僕の曲がった人差し指

文字数 8,204文字


 それは僕が中学から高校の頃。だから随分古い話なんだ。
 中学校の野球部で、僕はキャプテンでエースで4番だった。そして右投げ右打ち。
 そして三年生のときに、県大会で決勝戦まで行き、試合も1点リードですでに8回。このまま僕が投げ切って押さえれば、県大会優勝というところまでこぎつけていた。

 だけどその8回の投球で、相手の4番の強烈なピッチャーライナーを、右手の人差指に当ててしまった。
 投げるときに思い切り腕を振り切って、体に巻き付いて、そしてはね返った手が上がった瞬間に、最悪のタイミングでライナーが飛んで来てしまったんだ。
 それで反射的にグラブを出したけれど、ボールは一度グラブの網に当たり、少しだけ向きを変えてから、僕の右手の人差し指を直撃したみたい。
 これはもう不運、あるいは不可抗力としか言いようがない。もしグラブを出さなければ、僕の右手と右の耳をかすめてからセンターへ抜け、僕は無事だったのかもしれないけれど、いまさら結果論を言っても仕方がないし。

 そして人差し指に激痛が走った。
 だけど僕はどうしても投げたかった。そりゃピッチャーなら誰でもそう思うよ。それで、集まってきたチームメイトが、「大丈夫か?」「大丈夫か?」って僕に訊くけれど、僕は思い切り痩せ我慢をして、「大丈夫。平気だよ」と大嘘をついて、そして投げ続けた。
 だけど全然大丈夫じゃなかった。スピードはガタ落ちで、コントロールもままならない。余りの痛さにすぐに脂汗が出て、めまいもしそうで、そしてフォアボールフォアボールヒットヒットフォアボール…ってな具合になり、それから監督が僕を強制的に交代させ、そしてライトが投げる事になり、僕はライトに入り、だけどそれからも大量点を奪われ、結局その決勝戦はボロ負けだった。
 それでも僕らは、「県大会準優勝」という栄冠を勝ち取ったのだけど。

 試合が終わっても右手の人差し指には激痛が走り、まともに動かない。だけどあの時代の田舎では、みんな少々のことでは病院へ行かなかった。みんな貧しかったし、だから病院へ行くという発想自体がほとんどなかった。本当に死にそうなとき以外はね。

 もちろん僕の家も裕福じゃなかったから、人差し指のことは両親にも黙っていて病院へも行かず、だけど人差し指はなるべく動かさないようにはしていた。今だったら考えられないことだよね。
 それで、人差し指はぴんと伸ばしても、ぐっと曲げても痛むから、程良く曲がった状態で力を抜いていると、それがいちばん痛くなかった。そしてそうしているうちに、いつしか指の痛みも止まった。
 だけど僕の人差し指は、そのまま固まったように動かなくなってしまった。多分豪快に骨折していたんだろうね。

 それで僕は投げられなくなってしまい、だからピッチャーどころか野手さえまともに出来ないから、グラウンドにいるのがとても辛くて、それでしばらくは悶々として、だけど中学三年の秋頃、悩みに悩んだ末、僕は監督に相談して野球部をやめさせてもらった。
 監督は、「投げられないんじゃ仕方あんめ。まあ済んだことをくよくよするくらいなら、潔く切り替えて、その分勉強頑張っていい高校へ行けばいいさ」って、あっけらかんと言ってくれた。
 今思うと、監督のそんなあっけらかんとした言葉は、僕にとって救いだったのかもしれない。変に未練がましく思わなくてすんだから。

 それで野球部をやめて、僕は毎日早く家へ帰るようになったけれど、両親は気にも留めていない様子だった。とにかく昭和のあの時代、大人たちは生きることに精一杯で、今では考えられないほど、子供のことには無頓着だったような気がする。
 それで僕はたっぷり時間もあったし、だから監督が言ってくれたように、勉強頑張ろうと思った。
 ところで、字を書くときは人差し指を使わず、鉛筆を中指と親指と薬指で持てば何なく書けた。だから人差し指のことは、勉強には全く支障はなかった。
 だけど食事のとき、お箸は少し持ちにくくて、だけど持てないわけじゃなかった。でもスプーンは全く問題なく使えたから、プーンで食べることの方が多かったかな。

