第3話

文字数 10,669文字

 「コンビニ勤務、敵は身内にもあり」とは、僕のコンビニ人生を象徴する言葉だ。
この章では、僕のコンビニ勤務における日々で遭遇したトラブルのいくつかを、実話形式で赤裸々に語ってみたいと思う。

 僕のコンビニ人生の始まりは、20歳の頃。
大学を中退してプロのボーカリストを志し、空いた時間で始めたアルバイトから幕を開けた。
実家から自転車で10分くらいのところに、コンビニが新規オープンするというチラシを見たのがきっかけで、オープニングスタッフに応募したら採用された。
マンションの1階部分に店舗を構えた某チェーンの店舗で、僕は22時~翌朝8時の深夜勤務で働いていた。
限られた広さの店舗だったため通路なども狭目で、全体的に少し窮屈というか手狭な印象をまず覚えた。
売り場がそのような有様だから、バックヤードにある事務所などは本当に狭かった。
商品の補充や何かしらの業務の折にバックヤードに入ったはいいが、何をするにも窮屈で効率が悪かった。
肝心の売り上げはと言うと、オープン記念のセールが終わった開店4日目から、すでに閑古鳥に近かったため芳しくなく、のんびりとした雰囲気の中、店長はじめ従業員に緊張感が欠けていたように思う。
僕が働いていた深夜は、もっと極端に来客数が少なく、23時を回ればもうほとんど朝まで客が来ないという毎日だった。
その分作業ははかどったが、いかんせんはかどり過ぎて、2時くらいにはさすがにこれといったやることもなくなってしまい、弁当などの納品が来た時以外は、ただ何となく売り場の商品をいじっているくらいだった。
そんな状況下で意識高い系の店長が仕切っている店舗ならば、どんどん業務を増やされていったのだろうが、店長ですらやる気もなかったので、僕らアルバイトにはどうしようもなかった。
そのチェーンの暗黙の了解事項として、「どんなに売り上げが低くても、開店してから1年半は閉店になることはない」というものがあって、余生を過ごすためにわずかな期間のみのコンビニ経営を始めたオーナー以下、ぬるま湯状態だった。
まあ当時の僕としては、本業の傍らにレッスン代を稼ぐためのアルバイトに過ぎなかった。
給料がもらえればそれでいいと、コンビニに対する思いを特に抱いてはいなかったこともあり、疑問も不満もなかった。
ただこの店舗での結末は急転直下だった。
本部の予想以上に売り上げが下回っていたことで、オープンしてちょうど丸1年で閉店するという決断が突然下された。
閉店が決まり最後の1ヶ月間は、あっという間だった。
大した盛り上がりも達成感も充実感もないまま、淡々と最後の営業日を終えると、オーナーと店長、本部社員による閉店作業が取り進められ、僕の最初のコンビニ勤務はちょうど1年で幕を閉じた。

 それから別のアルバイトをしながら、25歳になろうかという頃だっただろうか。
かねてよりのボーカリストの道を断念した僕は、とあるチェーンの店舗に正社員として入社した。
この店舗のオーナーは、近隣に5つも店舗を持っていたやり手の複数店舗の経営者だった。
僕は入社後、そのオーナーの経営する店舗に順次派遣されて、1からコンビニ業務を叩き込まれてコンビニ人生の基礎を身に着けっていった。
そういう意味では、僕のコンビニ人生の原点とも言えるだろう。
早朝から深夜に至るまで、様々な時間帯での勤務を経て、また本部が主催する研修も受講して、経験値を上げていった最初の半年間だった。
そんな折、6店舗目を新たにオープンすることが決定し、僕がその店舗の副店長に抜擢された。
最初はまだ自信もないし、ノウハウをもっと吸収してからという思いが強く、オーナーに断りを入れようと思っていたのだが、「副店長になったら給料が上がる」という囁きに流されてしまい、引き受けてしまった。
だが、この時の決断が大間違いだった。
元々僕の性格的に、当たり前のことをコツコツ積み上げていくことが性に合っていたし、野心を抱くようなタイプでもなかった。
できることなら自分のペースで、丁寧に仕事をしていきたいという人間なのだ。
そんな僕と真逆のタイプの社員Sが店長に指名され、2人で新店舗を切り盛りしていくことになったのだが。
 一言で言うなら、このS店長は最悪だった。
絶対に従業員を褒めない認めない、そのくせ社内での自身の地位を上げようと躍起で、目上の人間に対しての世間体だけにこだわった、パワハラの常習者だったからだ。
とりわけ副店長ともなると、僕への当たりの強さは群を抜いていた。
