初めての甲子園で

文字数 9,746文字


 それは僕が高校一年の夏。
 奇跡的に僕らが初出場できた甲子園。
 だけどそのとき、僕には信じられない大事件が起こった。

 いつもだったらとてもコントロールの良い僕らのエースや、先輩や同級生の投手たちが、どういうわけか、全くストライクが入らなくなっていたんだ。彼らの様子はいつもとは全然違っていて、もう力んで力んで、抜けた球や引っ掛かったクソボールばかり。
 僕にはとても信じられなかった。学校のブルペンとか、県内の学校との試合なんかでは、すごく速い球をとてもコントロール良く投げていたのに。
 やっぱり甲子園には何やら恐ろしい「魔物」のようなものが住んでいて、それが彼らに容赦なく襲いかかっているのだろうか…
 僕にはそうとしか思えなかった。
 
 僕らのチームは抽選で一回戦は不戦勝になり、二回戦からの出場だった。だけどよりによってその二回戦の対戦相手は、順当に勝ち進めば、優勝候補の筆頭とも言われるほどの強豪校だった。そしてその強豪校の一回戦の様子を、僕らはスタンドで観戦した。

 それはそれはとてつもない破壊力の打線だった。
 だけどその対戦相手のエースだって、投球練習を見る限りでは、「凄い!」というレベルの投手だった。だけどいざ試合が始まると、そのエースは容赦なく「ぼこぼこ」に打たれていたんだ。
「俺、あんなものすごい打線と対戦しなきゃいけないのか…」
 スタンドで観戦しながら、僕らのエースは青ざめ、そしてがたがたと震え始めていた。「あんなの見なきゃよかったな」って、みんなも言っていたし。


 いよいよ僕らの試合の日がやってきた。
 試合が始まり、それからその強豪校の一番打者が、のそりと打席に立った。
 だけどそのとき僕らのエースは、僕がベンチから見ても分かるくらい、顔が真っ青だった。そして、まるで初戦の様子をスタンドから見ていたときのように、がたがたと震え始めていたんだ。それにキャッチャーから受け取ったボールをマウンドにぽとりと落としてみたり、とにかくもう、全然普通じゃなかった。
 晴れの甲子園のマウンド。しかも初出場だと、こんなにもプレッシャーがかかるのかなって、僕は思った。そして僕は、エースのことがとても心配だった。

 そして案の定、いつもあんなに上手に投げていた僕らのエースなのに、いざ投球を始めると、なぜか全くストライクが入らなかった。バックネットへ直接当ててみたり、そうかと思えばホームベースはるか手前に、叩きつけるようなワンバウンドを投げてみたり。
 もうクソボール連発。
 それに何だか、ピッチングフォームもロボットみたいでめちゃくちゃぎこちない。
 そうかと思えば、奇跡的に結構まともに投げた球だって、審判に厳しく「ボール」とか言われたり。とにかくそういう具合で「ボール」「ボール」の連続で、連続フォアボールの押し出し押し出し…

 そうすると相手チームの打者たちも、全く打つ気がなくなったみたいで、バッターボックスの一番後ろで、にやにやしながら突っ立っていた。だけど、それでも全くストライクが入なかった。
 それから選手たちがマウンドへ集まって、肩をゆさゆさしてみせたり、いろいろ言葉をかけたりして、何とかエースをリラックスさせようとしたけれど、それでも全く効果はなくて、相変わらずがたがたと震え続け、そして再び投げ始めれば暴投の連続で、だからやはり押し出し押し出しの連続だった。

 そして4点目を取られたところで、つまり28球連続して「ボール」を投げたところで、とうとう監督はエースを交代させた。彼はベンチに戻るとグラブを叩きつけて悔しがり、頭からタオルを被り、そして誰はばかることなく泣いていた。
 だけどそのあと先輩や同級生の、控えの投手が次々に投げたけれど、どういう訳か出る投手出る投手、みんなストライクが入らなかった。
 エースの様子が伝染したみたいに、みんながたがたと震え始め、すっぽ抜けたり叩きつけたり。彼らもクソボール連発。やっぱり甲子園の「魔物」のせい? 
 そしてとうとう7点目。

 いよいよ投げる投手がいなくなり、それで監督はショートに投げさせた。だけどやっぱり、全くストライクが入らなかった。他の野手もそう。ある野手はストライク欲しさに「ふわり」と投げてみたけれど、かえって暴投になるだけだった。
 一体全体、どうしたっていうんだ?


