登場人物の気持ちとして一番近いものはどれか」なんて問題を出されたものだが、あんなものは一刻も早く止めるべきである。仮にやるとしてもそもそも正解なんて無いのであるから正解、不正解など付けずにいろいろな意見を聞く為の手段だけに止めるべきである。今、目の前を一匹の蠅が飛び続けていたとしても、ある人は「五月蠅いなぁ」と思うだけかもしれないが、ある人は「お、今日のカエルのエサ発見だ」と思うかもしれないし、ある人は「蠅の羽は何故二対ではなく一対なのだろう」と思うかもしれない。そしてどの意見にしても不正解もへったくれもないのである。
 ちなみにこの本の中に「とうきび」という話がある。だいたいの人は知っているだろうが知らない人がいるかもしれないので一応書いておくと「とうきび」というのはトウモロコシのことで北海道では多くの人が「とうきび」と言う。恥ずかしい話であるが私は中学生の社会の授業でアメリカの主要農産物でトウモロコシが出てきた時、それが私が食べている「とうきび」という食べ物の事を言っているのだと気付かなかった。私の知らないトウモロコシというものがあるのだと思っていた。しかもテストでは当たり前にトウモロコシと書いていた。つまり学校のテストはそれがいつも食べている「とうきび」の事なのだと知っているか知らないかは問題ではないのである。トウモロコシという六文字のナニモノかがアメリカで沢山作られているいるということを知っていればいいのでる。
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