第6話 街灯の暗がりで獏を見た。③

文字数 1,779文字

 大きくなってしまった後は、やることもないので夜空の星を眺めることにしている。何度も見た光景だが、じっくり見つめると不思議なことに無数の動物たちが浮かんでくるもんだ。私も先人たちに倣って、空に浮かぶ動物たちを探してみる。多分あれはおおぐま座。……あれ、隣の方だっけ?
「すみませぇん」
 足元から間延びした声。下を見てみるとどこから現れたのか、大学生くらいの青年がこちらを見上げている。私の裸を見ないようにしているのか、律儀に両手で目をしっかりと覆っている。別に夢だから恥ずかしいとは思っていなかったが、あからさまに反応されるとその気遣いのせいでかえって恥ずかしくなってくる。
 とりあえず両手で隠すところは隠して青年の方を向く。
「あの、もう隠したので見ても大丈夫ですよ」
 ほんとですか?手どけちゃいますよ、としつこいくらいに繰り返したあと青年はゆっくりと手をどかす。それでもまだ見るのは恥ずかしいのか、いまいち目が合わない。ういやつめ。
「ところで、大きくなるのは初めてじゃないんですね」
 目が合わないままに青年は話を進める。
「確かにそうだけど」
 どうしてそれを?という私の疑問をくみ取ったのか、青年は勝手に続ける。
「だってやけに落ち着いてるじゃないですか。のんびり星なんか見上げて」
 あ、僕鳴滝って言います、と青年――鳴滝さんは聞いてもいないのに名を名乗る。
 鳴滝さんの言う通り、私はここ最近この夢ばかり見ている。初めの頃は驚いてあたふたしているうちに目が覚めていたものだが、何度も同じ夢を見るうちに暇を持て余す時間の方が多くなってきた。人は何もすることがなくなったとき空を見上げる。星座は暇を持て余した先人たちが作った究極の暇つぶしなのだと思う。
「せっかく大きくなったんだから、今しかできないことやりましょうよ」
 いつもの癖で他のことを考え始める私に構わずに鳴滝さんは楽しそうにしゃべり続ける。
「今しかできないこと?」
 京都タワーを引っこ抜いてみるとか、と冗談めかしてかなり物騒なことを鳴滝さんは言う。
「だって、今あなたはこの世界の誰よりも大きいんですよ。誰にも邪魔されないし誰もあなたを止めることは出来ない。こんなに体も大きいんだからその分態度もでかくていいじゃないですか」
「はぁ……」
 言ってることはさっぱりわからないが、自信満々に言われるとなぜだかそんな気がしてくる。
「何か一つでいいんです。今一番したいことはなんですか?せっかくだから、ずっとできなかったことをやっちゃいましょうよ。どんなことになったって誰も何とも思いませんよ、どうせ夢なんだし」
 どうせ夢なんだし。その一言で私の心がちょっぴり動く。やりたいことなら一つだけある。やらなきゃいけないのにずっとできなかったことが。
 そんな私の心を見透かすように鳴滝さんは続ける。
「あるじゃあないですか、やりたいこと」
「……別に、やりたいことなんてないですよ」
 嘘だ。私より嬉しそうな鳴滝さんを見ていると、少し悔しくて何でもないふりをしてしまう。
 やりたいことはある。どこに行けばそれができるかもわかっている。多分あの人はまだあそこにいると思う。
「……鳴滝さん、ちょっとだけ風を浴びたいので、また目をふさいでいてもらえませんか」
 はい、と素直に目を覆う鳴滝さんを確認して、私は立ち上がりアキレス腱を伸ばし始める。アキレス腱を伸ばしている間、空いている上半身の関節をゆっくりとほぐしていく。久しく運動していないせいか、あちこちからポキポキと骨の鳴る音がする。
 準備運動もそこそこに、私は両手と膝を地面につけクラウチングスタートの体勢をとる。不安は残っているが何とかなるだろう。どうせ夢なんだし。
 まだふさいでいた方がいいですか、なんて呑気な声で尋ねる鳴滝さんは放っておいて、心の中でカウントダウンを始める。

 位置について、よーい、……どん!

 小学校以来更新されていない掛け声とともに、右足に力を込める。その少し後に前に出した左足が地面とぶつかる衝撃を感じる。次は右足、その次は左足。腕は自然とついてくる。最初はゆっくりだったテンポも、すぐに速くなっていく。
 行き先は決まっている。私は京都の中心部のビル街へと全力疾走を開始するのであった。
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