第1話(2)

文字数 3,610文字

 エリザベートに初めて会ったのは私が冒険者ギルドの職員の面接日だった。
「君、顔が真っ青だけど大丈夫かい?」
 ギルドに併設された酒場の隅でガチガチに緊張しながら面接を待つ私に声をかけてくれた冒険者が彼女だったのだ。
「大丈夫です」
「そう。そりゃよかった」
 そう言うと、エリザベートは向かい席に腰を下ろし、私をジロジロと見つめてくる。
 手には酒場で提供している酒が入ったジョッキ。
 酔っ払いの面倒なんていてる暇ないのに、なんて思いながら彼女と目を合わさないように徹した。
「君ってさ、今日面接する職員志望の子でしょ?」
「……そうですけど」
「やっぱりね。ねえ、名前なんていうの?」
「え?」
「君の名前だよ。あと、出身地」
 どうして初対面の人にそんなことを教えないといけないのだろう。
 これじゃあまるで……。
 そう考えたところでふと思った。
 もしかして、これが面接?
 ここの面接はギルド職員が冒険者に扮して普段のコミュニケーションの仕方を見る方式なんじゃないだろうか。
 そうだとしたら、今そっけない態度を取っている私って……。
 急に焦りがこみ上げる。
 どうしよう、どうしたらいい、という言葉が頭の中でぐるぐると駆け巡って考えをぐちゃぐちゃにする。
「あれ、今更緊張?」
「えっと、その……」
 言葉が出てこない。
 そもそも、初めは何を聞かれていたんだっけ?
「なるほどね〜」
 唐突に口から漏れる言葉に、肩がビクリと飛び上がる。
 なるほどね、って何が!?
 その言葉の意味を考え出すと、思考が止まらず、頭がこんがらがっていく。
「お待たせしました。ビール二人前です」
 すると、私とエリザベートの前に酒で満たされたジョッキが置かれる。
「え?これは……?」
「緊張してるみたいだったからさ、私が頼んどいた。もちろん私の奢りだから。そこは安心しな」
 そう言って、エリザベートは自分の分を豪快に喉に流し込む。
 面接中にお酒……?
 想像していた面接とあまりにかけ離れた現状に思考が停止する。
「……もしかして、飲めない歳だった?それともお酒ダメ?」
「あ、いえ。飲めます。飲みます」
 正直、お酒はあまり得意ではない。
 だが、勧められたので飲まなければ、と私はお酒を口にした。
 すると、結構強いお酒だったのか、すぐにふわふわとした感覚に包まれた。
「これで緊張もしないでしょ」
 彼女はニヤニヤと笑みを浮かべている。
 確かに彼女の言う通り、緊張はほぐれている気がした。
「えっと、すみません。さっきの質問なんですけど。もう一回言ってもらってもいいですか?」
 喉の奥でつっかえて出てこなかった言葉が、スラスラと出てくる。
 お酒の力すごい。
「ああ、名前と出身地のやつ?」
「ああ、はい。名前と出身地ですね。私はリンネです。出身地はイグニスです」
「リンネ。いい名前だね」
 いい名前なんて、初めて言われた。
「はい。ありがとうございます。ありがとうございます」
 褒められたことが嬉しくて、何度も頭を縦に振ってお礼を言った。
「リンネ、君って面白いね」
「……?」
 面白いことなんてした覚えがないのだが。
「ああ気にしなくていいよ。それより、リンネはどうして――」
「エリー、あなた一体何をやっているのかしら?」
 エリザベートの話を遮るように声がかかる。
 声の主は中年の女性。
 気品に満ちた身なりをして、背は高くスラッとしていて、顔に刻まれたシワ一つ一つにおいても品がある。
「ああ、ギルマス。久しぶりだね。元気してた?」
 ギルドとは、ギルドマスターの略称。
 それはつまりギルドを経営するギルドの中で最もたかい地位を持つ人物のことである。
「ええ、お陰様で元気よ。それで、エリーはその子と一体何をしているのかしら?その子はこれから面接があるのだけど」
「面接の緊張で死にそうになってたから、ちょっくら緊張をほぐしてやってるんだよ」
「お酒で緊張ほぐそうなんて、いくら何でも荒療治すぎよ。ちなみにそれは何杯目?」
「まだ一口、二口とかだよ」
 ギルマスは頭を抱えて大きなため息をついた。
 エリザベートはケラケラと笑い声を上げている。
「……」
 私はそんな二人の様子を前にして、頭がこんがらがっていた。
「あ、あの……面接ってもう始まってるんじゃないんですか?」
 そう問いかけると、ギルマスはギョッと目を丸くさせる。
 一方、エリザベートはゲラゲラと大笑い。
「私みたいな見るからに冒険者のやつが職員の面接なんてするわけないだろう。それか何だ。私を冒険者の格好をした職員だと思ってたの?」
「違ったんですか?」
 私の言葉にエリザベートはさらに大きな笑い声を上げる。
 笑い過ぎて終いには、息ができない、と笑いながら叫びだす始末だ。
「知ってると思うけど、冒険者ギルドは国が管理する組織よ。そんな組織がお酒を交えながら面接をするわけないでしょう」
「……ごめんなさい。勘違いしていました。エリーさんもごめんなさい」
 私は二人に深々と頭を下げる。
「それにしてもどうしようかしら。流石にこんな状態で面接しても意味がないわ」
「いいじゃん。面接すれば」
 エリザベートは私に視線を向ける。
「今なら言いたいこと、緊張せず言えるよね?」
「は、はい。面接やります。やらせてください!」
 彼女の言う通り、お酒が入ったことによって緊張という文字は私の中から消え失せていた。
 むしろ今なら何でも答えられる自信さえある。
 なら、これを逃さない手はない。
「……まあいいわ。お酒を飲ませたのはエリーみたいだし。さあ、ついていらっしゃい」
「はい」
「頑張れ。一緒に仕事できるの楽しみにしてるよ」
 エリザベートはそう言って、私に微笑みかけてくれた。
 その笑みを見た時、方法は滅茶苦茶だったけど、本当に私のことを思ってくれてたのだと感じた。
 ちょっとだらしないところがあるけれど、心優しき冒険者。
 それが私の知るエリザベートだった。