とにかく基本的に仕事は僕にすべて丸投げで、少しでも作業が遅れようものならこれ見よがしに怒鳴り散らした。
アルバイトやパートの従業員の間で巻き起こる問題や教育など、本来S店長がやるべきことまですべて押し付けられた。
おまけに僕とアルバイト従業員との2人体制だった深夜業務を、店舗の利益を少しでも上げて認められようと思っていたのか、人件費削減の名目で独断で1人体制に変更し、僕1人でやらなければならなくなってからは、まさに地獄の日々だった。
通常の深夜の時間帯の業務(レジ対応、店内・店外・トイレ清掃、コーヒーマシン・おでん・中華まん・ホットスナックなど各種什器の清掃に仕込み、納品されてくる商品の検品・店内在庫と合わせての品出し・売り場作り、ウォークインでの飲料・酒の補充、雑誌や新聞の陳列に返品作業、販促物の付け替えや手作りポップの作成などなど)に加えて、その日1日の売り上げの清算から売り上げ日報の作成、2人がかりでやっと時間内に終わるであろう作業量を、翌朝8時にパートの従業員2人が出勤してくるまでに僕がたった1人でこなさなければならないのだから、やってもやっても終わらない、時間がいくらあっても足りなかった。
特にウォークインにこもって飲料や酒を補充している時などは、客が入店してくる際のチャイムが鳴る度に手をいったん止めて、売り場に出て行かなければならなかったため、効率が悪いことこの上なかった。
S店長はというと、16時くらいに出勤してきて22時になる頃には、僕がどれだけ忙しそうにしていようとも、お構いなしにさっさと帰っていった。
そのような1分1秒を惜しむような僕の仕事内容だったから、お腹が空こうがのどが渇こうが疲れていようが、休憩を取ることさえまったくできなかった。
せいぜい客がいないわずかなタイミングを見計らって、トイレに駆け込んだり、タバコを吸いに店先に設置されてあった灰皿のところまで駆けて行き、一服することくらいしかできなかったが、正直それすらもほとんどできなかったのが現実だ。
トイレにすらいつ行けるのかもわからない緊張の深夜業務、そのため当時の僕は食べ慣れないものを食べてお腹を壊したりしないように、口に入れるものにも細心の注意を払う毎日を送らされ、体重も落ちていきげっそりと痩せていった。
ではすべての業務を無事に終わらせて、朝8時にパートの従業員が出勤してきたら後を任せて家路に付けるかといえば、そんなことはなかった。
S店長によって午前中にやっておくべき仕事をこれでもかと毎日与えられ、それ以外にも店舗の利用客の居住エリア内の住居に、チラシを配るポスティング作業をこれまたほとんど1人でやらされて、それらすべてを完璧に終わらせないと帰らせてくれなかったのだ。
当然帰宅時間はもうとっくに昼過ぎで、食事や入浴などを済ませると数時間だけしか睡眠時間を取れないまま、また21時30分には店舗へ出勤の毎日。
しかも新規オープン店舗だったため、従業員のほとんどがコンビニ未経験で、店舗運営が軌道に乗ってアルバイトやパートの従業員のみで店をしっかりと回せるようになるまで、実に半年近く僕は無休だった。
しかし僕は正社員雇用、時給制ではなく固定給だったため、20万円にすら届かない給料での毎月の生活を強いられた。
時給に換算すれば最低賃金の一体何分の一なのだろうと、よく嘆いていたものだ。
 コンビニ店舗において、「店長と副店長は仲が悪い」という真偽は定かではない定説を聞いたことがあったが、僕とS店長の場合においては、加えて相性がとにかく悪かった。
というのも、S店長はその時々の感情をあからさまに表に出すタイプの人間で、仕事上のことだけにとどまらず、プライベートで嫌なことがあって機嫌が悪い時などでも、関係なく事務所に僕を監禁しては当たり散らしてきたのだった。
S店長が休日の日に、アルバイト従業員が風邪で出勤できなくなり、やむなくS店長が代わりに勤務した時などは、「パチンコに行けないようになって、めちゃくちゃストレス溜まってるんじゃ!!」と、事務所で僕に殴りかかってきたこともあった。
もっとも僕も、音楽活動をしていた時の名残で、わずかな時間ながら毎日体を鍛えていたので、S店長の理不尽な暴力に殴られっぱなし・やられっぱなしというわけでもなく、所々反撃をしてはいた。
だが、過労による身体的ダメージと精神的ダメージは、確実に僕を蝕んでいっていた。
特に日に日に増していくS店長の横暴には、我慢の限界がきていた。