 とにかくそんな感じで秋からは勉強を頑張り、無事、高校に合格した。県立の、結構いい高校の普通科。成績が良かったから奨学金ももらえたし。
 もちろん高校に入った頃も、僕の右手の人差し指は曲がったまま固定して動かなかった。
 ところでその高校には、部活では野球部以外にも、サッカー部、陸上部、水泳部とかいろいろあった。そしてサッカーとか陸上なら、多分指のことに関係なくやっていけるだろうとも思った。だけど僕はなかなか踏ん切りが付かなかった。

 僕は本当は、やっぱり野球がやりたかった!
 だけど右手の人差し指があんなだから。やっぱり仕方がないのかな…

 それで僕は部活にも入らずに悶々としながら、毎日野球部の練習をネット越しにずっと眺めていた。
 カーンという硬球を打つ音。捕球のときの、ミットやグラブのパーンという乾いた音。そして、「いくぞ!」「さあこい!」と選手たちの元気な声。
(うらやましいなぁ。僕もあそこでああやって、野球がやりたいなぁ。だけど指が…)

 そしてそうやっているうちに、いつも野球部の練習を眺めている僕のことを、野球部員たちは「あいつ誰だ?」とうわさを始め、いつのまにか僕が中学の頃エースで4番で、そして県大会決勝で投げたってことも知られていたみたい。
 そしてある日、野球部のエースで4番でキャプテンという人が、僕のところへやって来て声をかけてくれた。

「君はたしか中学のとき、県大会の決勝戦で投げていたんだろう? どうしてうちの野球部に入らないの?」


「僕が決勝戦で投げてたって、よく知ってましたね」
「あたりまえじゃないか。君は中学では県内で5本の指に入る投手って言われてたそうじゃないか。だからもうみんな知ってるよ。俺の弟も君のこと知っていたし」
「だけど僕は、あの…、僕の人差し指、こんなですから…」
「え! 人差し指? 君、怪我してたの?」

 それでキャプテンはとても驚いた様子だったけれど、それから少しして、
「どれどれ見せてごらん」と言って僕の手をじっと見た。



 それからキャプテンは「う~ん…」と言いながらしばらく僕の人差し指を見て、そしてはたとひらめいたように、こう言ったんだ。

「うん! これってチェンジアップの手だよな。だから少なくともチェンジアップは投げられるんじゃないのか!」
「え! ぼ…、僕が投げられるんですか? 本当ですか? で、チェンジアップって、何ですか?」
「初心者にお勧めの変化球さ。いいかい、こうやって握るんだ」

 それからキャプテンは、グラブの中に持っていたボールを僕の手にあてがい、そして僕の手をチェンジアップの握りにしてくれた。



「つまり人差し指と中指の代わりに、中指と薬指と、あとは小指で握るんだ。そうすると力の強い人差し指が掛からないから少しスピードが落ちて、それから少しシュート回転にはなるけれど、投げられることには違いないさ」
「そうなんですか」
「ところで君、野手の経験は?」
「一応、内野は一通りやってました」
「そうか。それに、君はエースだったんだよね。もちろん肩、すごく強いんだろう?」
「それはまあある程度は」
「だったらチェンジアップの握りでも、並みの野手くらいの球速は出るだろう。それにシュート回転だと野手としてはそんなに悪くはないんだ。捕球した奴が、走って来たランナーにタッチしやすいからね」
「そうなんですか。でも先輩って、すごく詳しいんですね」
「あたりまえじゃないか。じゃなきゃキャプテンが勤まるかよ。それにまだあるぞ。中指と薬指で挟めばシュートかシンカーになるし、ナックルカーブも投げられそうだね。ええとつまり、まっすぐとスライダー以外は結構投げられるんじゃないの?」