 ところで、このチームで僕は一応「投手」だった。
 いや、少なくとも自分は「投手」だと、ずっと信じていた。
 全くのノーコンだったけれど…

 だから監督はその試合でも、いつまでたっても、ノーコンの僕には投げさせようとはしなかった。僕以外の選手を次々とマウンドへと送ったんだ。よりによって、野手まで…
 そしてまた押し出し。とうとう10点目。
 そしてそのとき、初めて監督が僕のところへ来た。
 監督は顔面蒼白だった。

 初めての甲子園。
 地元の期待を一身に背負い、僕らはここまでやって来た。
 スタンドにはバスを連ね、夜を徹してここまで走って来た在校生、卒業生、そして地元の人たち。
 そして彼らは、それでも精一杯、僕らに声援を送ってくれていた。
 だけどその声援が僕らを、そして監督を押しつぶそうとしていた。
 だから監督は顔面蒼白だったんだ。
 そして監督は言った。
「おまえ…、投げろ!」


「ぼ…、僕が? いいんですか?」
「みんなボロボロや。ノーコンはお前だけじゃなかったな。ともあれ、お前も人生の記念に、この晴れの舞台で潔く押し出しをやってこい!」

(監督はきっと何かを覚悟しているな…)
 その固い表情から、そのとき僕は何かを感じ取った。


 僕は子供のころから、「投げる」ことが好きで好きで仕方がなかった。
 小学校のころ、家にはひからびた軟球と、古くてかび臭い大人用のグローブがあった。それで僕は家の近くのテニスコートで、誰もいないときはそこの「壁」で、延々とボール投げをした。僕の手はまだ小さくて、大人用のグローブは、がばがばだったけれど。
 それから、学校からこっそり持って帰ったチョークで、壁に小さめの四角を描き、それはもちろんストライクゾーンで、それをめがけ、僕は延々とボールを投げたんだ。
 四角を小さくしたのは、少しでもコントロールを良くしたかったから。

 だけど僕は物凄いノーコンで、その四角の中にボールが行くことは滅多になかった。大抵は「抜けた」球とか、「引っ掛かった」球とか、それから何とも表現のしようのないでたらめな球だとか、バッターがいたなら見事にお尻に命中しそうな球だとか、バッターの背中を通る球だとか…
 とにかくありとあらゆる「ろくでもない球」をたくさん投げ続け、そして思い出したころに「ぽん」と、ストライクが小さな四角のど真ん中に決まる。本当に、奇跡的に決まるんだ。
 そして僕はずっとそんな状態だった。いくら練習しても、いくらフォームをいろいろ変えてみても、考えても考えても、僕は決してそういうレベルからは脱出できなかった。

 だけどそれだけじゃなかった。
 ボールがあちこちに「とっちらかる」だけではなく、ボール自体もいろんな「表情」を見せたんだ。
 もっとも僕は、全部「まっすぐ」を投げているつもりだったけれど、僕の投げる球は、ときに突然曲がるんだ。スライドしたり、シュートしたり、はたまた魔球のようにドスンと落ちたり。  
 とにかくいろんな「変化球」に、勝手に化けたんだ。一球一球、ボールをリリースする加減もばらついていたんだろうね。
 つまりコントロールが悪い上に、「球種」も勝手に変わってしまう。もうどうしようもなかった。だけど球自体は、同級生よりも結構速いつもりだったけどね。
 とにかく延々とこんな状態で、僕は小学校を卒業した。
 