もちろんそれまでには、訪店に訪れる担当SVや他店舗で勤務する同僚社員やオーナーたちに、度々相談や窮状を訴えてはいたが、最終的には「コンビニの仕事はそれも含めて経験だから」と説得されてしまい、ましてやS店長に至っては、「これ以上オーナーたちに告げ口したら、本気で殺すからな」という脅迫まで受けた僕は、日々の激務による余力の無さものしかかって、どんどん身動きが取れなくなっていった。
おまけに精神的に追い詰められていたことで、ノイローゼのような状態になってしまい、心療内科に通いながら、いつしか辞め時を探すようになっていた。
そして、僕が副店長になって1年が経とうとしたある朝、事務所に顔を出したS店長に言いがかりをつけられながらコーヒーをかけられた瞬間、僕の中で糸が完全に切れてしまった。
S店長にしてみれば、パチンコに大負けした憂さ晴らし程度の愚行だったのかもしれないが、知ったことではなかった。
僕はまだ勤務時間が残ってはいたが、「このくそ野郎!!」とS店長の脛を思い切り蹴飛ばし、いそいそと帰り支度を整え、その足でオーナーが常駐している店舗に赴いて辞表を叩き付けた。
 僕のコンビニ人生最初で最後の副店長の日々は、パワハラにまみれた最悪のものだった。

 しばらく精神の療養期間を送ることを余儀なくされた僕だったが、貯金も随分と減ってきたこともあり、リハビリがてら某チェーンの某店舗で深夜のアルバイト勤務をすることとなった。
大通りから少し離れた位置にあったため、それほど忙しいわけでもなく、コンビニ人生の試運転にはちょうど良い店舗だったように思う。
パワハラに屈して辞めたとはいえ、副店長まで務めた僕だけに、研修も初日だけで即戦力として働いていった。
前の店舗が店舗だっただけに、これといった不満もなく淡々と働いていた。
強いて言うなら、駐車場によくヤンキー連中がタムロすることと、一緒に働いていた同い年の女性従業員がちょっと怖くて絡みづらかったことだろうか。
夏に勤務し始め秋を迎え、年を越して春が過ぎ、副店長の時が濃過ぎたためか、なおさら淡々とした印象でコンビニ業務をこなしながら1年以上が余裕で経過した。
そんな中、また新たな季節を迎えようかというある日、事件は起こった。
 「ない!ない!どこにもない!!僕の携帯はどこへ行った!?」
深夜勤務が終わり、事務所に設置されたコンピューターで自分の名札をスキャンして退勤処理完了、本来なら一息ついて無事に1日の勤務を終えたはずなのに、携帯電話が見当たらなかった。
事務所の机の上に、タバコと一緒に置いておいたはずなのに、どこにもなかった。
店内の至る所を探し回ること小1時間が経過した頃、ようやく発見した。
ただし、事務所のごみ箱の中から、ラーメンの汁とケーキの生クリームまみれとなった変わり果てた姿で。
それだけでもショッキングな絵面なのに、携帯に内蔵されていたSDカードが抜かれていた。
僕は訳がまったくわからないままに、少し前に帰宅したオーナーに電話をかけた。
すると電話に出たオーナーは、電話口で何やら慌てた様子で、早口でまくし立てるようにしゃべりだした。
 オーナーの言い分はこうであった。
「自分の業務を終えたオーナーは、事務所で夜食のラーメンとケーキを食べた後、寝不足がたたっていたこともあり、自宅に帰る前に少し仮眠を取った。
1時間程度で目が覚めると、午前中に本部からお偉いさんが店舗に訪問することを思い出し、事務所をきれいに片付けようとしたらしい。
不要な物を捨てている最中、以前から店舗で保管していた客の忘れ物の携帯電話も捨てた。
ところがまだ少し寝ぼけていたこともあり、机の上に置いてあった僕の携帯も、間違えて一緒に捨ててしまった。」ということらしい。
そのオーナーの弁明だが、おかしなところが何点もあった。
まず、いくら取りに来る気配がないからといって、客の忘れ物である携帯電話を勝手に捨ててしまった点。
通常店舗の利用客の忘れ物については、財布や金銭にキャッシュカードなど貴重品はもちろん、すべての忘れ物に対して一定期間店舗で保管した後、交番などに届け出なければならないのだが、これを怠り勝手に捨てた点。
次に僕の携帯電話を間違って捨ててしまったという点。
僕だけではなく、この店舗で勤務していたほとんどの従業員は、勤務中事務所の机の上に携帯やタバコを置いていた。
かくいう僕もそうであり、しかも2年弱この店舗で働いており、事務所でオーナーが業務をこなしている時、何度も目にしていたはず。
おまけに特徴的なストラップまで付けてあったのに、それでも間違えるのかどうか?
