迷子の王女は誰かと出会う 1

文字数 2,650文字

 王女としてずっと城内で暮らしてきたメルティアには、城の外に出た経験が殆どない。
 王位継承権は十五番目、一番最後で全く重要でないと言っても過言ではない立場だったが、それでも一応王族として城内で大人しく慎ましやかに暮らす事が常識だった彼女にとっては、城を出るというのは大事件にも等しかった。
 しかしそれよりも大事件なのがルルラロウネ魔術指南書を焼いてしまったこと。
 まがりなりにも魔術士(の見習い)であるメルティアだから、魔術書が魔術士にとってどれだけ大事なものかは理解出来るつもりだ。また書物としての魔術書の価値というのも理解している。
 一人前の魔術士は、一度読んだ魔術書は自らの頭に焼きつける事が出来るので、何度も魔術書を読み返す事は無い。しかし逆に言えば、読まなければ得られない訳で、一から魔術を生み出す事の出来ない殆どの魔術士にとっては魔術書の存在は貴重な魔術の情報源でもある。
 たかが一冊、と侮る事は出来ない。
 多くの魔術書に精通した魔術士が、他の魔術士にその知識を伝達する事を生業とするのが『読解士』と呼ばれるものだが、如何に珍しい魔術書にまで精通出来るかが読解士としての価値に該当する。それは正に一冊の魔術書が価値を左右する世界。
 魔術書の写本もあるが、写本が存在するのは偶然読解士が「写実」と呼ばれる魔術を得意としていて、尚且つそれを使って写本を作った場合に限定されるので、結局写本も多くの数が出回る事は無い。そして大抵の場合は写本の方も相応の価値が発生する。
 独自により解りやすく読解された写本等、原本より価値が上がる程だ。
 魔術士にとっての魔術書はそれだけの価値があるもので、場合によっては城だって買えてしまうものだって存在する。
 王族としてはさして重要でもない十五番目の王女一人と比べれば、より価値の高い魔術書など世にいくらでもある。
 焼いてしまったルルラロウネ魔術指南書も、城の書棚にあったくらいなのだから恐らくは相応に価値がある魔術書ではないかと推察された。少なくとも王族としては末端且つ魔術士としても出来損ないである己よりは価値があると彼女自身思う。
 その焼けてしまった本は、鞄に入れて一緒に持ってきた。
 半分以上が焼失してしまったので中身は最早読めない状態だが、運が良い事に背表紙には全く被害がないので魔術書の表題はしっかりと読める。
 だから、目的の場所に着いたら、それを元に同じものがあるかどうか尋ねれば良いとメルティアは考えていた。
 鞄の中にあるのは、魔術書の他には、多少のお金と着替え、そして日用品だけだ。
 旅慣れるどころか外出すら殆どないメルティアにとって、何を用意すれば良いかも解らなかったので、最初色々と考えてみたものの最終的には身軽な姿に落ち着いた。他に持っているものとしては、いつも使っている杖だけ。
 それだって魔術士としては見習いレベルの彼女からすれば、そんなに頼りになるものではない。
 結果として非常に戦きながらの外出となったのだが、精霊の森に向かう数日のうちにメルティアは旅というものにどうにか慣れた。
 案外、自分は慣れるのが早いとメルティア自身が驚いたくらいだ。
 元より王族ではあるが、一般の人が考えるような四六時中誰かを侍らすような生活をしてきた訳ではない。序列からすれば末端の王妃の子として生まれた彼女に仕える者等、片手で足りる人数しかおらず、母の教育方針もあって日常の大半は自分でどうにかするものだった。だから旅をするにしても困る事がそれほど無かったのだ。
 城から出るのに全く引き止められなかった彼女は、部屋にしばらく外出する旨の書き置きを残してきたので探される事も無い。それは確信を持って言えた。実際にそうしてたまに姿を消す王子が城内にいるが、彼が捜索された事など無いからだ。
 気になるのは魔術書を持ってきてしまった事でむしろ魔術書の方が捜索されるのではないかという点だったが、それについてはもう時の運。いざとなったら正直に事情を話して謝ろうと彼女は腹を括っていた。
 王女が、自分が捜索される可能性より魔術書の捜索の方が現実的だと考えるのは、切ない思考である。
 そんな王女が、色々と戸惑いながらもどうにか旅をして精霊の森に辿り着いた頃には、城から出て一週間以上が経過していた。
 森の入り口でメルティアは杖を握り締めて森を見る。
 深い森だ。
 はっきりとした道もないその場所に、図書館のような建物が存在するとは到底思えなかったが、しかし彼女はエレアが嘘をついたとも思えなかった。そういう噂があるからには、恐らく何がしか根拠となるものがあるのだろうと思う。
 もしも何も無かったら。
 その時は帰って素直に謝って弁償しよう、と彼女は自分に強く言い聞かせた。
 実際に森に来てみたが、どうにも建物のようなものすらあるように思えなかったから、そんな思考をしてしまった。
「よし、入ろう」
 自分に言い聞かせるようにして、頷く。
 とはいえメルティアはそれほど怖がっている訳でもない。
 緊張はしている。が、むしろそれは好奇心が勝った結果としてのそれであって、恐怖からきている訳では無かった。こういう森の、独特な雰囲気を彼女は生来好んでいたから。城の舞踏会に参加するよりは、この森に入る方が余程楽しそうだと思える程に。
 杖を握り締めた王女は、道らしきものもない森の茂みに分け入っていく。
 ざくざくと踏みしめるのは枯れ葉の積もった森の土で、入った瞬間にも森独特の空気の匂いがメルティアの全身を包み、そこが森という別世界である事を知らしめた。昼間なのに薄暗いのは、大きく生い茂っている木々が枝を広々と伸ばして日光を遮っているからだ。時折差し込んでいる光が、まるで照明のようにあちらこちら点々としている。
 何処に向かえば良いのか解らない。
 とりあえずメルティアは勘だけで進む事にした。
 それが如何に危険な行為であるか本人は自覚していない。
 地図の上だけなら、三日も歩けば端まで到達出来る程度の広さの森だ。兎に角、中に入ればどうにかなる、と彼女は考えたのだ。
 しばらくの間、真っ直ぐに森を進んでいた。
 時折動物の鳴き声はするが、それ以外は木々のざわめきばかりの、静かな森だ。
 森独特の心地よさはあるが人が出入りしていそうな形跡は何処にもなく、やっぱり何も無いのかもしれないとメルティアが不安に思い始めた時。
「おい、そこの女」
 突然声を掛けられて、彼女はびくっと立ち止まった。
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