 中学生になって、それでも野球が好きで好きで仕方がなかったので、もちろん野球部に入った。
 僕は(中学校では投手やるぞ!)って、張り切っていたんだ。そして入部してしばらくして、キャプテンが「投手やりたいのいるか?」って言って、それで一年生数人が集まり、キャプテンが座って、みんなが次々とキャプテンに投球を披露した。
 そして僕の番が来て、だけど僕はいつもよりひときわ緊張して投げた。
 だからそのとき僕は、過去にも例を見ないようなめちゃくちゃな球を投げ、キャプテンは僕がたったの2球を投げただけで、あっさりと「はい次!」と言って、それで次に同級生がきれいに投げ、キャプテンは「おお、いいな。よし。お前、投手やれ!」と言った。
 その同級生はとても晴れがましい顔をしていた。
 僕にはそれが、とてもうらやましかった。

 それで僕は意に反して「野手」の練習をやらされちゃったけれど、それまで守備なんてほとんどやっていなかったし、というか、僕は他の子みたいに少年野球チームにいた訳でもなく、ただただテニスコートでボール投げをしていただけなので、ころころとはね返って来た球を捕る以外、たいした守備もしたことはなかった。とはいっても、いろんな本で勉強して、野球のルール自体はほとんど知っていたんだけどね。
 それはいいけれど、そういうわけで守備練習をやって、「捕る」までならある程度出来るようになったんだ。だけど送球が…、つまり投げると同級生よりも「少々速い球」が行くだけで、ファーストがジャンプしても捕れないような球ばかり。
 本当にどうしようもない選手だったんだ。

 それでも野球が大好きだったから、というか、僕にとって野球という「場所」は、とても居心地が良かった。だから部活はずっと続けて、それに僕はどういうわけか、バッティングだけは本能的に上手かったみたいで、時々試合に代打で出てはヒットも打った。
 打つのって簡単だよ。飛んで来たボールをバットで叩くだけじゃんって、僕はいつも思っていたし。だけど不思議な事に、僕はバッティングには少しも興味がわかなかった。だって練習しなくても簡単に打てちゃうから。

 それにくらべると、投げることの何と面白いことか。投げても投げても、思うような球を投げられない。だからどうやったら上手く投げられるのか。そう考えるだけでも、僕はわくわくしたんだ。だから僕は必死に投げた。投げるのはたいてい一人で、あのテニスコートで。
 
 それで僕は補欠で、球拾いで、試合ではバット引きと、たまに代打。
 それでも僕は十分に幸せだった。野球が好きだったから。
 
 実はコントロールについては、いろんな先輩や顧問の先生なんかにも、いろいろとアドバイスを受けていた。
「相手の胸を狙って投げろ」
「相手のグローブから、決して目を離すな」
「肘から前に出るようにして腕を振るんだ」
「軽く投げてみろ」
「走り込んで下半身がしっかりしたら、コントロールは良くなる」
「コントロールが悪いのは、集中力が足りないせいなんだ」
「もっと丁寧に投げてみろ」

 だけどそんな全ての言葉は、僕にとっては全く無意味だった。
 相手の胸やグローブから目を離さなくたって、ボールは見事にあさっての方角へ飛んで行くし、肘から前にっていったって、肘にガクってきて何だか投げにくいし、軽く投げたらもっとひどいコントロールだし、走っても変り映えしなかったし、集中したって緊張するだけで、よけいに暴投したし、丁寧にっていわれても、僕はずっと真剣に、必死で丁寧に投げていたよ。
 とにかくいろいろ言われたことは全部やったんだ。だけど全部ダメだったんだ。そしてコントロールは悪くなる一方だった。いやむしろ、暴投を繰り返すばかりだったんだ。

 高校へ入っても、似たような感じだった。
 ただ野球と、「投げる」ことが大好きなだけで、投手はもちろん、いかなるポジションでも、どうしようもなかった。たびたび暴投するのだから、野手としても致命的だったんだ。
 いや、もしかして外野手なら、何とかなったのかも知れない。僕は結構足が速かったし、フライを捕るのだって、中学の頃よりはずいぶん上手くはなっていただろうし、それに外野なら、最低でもボールをカットマンに返すだけでもいいし。そのうえ僕はバッティングもいい。だから僕はきっと、そこそこの外野手にはなっていたのかも知れないね。
 だけどやっぱり僕は打つことに興味が持てず、ひたすら投げる事が好きだったんだ。
 そしてその頃の僕は、妙な意地も張っていた。とにかく投手以外のいかなるポジションも、絶対にやりたくなかった!