まあ100歩譲って寝ぼけていて見間違え、僕の携帯を捨ててしまったとしても、では何故、少々手間のかかるSDカードを抜き取るなどという行為はちゃっかりとしており、ご丁寧に別途SDカードだけ保管してあったのか?
SDカードだけ再利用するつもりだったのか、はたまた記録されている内部データを不正に利用しようとしたのか、いずれにせよオーナーの言い分にはちぐはぐな粗が目立つし、苦しい内容だった。
寝ぼけてボーっとしていた割に、妙に緻密で計算高い行動を取っているという矛盾、極めて悪質さを感じた。
 僕はこのオーナーの言い分には一切耳を貸さず、家に帰るなりチェーンの本部に電話で問い合わせ、一部始終を説明しオーナーを含めた店舗に対しての制裁を加えるよう、厳重に抗議をした。
さらにオーナーに対しては、壊れてしまった携帯電話を新しく買い替えるための費用の全額請求と、SDカードの大至急の返却に、SDカードの内部データを一切不正利用しないといった趣旨の署名捺印入りの誓約書の作成と提出。
そして僕の自宅に呼び出し、オーナーに土下座をさせた。
 すべての要求が遂行されたのを見届けたのと並行して、僕はこの店舗を退職したのだった。

 ラーメンの汁によって水没、携帯電話を破壊されてその店舗を辞した僕は、間髪入れずに別の店舗に深夜勤務のアルバイトとして入社した。
結論から言うと、この店舗での勤務日数は僕のコンビニ人生において史上最短、テレビ業界で言う1クール3ヶ月という短い日々だった。
何故そのような短期間で辞めることになったのか、その予兆は勤務初日から現れていた。
給与の振込先を登録するため、通帳をコピーすると言われた僕は、出勤早々店長に通帳を手渡したまま、勤務を始めた。
が、あろうことかコピーを済ませて雑務をこなしていた店長が、僕の通帳をなくしたのだった。
幸い程なくして事務所の山積みの書類の中から、通帳は無事に発見されたのだが、従業員の財産に等しい通帳1つに対してのずさんな扱いを目の当たりにした僕は、大いに引っかかるある種の危機を察知していた。
 実際その通りに、次々とトラブルは発生していった。
この店舗では、賞味期限の切れたお弁当などの廃棄した商品を従業員が休憩中などに食べていいことになっていたのだが、「一律500円を、出勤する度に天引させてもらう」と、働き出してから店長に告げられた、もちろん面接時には聞いていなかった。
僕の場合、週4日の勤務日数だから、単純に1ヶ月500円×4×4=8000円を給料から引かれるというのだ。
しかも廃棄商品を食べようと食べまいと、天引きするとのたまっているのだ。
働いているのに8000円も持っていかれるなど、納得できるはずもない。
またこの店舗は周囲に他のコンビニ店舗がなく、ホテル街の中に立地していたため、深夜でも通常では考えられないほどの来客数を誇っていた。
当然深夜業務と並行してレジにて接客をしなければならず、2人体制ながらも休憩を取ることが難しかった。
一応チェーンの決まりとして、1日8時間勤務する僕の場合には1時間の休憩を取ることが義務付けられていたが、実際にはタバコを大急ぎで吸いに行って、後はのどの渇きを潤す程度の休憩しか取れず、時間にしてみれば毎日30分にも満たないものだった。
事務所のコンピューターで出勤と退勤の処理をする時、休憩時間を僕はありのまま正確に登録していたのだが、最初の給料日で振り込まれた金額が明らかに少なかった。
給与明細も出してくれない店舗で、当然疑問を覚えた僕は店長に詰め寄り、給与明細を出させた。
(なおこの時も、かなり強めの姿勢で店長に相対したのだが、給与明細が提出されるまで、相当この店長は渋っていて苦労した。)
すると休憩時間が倍以上取ったことになっていて、その差額と廃棄商品による天引きも重なり、正当に働いていれば得られる金額よりも、ずいぶんと少ない金額しか支給されていないことが判明した。