 それからキャプテンに、「ちょっとキャッチボールしないか」と言われ、そしてキャプテンは、バックネットの近くにあった予備のグラブを貸してくれて、それで僕はそのチェンジアップの握りで投げてみた。
 たしかに人差し指はほとんど関係なく投げられた。でも最初は全くコントロールが付かなかった。だけど投げるうちに要領が分かって、少しずつコントロールできるようにはなった。
 とはいっても、まだまだとてもじゃないけれど、ピッチャーはおろか、野手さえもおぼつかないようなコントロールだった。それに、初めて握った硬球だったし。

 そしてしばらくキャッチボールをして、それからキャプテンが、持っていた硬球を一個貸してくれて、
「ネットにチェンジアップを投げて練習してみなよ。投げられたらもうけもんくらいに思って、気楽に投げたらいいよ。で、投げられるという自信が付いたら、声かけてくれよな。入部はいつでも大歓迎だから」

 そういうわけで僕は、それから毎日放課後、野球部のグラウンドの片隅で、ネットに向かってせっせと投げた。
 そして、まがりなりにも投げられるようになった自分のことが、そのとき僕には夢のように思えた。
 そんな僕の様子を見て、いつしか手の空いた野球部員の誰や彼やが僕のところへやってきて、捕ってくれたりもしたし、「結構いい球きてるよ」とか、「君、すごく綺麗なフォームで投げてるから、きっと上手くなれるよ」とか言って励ましてくれたりもした。

 たしかにチェンジアップは、球速はそれほど出ないけれど、シュート気味にやや落ちる球で、打ちにくそうではあった。そして一週間もすると、普通にキャッチボール出来そうなくらいのコントロールにはなったので、ファーストとかセカンドなら、「並みの選手」くらいの送球は出来そうな気がしてきた。
 それで僕はキャプテンにお願いして、晴れて野球部に入部させてもらうことになった。


 もちろん僕は一年生なので、最初は草むしり、野球の道具の手入れなんかから始まり、そして球拾い。もちろんランニングや素振りなんかもやり、キャッチボールもやり、それからとりあえずセカンドでの守備練習をさせてもらった。
「投手は5人目の内野手だからな。セカンドで経験を積めば、将来投手に復帰できたときにもきっと役に立つからな」
 キャプテンはそう言って僕を励ましてくれた。そして僕は中学の頃、野手でもだいたいのポジションはやっていたので、セカンドの守備も、軟球と硬球のバウンドの違いに慣れるとかえって捕りやすいくらいで、わりとすぐに、そこそこ出来るようになった。

 つまり僕はこの野球部で、少なくともセカンドとして「居場所」が出来たんだ。それは僕にとっては画期的なことだった。
 だって少し前までは、悶々としてネット越しに、みんなの練習をうらやましげに眺めていたんだ。そんな僕がここまで来れたのは夢のようだし、それはキャプテンのおかげだ。だからいくら感謝してもしきれないくらいだ。

 それからしばらくして、僕はブルペンでも定期的に投げ始めた。それにどうやらキャプテンは、僕を投手として復活させる気満々みたいだったし。
 それで、ブルペンではチェンジアップばかり投げていたけれど、しばらくするとそこそこストライクが入るようになった。でもスピードは中学の頃よりはまだ少し遅かった。
 それで、中指と薬指で投げたらどうしてスピードが遅くなるのか。それから僕はいろいろ考えて、きっとそれは薬指の力が弱いからだと思い、それで薬指を鍛えることにした。

 そういうわけで僕は、グリッパーとか鉄アレイとかで薬指と、それともちろん中指、親指を徹底的に鍛えることにした。だって中指が人差し指くらいに、そして薬指が中指くらいに強くなれば、中学の頃と同じくらい、いや、もう高校生だからそれ以上の速い球が投げられるのではないかと思ったんだ。つまりチェンジアップが僕にとってストレートの代わりなんだ。