 そんな頑なな僕に監督は、「外野は絶対に嫌なのか? 絶対に嫌なのか? だったらもう、勝手にせい!」と言って僕を見放した。
 だけど僕は死ぬほど野球自体が好きだったから、野球部は絶対にやめなかった。それで高校でも僕は補欠と球拾いと、代打その他…、つまり中学時代とあまり変らない存在だった。
 ただただ「自分は投手だ!」と信じているだけだった。
 だから僕は、時間を見付けては、個人的にはあのテニスコートでの「壁投げ」はずっと続けていた。暗くなって、ボールが見えなくなるまで。

 そんな僕の様子を、監督はとうに気付いているようだった。
 それはある日。
 僕が例のテニスコートで一心不乱にめちゃくちゃに投げているところに、偶然監督が通りかかり、そして僕のところへやってきたんだ。
 それから監督は、
「お前…、投げるのめちゃくちゃだけど、でも、投げるのが本当に好きなんだな」と、感心したように言って、それからボールの握り方や、「目標から目を離すな」とかいう、僕にとっては全く意味のないアドバイスを丁寧にしてくれて、それから、
「そんなに好きなら、投げるのがんばれよ!」とも言ってくれた。
 つまり監督は、決して僕のことを見放してはいなかったんだ。そして監督が僕の気持ちを理解してくれていたと知り、それはとても嬉しかった。
 監督には今でもとても感謝しているし。

 そして運命の日。
 その日、僕は甲子園のマウンドへと向かって、ゆっくりと歩いていた。


「ともあれ、お前も人生の記念に、この晴れの舞台で潔く押し出しをやってこい!」

 晴れの甲子園のマウンドへと向かいながら、僕は監督の、その、常識ではあり得ないような「花向けの言葉」を胸に刻んでいた。だけどどんな理由であれ、「マウンドに立てる」という事実だけで、僕は幸せでいっぱいだった。
 僕が本当に投げるのが好きだって、監督はよく分かっていたからこそ、ノーコン投手の鳳として、僕に投げさせてくれたんだ。だからどんな理由であれ、ともかく投げさせてもらえることが、僕には嬉しくて仕方がなかった。

 まがりなりにも僕は「投手」のつもりだった。もちろん自分がどうしようもないノーコンだってことも、嫌というほど分かっていた。
(だから監督が言うように、力いっぱい投げて、豪快に押し出そう…)
 僕はそう思い、意を決し、そしてマウンドへ上がった。

 案の定、マウンドの投球練習でも、僕のノーコンぶりは見事だった。8球投げて1球だけストライク。3球は直接バックネットに当たった。相手チームの応援席からは、ゲラゲラと笑い声が聞こえてきた。
(ええい! 笑うなら勝手に笑え!)
 何たって、そのときの僕の「使命」は、豪快に暴投を続け、そして押し出しを繰り返すこと。監督に僕の見事なノーコンを見込まれ、だからノーコン投手の「クローザー」として、今、僕はここに立っている。
 ただひたすらそれだけだ。笑いたい奴は、勝手に笑えばいいさ。


 ところでこの試合、僕らのチームは未だ、ただの一球もストライクが入っていなかった。後から計算してみると、何と52球連続「ボール」だった。そして一回の表、ノーアウト満塁で、得点は10対0で負けていた。
 そしてこれから僕も、豪快に押し出しを繰り返すはずだ。それで20対0にでもなったら、監督は主審に、恥も外聞も無く申し出るつもりだったのだろう。

「え~、このような展開ですし、え~、この試合は、たいへん恥ずかしながら、あ~、放棄試合ということで…」

(監督はきっと何かを覚悟しているな…)
 僕はそう感じていた。そして監督が覚悟していたのは、まさにこのことではないのか。
 初出場の晴れの甲子園の舞台で、恥も外聞もなく、よりによって、放棄試合を…
 そしてその理由が、投手たちが、全くストライクが入らないからだなんて!

