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 無味乾燥な時間が淡々と流れていった。十月末の秋の早慶戦はクラスの仲間と一緒に観戦した。春のようなお祭り気分に浮かれることはなかったが、ジャンボマックスの愛称を持つ佐藤選手の大活躍には大いに興奮させられた。東京六大学野球史上最長身の194cmの巨体を利した豪快な打撃で、第一打席にホームラン、第二打席には三塁打、第三打席はまたしてもホームラン、第四打席は二塁打と打ちまくった。巡って来た第五打席にシングルヒットを打てば六大学史上初のサイクルヒットだ。しかし彼はその記録を達成することはできなかった。大歓声の中彼の放った打球はライトフェンスを軽々と超えていった。そう、シングルヒットで良かったのに、ホームランを打ってしまってサイクルヒットを逃したのだ。この日の彼の打撃、一試合三本のホームランはリーグタイ記録、一試合17塁打はリーグ新記録だった。

 早慶戦が終わると西北祭だ。キャンパスが人で溢れかえり、場所によっては満足に歩くこともできない混雑ぶりだ。正門を入ってすぐのところに台座が設置され、そこに一人の学生が風呂敷のマントを羽織り、角帽姿で凛と立っている。西北大のシンボルである小熊公の銅像のパロディだが、これが西北祭の名物だということらしい。ただ黙って立っているだけなのだが、当の本人はさぞかし大変なことだろう。それはどこかユーモラスで微笑ましい姿なのだが、同時に西北大のスピリッツのようなものを感させるパフォーマンスだった。その辺の模擬店を冷やかし、講堂や教室で開催されている様々なイベントを見て回ったが感動を覚えるようなものは特になかった。最も印象に残ったのは、キャンパス内に入るのに現役学生であっても入場料を取られるということと、何と言ってもあの人混みの凄まじさだった。

 十二月に入りさすがの東京もグンと寒くなってきた。アパートの部屋にある暖房器具はコタツだけだった。北海道育ちの私には部屋の中でどてらを着込みマフラーをするなどという厚着の生活習慣がなかった。部屋を夏並みに暖め、半袖Tシャツ一枚で冷えたビールを飲みアイスクリームを食べて過ごすというのが石炭王国の北海道スタイルだ。しかしこの東京ではコタツだけではどうしたって部屋は暖まらない。嫌々ながらもさすがに厚手のセーターを着て過ごすのだが、それでも身体の芯の冷えは一向に消えてくれない。そうこうするうちにだんだん体調が悪くなってきた。身体も頭もとにかく重怠い。どうにも元気が出ず一つ一つの行動が億劫で仕方ない。しかし風邪のような呼吸器系の症状は無いのだ。喉が痛いわけでもなく咳が出るわけでもない。ただただ怠く何をする気力も湧かず胃腸の具合もあまり良くない。熱を測ってみると37度台前半の微熱がずっと続いている。私は風邪をこじらせたのかもしれないと思い、小さな町医者ではなく、椎名町にあった唯一の総合病院「敬愛病院」を受診した。

 いろいろと検査を受けたが結局原因はわからず、抗生物質を服薬して様子をみようということになった。しばらく服薬を続けても微熱は下がらない。風邪ではないとのことで、そんな中でも私は小郡家通いだけは続けていた。しかしどうにも身体がシンドく行き帰りだけでも疲労困憊してしまう。そんなこんなで次第に約束をずらしてもらったり、キャンセルさせてもらうということが頻発するようになった。クリスマスも近づいたある日、私が小郡家に顔を出すと奥さんが体調を心配してくれた。

 「柏木さん、体調が優れないようだけど、どんな感じなの?」

 「はい、微熱がずっと続いていて、とにかく身体も頭も重怠いんです。胃腸の調子もあまり良くなくて。医者にも診てもらったんですけど結局は原因不明で。一応抗生物質は飲み続けているんですけど一向に良くならなくて参ってるんです。いろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。」

 「それはいいんだけど、お部屋はちゃんと暖かくしてるの?」

 「コタツはあるんですけど、それだけでは正直寒いです。」

 「それはダメよ。ストーブは無いの?」

 「はい、持ってないんです。なかなか余裕もなくて。」

 「じゃあ何とかしなくちゃね。お部屋にはガスの元栓が引かれてる?」

 「あ、はい。部屋の隅にあったように思います。」

 「そう。それじゃあ私がお金を出すからガスストーブを買って、とにかく部屋を暖かくしなさい。いいわね。」

 そう言うと奥さんは私に五万円を握らせた。そして「抗生物質を飲み続けて胃がやられているのかもしれなからこれを飲みなさい」と、漢方薬の「恵命我神散」を一箱持ってきた。私は素直にお礼を言ってありがたく受け取った。そして翌日近くの電気店でガスストーブを買い設置してもらった。その効果は絶大だった。部屋は能力の半分で充分暖まり、これまで一日たりとも消えることのなかった身体の冷えがようやく治まった。それと共に微熱は少しずつ下がり始め、あのどうにもならない気怠さも徐々に軽くなっていった。