ところが店長は悪びれる様子も見せず、「この店舗は忙しくて休憩は取れないかもしれないけど、ちゃんと休憩を与えていないと本部にバレると、店舗の評定に響くから。」と開き直ったばかりか、「この店舗では他の従業員も皆そうだし、コンビニではよくあることだから。」と堂々とブラック店舗発言をする始末だった。
呆れた僕はこの店舗で働いても失うものしかないと悟り、勤務を続ける傍ら別の店舗の求人を探すことにした。
良い求人条件の店舗が見付かるまでの辛抱、それまでの付き合いなんだからと働いていた僕にとって、最後に極めつけのトラブルが発生した。
それまで日中の勤務だった店長が、人件費を削減するためとして、深夜の時間帯に勤務するという運びになり、代わって僕が深夜枠から押し出される形で、17時~22時の週5日勤務に変更されてしまった。
しかも店長の質の悪いのは、そのシフト変更の経緯も理由も何も僕に語らなかったどころか、僕に勤務時間帯が変わることの了承さえ取らずに、すべて独断で無断で行ったことだ。
この店舗では、従業員のシフト表は事務所のコンピューター内で確認するシステムとなっており、僕が何気なく来週のシフトを確認しようと覗いた時に、次の週から僕の勤務が突然夕方勤務になっていたことが発覚し、露見したのだった。
ここまで露骨に権力を振りかざしたブラックなトラブルを起こし続ける店長とこの店舗に、僕は愛想が尽き、何より生理的に受け付けなかったし許し難かった。
クリスマスケーキにしろ節分の恵方巻にしろ、「店舗の目標達成のため」という大義名分を掲げ、ノルマと称して大量に自腹を切って買わされたりと、働いても働いても暮らしが楽にならなかったことも僕の辞意を盛大に後押しし、「明日からもう来ません!!」と店長に言い残し、僕はこの店舗を辞めた。
不幸中の幸いだったのは、辞意を叩き付けた次の日に応募していた別の店舗から、無事に採用の連絡が入ったことだろうか。

 ブラック店舗から脱出した僕が次に勤務することになった店舗、元々この店舗を経営している一家は、別のチェーンで店舗を経営していたが契約期間が満了したのを機に、チェーンを変えて再度コンビニを続けているとのことだった。
父親がオーナーと店長を兼ねて母親が副店長、息子と従妹が実質的な店舗運営をしている、コンビニでよくある一族経営の典型のような店舗だった。
入社してまず気付いたのは、ありとあらゆる業務において詰めが甘く、ノウハウというものを知らないのだろうなということ。
幸いこの店舗のチェーンは、かつて僕が副店長を務めていたチェーンだったので、かえってその至らなさが僕の情熱に火を着けた。
オーナーの息子と従妹は2人共、僕よりそれぞれ1歳と3歳年上だったが、僕の経歴と経験を評価して、1アルバイトという肩書に過ぎない僕をそれなりに尊重してくれたのも大きかった。
僕はこれまでのコンビニ人生で培ってきたすべてを捧げて、何とかこの店舗を立て直そうと奮闘した。
 最初に取りかかったのは、食料品から飲料、雑貨や雑誌に至るまで、ジャンルやカテゴリーをまるで無視して陳列展開されていた商品の、レイアウトをすべて1から並べ直し修正することだった。
当然通常の業務もこなしながら空いた時間での手直しは、なかなか骨が折れたし時間も要した。
売り場が完成すると、僕なりの売り上げや購買層からの分析と経験を元に、着の身着のままに発注をかけ飽和状態になっている取り扱いアイテムを、オーナーたちに進言して絞り込んだ。
限られた売り場のスペースで、より売り上げの増加が見込め、客のニーズに応えられる品揃えを目指した。
店内の美化にも取りかかった。
勤務初日に感じた床の汚さやほこりをかぶった商品の数々、トイレや乱雑なバックルームの従業員スペースなど、きれいに整理整頓しなければならない箇所だらけだった。
お愛想程度にしかされていなかった清掃に力を入れ、本来使用されるべきほこりをかぶっていた清掃用具もフルに活用して、店内の床をピカピカにして、商品や陳列してある棚板の1枚1枚にまで手をかけてきれいにした。