 そうでなければ、よりによってノーコンの僕を、甲子園のマウンドで投げさせる訳がない。
 だからそう考えると、他の投手たちとは全く違い、僕はストライクを投げなくてはいけない道理など、全く無かったのだ。だから僕は監督の「期待」に答え、いつもどおりめちゃくちゃに投げ、暴投を繰り返す必要がある。いや、暴投しなければ!

 僕が彼らにわをかけて、めちゃくちゃに投げさえすれば、「彼らの方がよっぽど上手かったじゃん」って、みんな思うじゃないか!
 つまり僕がさらし物になればいいんだ。
 そうすれば、僕らのエースや先輩や同級生たちの顔も立つというものだ。
 だから僕だけがストライクを投げる訳にはいかない。僕だけストライクが入るなんて、絶対に絶対に許されないことなんだ!
 いずれにしても僕は、監督の期待に答えなければ。
 普通ではまずあり得ないような、めちゃくちゃな「期待」に…


 僕がそんなことをごちゃごちゃ考えているうちに、見るからに恐そうな、大きな体の、つわものの打者がのそりと打席に立った。
 マウンドでごちゃごちゃ考えていた僕は、それから心を落ち着かせ、意を決し、モーションを起こし、第一球を思い切り投げた。
 案の定、ボールは豪快にすっぽ抜けた。キャッチャーは飛び上がったけれど、ボールはミットの網をかすめ、バックネットに直接当たった。

 そのときノーアウト満塁。
 スタンドがワーと湧き、そして三塁ランナーは嬉々としてホームへと向かった。
 ところがボールはバックネットの「ネット」ではなく、下のほうの何やら固いところに当たっているようだった。そしてボールはコーンという鈍い音とともに、絶妙な角度で跳ね返り、そして結構な勢いでころころと、よりによって、キャッチャーの所へと戻ってきたんだ。

 それでキャッチャーは素早くボールを拾うと振り返り、そしてランナーはホームベース目前だったので、走ってきたランナーにタッチ…
 アウト!
 僕らのチームで最初のアウト。あんなに取れなかったアウトが、僕の投げた、たったの一球の「クソボール」で簡単に取れてしまった!

 ああ、でも僕は豪快に暴投し、押し出しを繰り返し、そして監督に潔く「放棄試合」を申告させなければいけなかったのだ。
 それを思い出した僕はもう一度冷静になり、力を抜いてゆっくりとモーションを起こし、それから渾身の力で腕を振った。
 見事な「暴投」を投げるために…

 だけど、やっぱり僕には野球センスが無いのだろうね。ボールは僕の意に反し、ど真ん中へいってしまったんだ。小学校のころからあのテニスコートで、時々僕が奇跡的に投げる、あの小さな四角のど真ん中へ行く球!
 それで意表を突かれたバッター…、強豪校のその強打者は、思わずその球を見送った。
 審判はこの試合で初めて「ストラ~~~イク!!」とコールした。
 スタンドからどよめきが上がった。
 この試合で54球目にして、初めての「ストライク」。
 だけど僕は思った。
(だめだだめだ。暴投しなきゃ…)