 そうやって中指と薬指をせっせと鍛えて、そしてブルペンで投げるときも、中指と薬指でボールをしっかり引っ掻くように心がけた。とにかく中指と薬指が、人差し指と中指の代わりなんだと思いながら、必死で投げ続けたんだ。
 そしてそうやっているうちに、球はだんだんと速くなっていったし、それにセカンドの守備練習でも、他の野手と遜色ない、いや、むしろ速いくらいの送球が出来るようになった。もちろん守備だって、捕球やベースカバーもどんどん上手くなったし。

 そしたらキャプテンが外野の練習もやれと言い出した。外野は走る、投げるが重視されるし、投手のための練習にもいいからとか言って。
 それで僕はせっせと外野の練習もやった。カーンと打球の音がしたら必死で走って、捕って、そして思い切りホームに向かって投げる。
 そしたらバックホームでもちょうどいいくらいのシュート回転で、キャッチャーもタッチしやすそうな感じだし、それに肩の強さだって、他の外野手とそんなに負けない感じだったし。
 そういうわけで僕はセカンド、外野、そしてピッチャーの練習を掛け持ちでこなすことになった。そしてキャプテンは、投手だったけれど不幸にもこんな指になってしまった、僕の適性を見極めようとしているみたいだった。

 そうこうしているうちに、チェンジアップは少しシュートするけれど、ピッチャーとしてもストレートの代用として、ある程度使えそうな感じになった。
 スピード自体はピッチャーとしてはまあ普通だったかな。それにチェンジアップなのに結構伸びるようになったし。これはたくさん投げ込んだのと、薬指を鍛えてバックスピンが掛かるようになったからだと思った。
 それで僕は勝手にこの球のことを、「チェンジアップストレート」と呼ぶことにした。

 それからキャプテンは、アメリカの野球雑誌を貸してくれた。
 ところでキャプテンって、アメリカの雑誌まで手に入れて、野球のことを勉強していたんだと知って驚いた。
 ちなみにキャプテンは英語が抜群に出来て、成績は学年でもトップクラスらしかった。それでエースで4番なんだから凄い人だ。体はずいぶん小さくて、背は僕より低いくらいだけどね。
 でも物凄く速い球を投げるし、変化球もいろいろ投げるし、コントロールも抜群なんだ。それどころか、投手以外の全てのポジションもとても上手にこなしていた。本当にびっくりするような、オールマイティーな凄い人なんだ。

 それで、あの頃は今みたいにネットなんかない時代だから、変化球の握り方なんて情報もなかなか手に入らなかった。何たってその頃の僕らの知識では、変化球ってドロップくらいしかなかったから。ええと、ドロップって、今でいう縦のカーブのことなんだ。
 だけどキャプテンに貸してもらったそのアメリカの雑誌には、いろんな変化球の握りの写真が載っていて驚いた。そして僕は、僕の曲がった人差し指でも投げられそうな、二つの変化球の握りを見付けた。
 それはナックルカーブとシンカーだ。これらはキャプテンが最初に僕の指を見たときにも言っていた球種だ。

ナックルカーブ


シンカー


 それで、それらの球がどう変化するのか、ともかく僕は試しにフェンスに向かって投げてみた。
 すると、ナックルカーブはカーブみたいに落ちながら左へ曲がり、シンカーは落ちながら右へ曲がるみたいだった。だからこの二つの変化球をマスターすれば、打者を左右に揺さぶることが出来る。だから技巧派投手として結構いけるかもって思い、何だか僕は、トンネルの遥か向こうに出口が見えてきたような気分だった。

 だから僕は、必死になってそのナックルカーブとシンカーの練習をした。キャッチボールでもブルペンでも。だけど相手がいなくても、フェンスなんかに投げればいくらでも練習できるから。そしてそのフェンスには、ストライクゾーンをテープで貼りつけて、両サイドの低めを狙ってせっせと投げた。

 だけどキャプテンは、「ピッチャーデビューはそうあわてなくてもいいからな」とか言って、僕は主にセカンドだけど、内野全部と外野の練習をさんざんやらされた。それどころか、ときにはキャッチャーの練習までやったんだ。
 キャッチャーの練習では、セカンドへのスローイングもずいぶんやった。
「捕ったら耳。そして思い切り腕を振れ」とか言われながら。たしかに僕のチェンジアップストレートは、いいあんばいにシュートするから、セカンドでのタッチプレーもやりやすそうだったし。