 正月を北海道でゆっくり過ごし一月の中旬過ぎに私は東京へ戻った。年末にいろいろとお世話になったお礼を兼ねて、私は千歳空港の売店で大ぶりの鮭の半身を丸ごと燻したスモークサーモンをお土産に買った。その翌日私はそれをぶらさげて小郡家を訪ね、改めて奥さんにお礼を伝え深々と頭を下げた。そしていつものように子供たちの勉強をみた。途中トイレに立った時、居間から会話の声が聞こえてきた。奥さんの会話相手は良く遊びに来ているいわゆるお隣さんのお婆ちゃんだった。聞くつもりはなかったのだが、お婆ちゃんの声は大きく、話の内容は嫌でも耳に入って来た。

 「それでお土産にスモークサーモンを持って来たってかい。そりゃあ何とも高いスモークサーモンだこと。五万もするんだからねえ。大変だ。」

 「それは別にいいんですけどねえ。でも、いつまで面倒みなきゃならないのかわからないでしょ。卒業するまで続くのかと思うと、ちょっとねえ。」

 これは奥さんの声だ。

 「ほんと迷惑な話だわよね。それで身体の調子は良くなったって言ってるのかい?何かもらうものもらったら急に良くなったんじゃない?」

 「本人はそう言ってますけど、どうなんでしょうかね。微熱って言われてもこっちでは良く判らないですしね。それまでとそんなに変わった風にも見えませんでしたし。少し慣れてきてサボることを覚えたのかもしれないですね。体調云々もその言い訳で、本当なのかどうか。」

 「これから先もあちこち悪くなるんじゃないのかい。ああ大変だ。」

 「そうですよねえ。でも何分仙一さんの恩人なんで。ねえ。」

 「あんた、恩人ったって何十年も前の話でしょうよ。それを今更ねえ。これだから田舎者は困るんだわ。もうそういう時代じゃないってことがわからないんだわね。あんたも余計な苦労を背負い込んじゃったもんだわねえ。」

 これ以上聞く必要はなかった。私は子供部屋に戻り怒りの感情を押し殺した。しばらくするとお婆ちゃんが帰る音が聞こえた。時計を見るとそろそろ終了の時刻だった。そこから十分程度私は身の振り方を考えに考えた。肚が決まった。私は子供たちに「じゃあここまで」と告げて居間に向かった。

 居間では奥さんが食事の準備をしていた。私は奥さんに声を掛けた。

 「小郡さん、終わりました。これまで本当にお世話になってお礼の申しようもありません。実は今日は大事なお話があってお邪魔したんです。」

 「えっ?大事な話って?」

 「実は私の体調なんですが、なかなか完治回復しないので、北海道に戻って治療に専念することになったんです。その間学校も休学することにしました。今日はその報告とこれまでのお礼を申し上げたくて伺いました。とりあえず身辺整理や必要な手続きをして数日後にはまた北海道に戻ります。これまで長い間本当にありがとうございました。」

 私は深々と頭を下げた。それは今日この場ででっち上げた全くの嘘だった。

 「えっ? そうなんですか? そんな急に。困ったわ、宅に何て言えば。」

 奥さんは慌てていた。先の会話を聞かれたのかもしれないという動揺がそこにはあった。

 「本来なら 小郡さんに直接お会いしてお礼を申し上げるべきですが、私のために時間をとっていただくのも申し訳ないのでこんな形で失礼させていただきます。どうぞ宜しくお伝えください。本当にお世話になりありがとうございました。」

 ポカンとした表情でその場に立ち尽くす奥さんに改めて深くお辞儀し、私は小郡家を後にした。


 市ヶ谷の地下鉄駅へと向かう道すがら、私は怒りの感情を抑え切った自分を褒めていた。嫌々面倒を見てもらっていることは先刻承知していた。その屈辱は何とか我慢できたが、『仮病を使って現金をたかろうとしている』などと思われているとは想像だにしなかった。「ストーブを買いなさい」と渡してくれたあの五万円は純粋に私を助けてやろうという気持ちの現れだと思って、私は心から感謝していたのだ。

 それが実際はどうだ、私は小郡家にたかる寄生虫みたいな下衆野郎と思われていたのだ。私が受け取っているカネは労働の対価だ。何も恥じるものではない。しかしあの奥さんは私にお恵みを授けていると思い続けていたに違いない。いくらこちらが貧乏学生だからといって、よりにもよって「たかり」だとは。私も母親もずいぶんと見くびられたものだ。そこまで侮辱されて平気でいられるわけがない。そんな相手はこちらから願い下げだ。それは間違いなく瘦せ我慢だったが、私はまだプライドを失ってはいなかった。

