第8話 街灯の暗がりで獏を見た。⑤

文字数 1,513文字

「どうです。この夢は」
 僕は隣で寝転んでいる獏に恐る恐る尋ねる。巨大な女性が消えてから獏は暇そうに鼻で地面を掻いている。
「うむ、初めてにしてはまあまあじゃな」
 及第点といったところかのう、と獏は偉そうに鼻を振る。
「まあ、この手の夢はカレーみたいなもんじゃから、お前も料理しやすかったろう」
「カレー?」
 なんともわかりやすそうでわからない例えだ。もう少しわかりやすい例えはないもんかね。
「阿呆。誰が作ってもそれなりにうまくなるっちゅうことじゃ」
 そういわれると褒められてる気がしないのは僕の気のせいだろうか。
「何を言う。最初のうちは完成させることが大事なんじゃ。まあ何はともあれ、」
 いただきます、と獏は鼻を持ち上げる。それに合わせてぐるりと視界が180度回転する。あまりの出来事に立っていられなくなり、思わず僕は目を閉じた。


 多分、昨日は夢を見た。多分とぼかしているのは、その夢の内容を全く覚えていないからだ。どんな夢を見たのか覚えていないけれどいい夢だったに違いない。目を覚ますと、なぜだか私の心はすっきりしていた。時計を見ると、いつもよりも1時間早く目覚めている。
 いつもよりも早く出社して、昨日できなかった仕事に取り掛かる。ミスを訂正するだけなのでそこまで時間はかからない。大事なのはここからだ。書類の隅から隅までミスを探す。少しでもおかしいところがあれば、逐一修正する。これを何度も何度も繰り返す。いちいち時間がかかるが、私にとっては必要な作業だ。
 そうこうしているうちに敦子先輩が出社してくる。きっちり就業5分前。時間にも厳しい敦子先輩は遅刻したことがない。
「あの、書類の確認お願いします」
 敦子先輩が来てからもう一周だけ確認して、書類を持っていく。敦子先輩は私がいつもより早く書類を持ってきたことに驚きながらも書類の確認作業に入る。
 一枚、また一枚と書類のめくれる音がするたびに緊張が高まっていく。
「うん。次はこれお願い」
 最後の一枚を見た後に敦子先輩は、次の書類の束を差し出す。あまりのことにきょとんとしてしまう。
「あの、訂正はないんですか?」
「ないわよ。」
 ぶっきらぼうに敦子先輩は返事する。私の目が信用できないの、と新たなお説教を食らう前に、私はそそくさと自分のデスクへと戻ろうとした。
「……やればできるじゃない」
 ふと、そんな言葉が聞こえたような気がして、敦子先輩の方を振り返る。
「……なによ。なんか文句でもあんの」
 早くも自分のパソコンの方を向いていた敦子先輩は機嫌悪そうに言う。
「あの、今――」
 ――何か仰いましたか?そう聞くのはなんだか野暮な気がして、なんでもありませんと再び自分のデスクへと向かう。
「ちょっと。宮越」
 不意にかけられた敦子先輩の声に思わず身構える。
「な、なんでしょうか」
「今日の夜、空いてる?」
「え、空いてますけど……」
 どうしたのだろうか。また、なにかやらかしてしまったのか。
「飲みに行かない?」
「へ?」
「だから、飲みに行かないかって言ってんの」
 いまいち自分が何を言われているのかわからなかった。入社してしばらくたつが、宮越先輩と飲んだことは一度もない。敦子先輩が私なんかと飲みに行くはずもない、と半ば諦めかけていた。
「も、もちろんです!」
 私は二つ返事で引き受ける。それ、俺も行っていいいやつ?と矢形先輩が空気を読まずに聞いてくるが、そんなことは耳には入らない。
 今日はいい夢見られそうだ、と少しだけスキップしながら私は自分のデスクへと向かうのだった。


「街灯の暗がりで獏を見た。」 終 
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