 もちろん試合でもシートバッティングでも、僕は投手以外のいろんなポジションで使ってもらえた。それで、内野手では投内連携の参考になったし、キャッチャーをやったことは、打者の考えていることを読み取り、ピッチャーとの共同作業で投球の組み立てをやる、なんてことも勉強したし。それに時々は盗塁も刺せたから、そのときは気分最高だった。
 とにかく僕は投手以外のいろんなポジションでの経験を積み、つまり「野手」として、いろいろと勉強させてもらったんだ。

 それからもちろん、投手としての修業も必死で続けた。
 それで、僕が目指した投球の組み立てとしては、右打者なら、基本は膝元にシンカー、外角低めにナックルカーブ、そしてチェンジアップストレートは内角高め。左バッターでも基本的に考え方は同じ。つまり四つのコーナーにチェンジアップストレートと、ナックルカーブと、そしてシンカーを投げ込む。そうやってバットの芯を外し、凡フライやゴロを打たせて取る。
 とにかく僕はブルペンでも、フェンスへ投げるときでも、この三つの球種を必死に四つのコーナーに投げまくった。もう根性で投げ続けて、自分のものにしようと頑張ったんだ。
 そして僕の場合、スピードは「並の投手」だから、とにかくコントロールが大切だ。そのために僕はたくさん投げてしっかりとフォームを固め、たくさん走って下半身を鍛えまくった。

 そしてそのうちに、シートバッティングなんかで登板させてもらったりし始めて、もちろん野手の経験も生かし、5人目の内野手としての腕も磨き、牽制なんかもさんざん練習し、そしてキャッチャーの経験は投球術にも生きた。
 こうして僕は、いつでも「ピッチャーデビュー」出来るように、着々と準備をしたんだ。


 それから秋になり、新チームになって、3年生のキャプテンは引退することになった。
 そしていよいよ引退の日、キャプテンは僕にこんな話をしてくれた。

「お前には投手以外のことは、だいたい教えたつもりだ。だけど投手のことはお前自身で切り開くものだと俺は思うから、だから俺はあえてお前に、ピッチングのことはあまり教えなかったんだ。だけどいろんなポジションを経験して、野手の気持ちもずいぶん分かるようになっただろう。投手はマウンドというお山の天辺にいるから、どうしてもお山の大将になりがちなんだ。傲慢で、ワンマンで。だけどそれではいけないと思うんだ。野手がしっかり守ってくれるからこそ、投手は安心して投げられるんだ。だから三振を取ろうなんてあまり考えず、野手が捕りやすい打球を打たせるんだ。そのためにお前には、お前の指でも投げられるナックルカーブと、そしてシンカーがある。そしてお前は、チェンジアップがストレートの代わりだから、剛速球投手ってわけにはいかない。だからどのみち三振はあまり取れない。だから『お山の大将』には、なりたくてもなれないわけさ。だったら打たせて取る以外に、お前に投手としての生きる道はないじゃないか。俺はお前のそういうピッチングスタイルが見えたからこそ、あえてこれまで、お前にいろんなポジションをやってもらったんだ。だからこれからは、野手の人たちと協力しながら投げるんだ。野手の人が捕りやすいように打たせて取るんだ。どんな打球が処理しやすいか、お前にもよく分かっただろう。だからこれからは、どうやったらそんな打球を打たせることが出来るのか、しっかり研究して、しっかり練習するんだ。そしてこれからは、投手一本で頑張るんだぞ。お前ならきっとそれが出来る。だから、これからも頑張れよ。俺は期待してるからな!」

 そんなキャプテンのありがたい言葉を胸に刻んで、僕は新チームでの、秋季大会の先発のマウンドへと向かった。
 そしてこれから僕の、投手としての新たな人生が始まるんだ。

 完
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