 これでまた生活の糧を失ったわけだが、その決断は間違っていないと私は何度も自分に言い聞かせた。小郡さん夫婦の心の奥底にあるその思いは遅かれ早かれ表に現れてくる。こうなるのも時間の問題だったのだ。それにしても東京に出てきたこの一年で、私はどれだけ多くの悪意に直面しただろう。面と向かった敵意剥き出しの悪意もあれば、人を金儲けの道具として利用してやろうという悪意、他人をいたぶることで己の歪んだ欲望を満足させようとする悪意、そしてトドメは偽善の陰に隠れた陰湿な悪意だ。それらは私のこれまでの人生全てで受けた悪意の総量を上回っていた。人間の数が多い大都会ではありとあらゆる悪意が蔓延っているということなのだろう。私に向けられたそのような悪意は、性質の悪いウイルスのようにジワジワと私の心身を蝕んでいく。今の私にはそれを跳ね返す強さなどどこを探しても見つからなかった。そんな私がとるべき道はただ一つ。さっさと逃げ出すことだ。次どうするかはそれからの話だ。

 眼の前に小郡家に向かう目印になってくれていた雪印の大看板が見えてきた。雪印乳業の本社ビルの上にデンと設置された、雪の結晶とその中心に北極星をあしらったシンボルマークのあれだ。思えばこの雪印乳業もそもそもは札幌発祥の企業だ。そのマークのデザインもまさしく北海道を象徴するものだった。それがどうだ。今ではこの東京が実質的な本社機能を担い、札幌の本社は登記上の形だけのものになっている。自らの依って立つアイデンティティをいとも簡単に捨て去り、金儲けを最大化するために東京という訳のわからない怪物の下に隷属することを良しとする。そしていつしか最も大切なものを見失ってしまうのだ。それは企業も個人も同じことだ。しかしそれに気付いた時にはもう遅い。何もかも全てはもう取り返しはつかないのだ。

 今回の一件で私は重要なことを学ばせてもらった。それは「誰かの力を借りるということは、かげがえのない自分自身の自由を差し出すことになる」ということだ。言い換えれば「自由に生きたいと願うのであれば、誰かに頼るのではなく何事も自分の力で何とかしなければならない」ということだ。たとえ貧しくひもじい思いをしたとしても、誰からもとやかく言われることもない。あとは自分の力で何とか出来る範囲がどの程度のものかという話だ。その範囲で生きていければ万々歳だが、それが無理なら潔く撤退するというのも一つの勇気であり、何ら恥じることは無い。

 そしてもう一つ。「人には相性というものがある」ということ。相性が合うということは、きっと何らかの縁が繋がっているのであり、そういう人と過ごすのが本来自然な姿なのだ。逆に相性が合わない人というのはそもそも縁が無いのだ。無理して付き合うのはエネルギーと時間の無駄遣い以外の何物でもない。そんな人間関係はさっさと捨ててしまえば良い。そもそも全ての人と仲良くうまくやっていけるなどというのは大いなる幻想だ。心身ともに健全に生きていきたいと願うのなら、自分の心に素直に従う以外に道は無い。『そうだ、これからはそう開き直って生きていこう』私は覚悟を決めた。

 何もかもがうまくいかなかったこの一年、私は『一体何のために東京に出てきたのか』と何度も何度も自分に問いかけていた。私がやってきたことといえば、結局はアルバイトだけだった。働く理由はもちろんこの東京で生きていくためのカネを得るためだ。そんな結論は断じて認めたくなかったが、その問いの答えは明らかだった。私は『アルバイトをするために東京に出てきた』恰好になっていた。何というバカげたことだろう、本末転倒も甚だしい。そうなってしまった原因は深く考えるまでもない。東京で暮らすための『核となる目的』を見失っているからだ。それゆえに日々は虚しく流れ、多くの悪意に対抗できる強さも備わらないのだ。

 今の私にはその『核となる目的』を明確に定めることが最も重要なことだった。しかしそれも既に判り切っているのだ。ただそれに向かって具体的に行動できていないのが問題なのだ。私にとってその『核となる目的』とは第一にジャズ活動であり、第二にひとかどの社会人になるための下地作りだった。あとはそれに向かって行動を起こすだけだ。私はこの一年の失敗を二度と繰り返したくなかった。来年こそはその目的に向かってビビることなく新たな一歩を踏み出そうと私は固く心に決めた。それはモダンジャズ研究会の門を叩くということであり、新たな家庭教師先を自力で見つけ出すことだった。『どうなるか先のことは判らないが、それはそのときに考える。』私はいつになく開き直った心持で二年目の春に臨んでいた。
 
 
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