第11話 セピック・エアレース/最弱のキーウィ―

文字数 2,286文字

 運には頼らない。確信がなければ踏み出さない。お花畑みたいな思い込みに、体重を預けない。
 生き残るべくして生き残るの。
 現実だけを見て、その中から選択肢を選んで。どんな状況に追い込まれても、生き死にだけは賭けちゃダメよ。

 ごめんなさい、師匠。
 わたしはあなたの教えに背きます。

 跳躍の方向を替える。常に落ちる身では、上に跳び続けなければ墜落は免れない。それを止める。脚の力を前だけに集中し、あとは落ちるがままにする。自由落下の加速には、どんな浮島弧の生き物も追いつけない。

 足場が終わるその時まで、わたしは脚を止めない。

 事実、わたしはココモとヒクイドリを引き離した。ミサイルの気持ちで前進する、蹴り進んでいく。それ以上の速度で落下する。ギギはぶち切れ、晴太は顔を真っ青にした。ココモとヒクイドリは慌てふためき、やめろと何度も声を荒げる。

 ゴール前は浮岩群の果て、そもそも浮岩が少なかった。
 最後の浮岩を蹴る。

「舫い綱を!」

 晴太が手を伸ばす。落ちるわたしを追い、推進機構の限界を超える。投げても届きそうにない。落下は終わらない。ギギも、ココモも、ヒクイドリも、必死の形相でわたしを追う。無理なのに、絶望的な差なのに、飛び続ける。

 わたしは不思議と胸が温かった。知っている。特権に胡坐をかくだけ、他者を思い遣れない邪悪な存在なんかじゃない。彼らは優しい。少し勘違いしているだけなんだ。根本的に邪悪な存在は、そうそう存在しない。

 青空を仰ぐ。四肢を広げて風を感じる。ゴール目前。あと少し浮岩が近くにあれば、数歩あれば確実に勝てたのに……。もしもを謳っても無意味だ。師匠はそれを十全に知っていた。ちゃんとわたしに教えてくれた。

 現実で考え続けるの。生きることを止めないで。

「大丈夫」
 わたしは仲間たちに伝えた。

「だって、わたしは、落ちないキーウィ―だもの」

 元気に笑う。
 どんな絶望が待っていたとしても、必ず浮島弧に戻ってくる。

「フィー!」
 晴太が叫ぶ。みんなが叫ぶ。

 層積雲の雲頂がわたしを出迎える。
 そうして、わたしは、雲の下へと落ちていった。

 ※※※

 島弧が浮かぶ前、それより古い民話の時代、神様が鳥類に頼んだ。

「虫たちが地上を荒らしている。このまま増殖が進めば、樹々は食い散らかされ、地上は丸裸になるだろう。樹上の君たちの巣も、軒並み倒れる。地上に降り立ち、虫たちを退治する勇者を募りたい」

 集まった鳥類は、なかなか翼を上げなかった。地上に降り立つ。その本当の意味を理解していた。互いの顔色を窺うばかりで、誰一羽、立候補するものはいなかった。

「わたしが行きましょう」

 翼が一枚、天高く上がる。

 神様は感謝の念が湧き上がると同時に、その鳥を強く憐れんだ。
 言わないのはアンフェアと知っていた。

「本当にわかっているのか? 翼は朽ち、二度と空を飛べない。その可憐な飾り羽根も捨てなければならないんだ。青空や虹から目を背き、汚れた大地に嘴を差して生きることになる。それは不可逆的な変化なんだよ」

「もちろんです、神様」

 その鳥は誇らしげに言った。

「誰かの為に困難に挑む、それは尊い行為ではありませんか?」

 神様はその鳥の強さを知り、地上の命運を託した。

 島弧が浮かんだ後、神様は動物たちの前に現れた。山積していた問題を解決し、天に帰還する。その訪問先に、キーウィ―はなかった。
 あなたの願いで空を失ったのに、浮力は与えない、あまつさえ理由を説明しない。神様はキーウィ―を見捨てたの? そんな風に神様を恨んだのは、たった一羽だった。

 空から水や食糧が降り、空中で静止する。キーウィ―は命懸けで跳び、なんとか命を繋ぐ。他の浮ける動物は食糧を巡る殺し合いから解放され、悠々自適の日々を送る。そんな不平等を嘆いたのも、たった一羽だった。

 あるキーウィ―は語った。

「神様は忙しくて、俺達まで嘴が回らないのさ。それによ、もしかしたら、俺達の使命は終わっていないのかもしれない。キーウィ―が地面に留まることに、何か意味があるのかもしれない。神様が遊びに来るまで、俺はのんびり待つさ。俺は、そういう生きざまを選ぶぜ」

 あの空を自由に飛びたかった。色彩豊かな浮島弧を駆け回りたかった。南島まで旅してきた猫、燕、蛸の冒険譚は、あまりに刺激的で、心躍った。
 南島の北端で、雲海の向こう側の浮岩が落ちたり、羊毛が漂ったり、かなとこ雲が膨れ上がったり、そんな景色にずっと見惚れていた。届かない夢に涙を流した。

 だって、キーウィ―は浮けない。
 旅立てるわけがない!

「あなたが一番、落ちるキーウィ―を弱いと決めつけているのよ」

 師匠が同情する。
 病で浮力を失いながら、そのヒトは南島まで旅してきた。

 師匠の前では、言い訳は役に立たなかった。キーウィ―より貧弱な脚で、キーウィ―と同じように浮かべず、それでも浮島弧を渡ってきた。浮かべないから落ちるんじゃない。運命を呪うだけ呪い、自分の脚で立とうとしなかったから、心が落ちていたんだ。

 師匠はたくましかった。運命を素直に受け入れ、できることに全力を捧ぐキーウィ―の仲間たちも強かった。最弱は、わたしだった。

 キーウィ―の強さは、自分の意思で困難を選べることだ。

 そんな強さに近づきたくて、わたしは旅に出た。心の赴くまま、浮島弧を愛するまま、突き進むと決めた。本当のキーウィ―のように強くなるために、わたしは落ちないキーウィ―になろうと決めたんだ。

 たとえ雲の下まで落ちたとしても、わたしは、落ちないキーウィ―であることを、諦めたりしない!

 心だけは落とさない!
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