 けれど、私の知るエリザベートは偽りだった。
 本物のエリザベートは人類を脅かす化け物だったのだ。
「ねえ、リンネ。今日見たことは見なかったことにしてくれないかな?」
「ギルドに魔物が、それも人型魔物が紛れ込んでいると知ったんです。ギルド関係者として、それを見逃すことは到底できません」
 人型魔物は狡猾で残忍だ。
 たった一匹の人型魔物が一晩で街を壊滅させ、数千人の死者を出したなんて記録も残っている。
 人型魔物はそれだけ危険な存在なのだ。
 それを野放しにはできるわけがない。
「……そっか。残念」
 エリザベートの浮かべた悲しみを憂う表情に心がぐっと締め付けられる。
 騙されるな。
 人型魔物は他の魔物と比べて知能が高く、言葉を巧みに使って相手を惑わせることも可能なはずだ。
 だから、彼女に情を抱いてはいけない。
「真面目なリンネらしいね。まあ、仕方ない。じゃあ、あれで――」
 エリザベートが何かを言おうとした時、林の向こうから金属を踏み鳴らす複数の音が聞こえてくる。
 音がするように視線を向けると、闇の向こうからぼんやりと小さな光の揺らぎが見える。
「近くにいた冒険者だね。さっきの戦いに気付いて様子を見に来たとかかな?」
 助かった。
 このまま冒険者たちに助けてもらえば、ギルドに報告できる。
「こっちです!助けて――」
「おっと。誰が助けを呼んでいいなんて言った?」
 目にも留まらぬ速さでこちらへ接近した蝙蝠女の姿のエリザベートが私の口を塞ぐ。
「場所を変えようか。潜るから我慢してね」
 直後、視界が真っ黒に塗り潰された。
 今度は分かる。
 私は今エリザベートと共に影の中を潜っているのだ。
 逃げなきゃ……!
 手足を目一杯動かした。
 けれど、ギルド職員程度の力では彼女の力に勝てるはずがない。
「やめたほうが良いよ。私が逃がすわけないし。あと、下手すると溺れ死ぬよ」
 彼女の言う通り、暴れれば暴れるほど肺に残った空気が急速になくなって息苦しさに襲われる。
 それでも、万一があるかもしれないから……。
 私はエリザベートの警告を無視して、手足を振り回す。
「へえ、ここでギャンブルに出るんだ。そういうところ私は好きなんだけど、今されるのはただただ面倒なんだけなんだよ」
 エリザベートは溜息をつく。
 すると、彼女は後ろから私を抱きしめる。
「ちょっと大人しくしてもらうよ」
 一体何を……!?
 直後、首筋に激痛が走った。
 噛まれたのだ。
 彼女の刃物のように鋭く尖った犬歯が皮膚を引き裂いて、肉に食い込む。
 そして、傷口から血を搾り取るように吸い込んで、喉の奥へとに流し込んでいく。
 血がなくなる……。
 貧血で眩暈がする。
 私の血を一気に飲み干そうとするかの如き勢いで、身体から血が吸い出され、それに応じて眩暈も酷くなる。
 ダメ、意識が飛んでしまう……。
 やがて、意識を保っていられなくなった。
「はい、お休み」
 意識が途切れる寸前、エリザベートが不敵に笑う姿が見えた。
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