 そう思って、僕はまた思い切り腕を振り、次の球を投げた。
 だけどなぜかまたど真ん中。二度続けて奇跡が起こったんだ。そしてそれはレフトへの大ファウルになった。
(だめだだめだ。こんなんじゃだめだ。僕は豪快に暴投を投げなくちゃ。これじゃもうツーストライクじゃん!)
 そう思って、それから僕は、また思い切り腕を振った。
 するとまたど真ん中…、だけどそう思ったら、実は豪快に投げそこなっていて、ボールはホームベースの手前で、魔球のようにドスンと落ちた。
 僕が小学生のころから、あのテニスコートで時々間違って「投げて」いた、あのドスンと落ちる魔球。

 それで強打者のバットは空を切った。
 空振り三振! 
 ツーアウト!
 何ということ…
 僕は監督の「期待」を完全に裏切っている。
(だめだだめだ。暴投しなきゃ。押し出さなきゃ…)

 それで僕はそう考え、気持ちを切り替え、それからも渾身の力で腕を振り続けた。そして僕にとって2人目の打者は、僕が2球ほど投げたくそボールの後の、たまたま高めいっぱいに入ったストレートを打ち、それは大飛球となったけれど、センターが必死こいて背走し、何とか追いつき、そして見事に捕球。
 スリーアウトチェンジ!

 それからみんながベンチに戻り、僕にハイタッチをしようとしたけれど、僕はとてもそんな気分にはなれなかった。
 僕はカンペキに監督の期待を裏切っているし。
(こんなんじゃだめだ。暴投しなきゃ、暴投しなきゃ、暴投しなきゃ…)

 とにかくそう思いながら、僕は次の回からも不思議と冷静になりながら、必死に腕を振り続けた。だけど不思議な事に、(暴投しなきゃ)と思えば思う程、実際にはなかなか暴投にはならず、それどころか、ボールはいいあんばいにコーナーに散ったんだ。
 しかも一球一球、微妙に変化し続けた。
 一球一球、絶妙に「投げそこなって」いたからだ。
 あのテニスコートで投げていたときみたいに、勝手にスライドしたり、シュートしたり、ぴゅっと伸びたり、そうかと思えば魔球みたいにドスンと落ちたり。もちろんコントロールは程良く荒れていたし。

 それで強豪校の各打者は、そんな僕の投球に全く的を絞れなかった。それどころか、動揺して、大振りして、空振りや打ち損じばかり。なまじ初戦で打線が爆発したものだから、その反動だったのかもしれない。「打線は水もの」って言うし。それに彼らは僕のことを「どうせへぼピッチャー」って、なめてかかっていたのじゃないかな。
 しかも僕はだんだんと肩が軽くなり、ボールはよく指にかかり始め、自分でも信じられないような「快速球」を投げていた気がする。ボールは打者の手元でぐんぐん伸びていた気がする。
(暴投をしなきゃ)って思いながら投げていたにもかかわらず…

 そして僕は、僕はかなりの数のフォアボールも出したけれど、だけどずっとずっと(暴投しなきゃ…)と自分に言い聞かせながら淡々と投げ続け、何とそのまま九回を投げ抜いてしまったんだ。
 そして味方の守備も途中からどんどん調子が出て、中盤からはファインプレーなんかも続出した。だって僕らは、「奇跡的」だったとはいえ、一応、甲子園へ行けるほどの実力のチームなんだから。
 だからそんなこともあり、僕はその試合、強力なバックの援護もあり、それから無失点で投げ切ってしまったんだ!

 一方、僕らのチームは、動揺したその強豪校の守備の乱れもあり、しかも相手チームの投手が途中から、僕らの投手の「ノーコン病」がうつったのか、突然ストライクが入らなくなったりして、いくつもの押し出しもあり、かと思えばストライク欲しさの棒玉を僕らの打線が打ったりもして、それで僕らは合計9点を奪った。
 それでも結局試合は9対10で破れた。
 だけどその日から、僕の投手としての人生が始まったんだ。

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 著者より
 この作品の続編として発展させたのが拙著「投げる」です。短編を書いて、続編書いたら長編になっちゃった典型ですね。
 主人公のその後の野球人生を描いたものです。どうぞそちらもご覧ください。第4話からどうぞ。
 星こうすけ

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