第壱話 剣客宿

文字数 1,364文字


 天下無双武術会本戦に出場する十六名は、芝増上寺で一回戦の組み合わせ抽選を済ませたのち、三々五々、それぞれの住まいにもどっていった。

 大地の初戦の相手は剣客番付第三席の一丸初(いちまる・はじめ)である。真桜流(しんおうりゅう)奥伝道場の俊英で、飛んだり跳ねたりの身軽で軽快な剣捌きから“跳びの一丸”の異名を持つ剣士だ。

 身長は大地と変わらない。やや小柄で五尺(約150センチ)を超えるか超えないくらいだ。
 江戸時代、男子の平均身長は五尺二寸程度(155センチ前後)なので、格段に低いというわけではない。

 大地は羽州の田舎からでてきたので、江戸に住まいを持たない。そういった大地のような地方出身者には口入屋(くちいれや)武蔵屋(むさしや)が芝浜松町に宿を斡旋してくれていた。

 その旅籠の屋号を「岩藤(いわふじ)」という。岩藤は別名、剣客宿(けんかくやど)ともいわれ、江戸にでて剣の道で一旗揚げようとするものたちの定宿でもあった。

「ちょいと邪魔するで」

 声がしたかと思うと、いきなり障子が開いた。
 眠りかけていたところを起こされ、大地が目をこすって闖入者(ちんにゅうしゃ)を見た。

「なんだ、虎縞のあんちゃんだべか。なんのようだべ?」

 巌流・佐々木小次郎の正統を名乗る太牙虎之介(たいが・とらのすけ)である。彼も上方からの江戸入りなので、この岩藤の客となっている。

「いよいよ、明日やな。対策はできとるんか?」

 身を乗り出し、瞳をキラキラと輝かせてきいてきた。

「いや、なんも」

 再びごろりと横になって大地はいった。

「相手の一丸初のことはわかっとるんやろな」

松浪剣之介(まつなみ・けんのすけ)の子分ってことぐらいしか知らんべよ」

「よっぽど腕に自信があるか、よっぽどのアホか、どっちかやな、あんた」

 虎之介は感心したかのようにいうと、ずいと膝を詰めてきた。

「なあ、一丸がどないな剣、使いよるか知りたくないんか。物見のお代(情報料)として一両でどや?」

「カネなんかどこにもねえべ。この宿の宿賃すら払えるかわからんちゃ」

「勝てば、報奨金がもらえるがな」

 天下無双武術会は公儀公認の賭け試合でもある。現代ふうにいえば配当に応じたファイトマネーが勝者に支払われるのだ。

「おい、あんた、聞いとんのか、おい!」

 ぐごーっ、すぴーっ。
 大地がいびきを立てはじめる。相手にするまでもないといわんばかりだ。

「勝ってにせい。負けても知らんで。
 せやけど、これだけは教えたるわ。相手は“跳びの一丸”いうんや。
 それだけは覚えとき!」

 そういうと、虎之介は手荒に障子を締めて出ていった。
 大地が薄目を開ける。

 ――“跳びの一丸”

 どうやら相手も自分と同じ奇抜の剣を使うようだ。
 天狗の師匠から教わった業が破れるとも思えぬが、勝負はなにが起こるかわからない。
 大地の目的は武術会の優勝ではない。松浪剣之介に勝って、彼の口から若槻一馬に関する真実を聞き出すことなのだ。
 それまでは負けられない。
 師匠との約束を破ってまで大会にでた以上は、勝ち進んで松浪に辿り着かねば意味がないと、大地は思い定めているのであった。

   第二話につづく
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