トイレはもちろん清潔に、店内什器や商品在庫で溢れ返っていて、人1人が通るのがやっとだったバックルームも、時間をかけて少しずつ整理した。
用途に合わせて什器や資材を整理し直して、商品在庫に関してはサイズや分類に沿って丁寧に棚に並べ、売り場への補充が迅速かつ正確にできるように変えていった。
そうした労力の積み重ねや、実務能力が評価されて、この店舗での僕の立ち位置はアルバイトでありながらオーナーたち経営者一族に次ぐものとなり、いつしか他のアルバイトやパートの従業員たちとは一線を画していった。
給与面でも、2度の時給アップを経て、他の従業員よりも数百円は多くもらっていた。
担当SVにも評価されるようになり、オーナーたちも僕の意見に耳を傾け、僕の判断が店舗を左右するように影響力が大きくなっていったのは、予想外の成果と言えたか。
オーナーの息子が近い将来独立した際には、正社員待遇で迎えたいという確約まで取り付けていった僕は、順風満帆なコンビニライフを送っていると言えたのかもしれない。
ただこの店舗で働きだして3年半以上が経過しだした頃から、僕はコンビニ従業員としての自分自身に限界のようなものを徐々に感じ始めていた。
というのも、一心不乱に働いてきた結果、店舗は一定の水準にまで達しフランチャイズ契約の延長も勝ち取ることができた。
だが頑張れば頑張るほど、心が満たされるどころか穴が開き広がっていった。
いわゆる燃え尽き症候群に近い感覚だろうか。
底辺に近い位置にあった店舗だっただけに、努力次第で標準的な位置までは爆発的に引き上げることはできた。
だがそのさらに上を目指した瞬間からが、孤独な苦しみが背中にのしかかってくるようになった。
自分で言うのも何だが、僕はこの店舗で誰よりも動き、働き続けてきた。
盆暮れ正月を休んだこともなかったし、従業員が不足すれば残業に長時間勤務もいとわなかった。
自分自身のスキル・キャリアアップのためでもあったし、何より経営者一族に対する恩義にも応えたかった。
だが僕がスキルを磨く度、影響力を増していく度、その他のアルバイトやパートの従業員との間に溝ができていった。
僕が意識を高めても、現状に満足してしまっている従業員のモチベーションは上がることがなく、次第に僕の空回りが目立つようになっていった。
他の従業員の倍以上の仕事量をこなしクオリティーを保っていた僕に対し、「自分たちが別に頑張らなくても、僕に任せておけばちゃんとやってくれる」という空気が蔓延し、僕とは反比例して他の従業員たちの仕事ぶりは逆に下がり続けていった。
経営者一族とアルバイトとパート従業員との間で、どちらにも寄りかかれない孤立した存在へとなったとはっきりと自覚した時には、もう遅かった。
すでに体力的には限界を迎え、仕事を終えて帰宅した瞬間、意識を失うように倒れたまま30数時間休日が終わるまで眠り続けてしまうことも、1度や2度ではなかった。
入社して4年が過ぎた頃には、接客時に笑顔を作ることさえままならず、表情がコントロールできなくなった。
何とかそれらの逆境に抗おうとあがいてみたけれど、何一つ変えることはできなかった。
そしてついにある夜の勤務中、ウォークインでの作業をしている時に倒れてしまい、無理をすることもできなくなった瞬間、ファイティングポーズを取ることはもう不可能だと点滅する視界の中感じた僕は、病気療養を取るという形で無期限での休暇状態に入るように経営者側から勧められたのもあり、一時的に一線から退くことを決めた。
 結局数ヶ月が経過して、少し健康状態が回復した頃に経過報告をした際に、僕が復帰しても僕をサポートする体制を取るのは困難で、また倒れられては申し訳ないという経営者一族の総意によって、僕は退職することとなった。
僕のコンビニ人生の集大成にするはずだったこの店舗での勤務は、志半ばの不本意な形で静かに去り行くような結末となったのだった。


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