第1話(3)

文字数 3,110文字

 気が付くと、私は見知らぬ部屋のベッドで横たわっていた。
 大人三人が寝転がってもまだ余裕がありそうなベッド。
 窓は厚手のカーテンで締め切られており、照明もぼんやりと光を放つ程度で薄暗く、艶めかしくも不気味な空気が漂っている。
「ああ、やっと起きた。おはよう」
 バスローブ姿のエリザベートがベッドに腰を掛けている。
 手には鮮やかな赤色の液体が注がれたワイングラスがある。
 その液体を目にした瞬間、意識を失う直前の記憶がフラッシュバックする。
 慌てて首筋を確認した。
「ああ、大丈夫。あと、これはただのワインだよ。イグニスから取り寄せた最高級品なんだ」
 そう言って、ワイングラスを回してみせる。
 首の傷は、どういうわけかきれいに消えていた。
「ここはどこですか?」
「私の屋敷だよ。ここでならゆっくりお話ができるからね」
 なんてことだ。
 私は化け物の巣に連れてこまれてしまったらしい。
「私をどうする気ですか?殺す気ですか?」
「話聞いてた?お話がしたんだって」
「魔物の言うことなんて信用できません。魔物の言葉に意味なんてないそうですから」
「……」
 悲しそうな顔を浮かべるエリザベート。
 だが、それを信じちゃいけない。
「参ったな。どうしたら私のことを信用してもらえる?」
「今すぐ私を解放して、大人しく冒険者ギルドに投降してもらえれば少しは信じます」
「……そんなことしたら、私は殺されちゃうね」
 エリザベートははぁーっと深い溜め息をついた。
 そして、ワイングラスの中身を一気に飲み干すと、一人で語り始めた。
「リンネ、私は確かに魔物だよ。でも、人間を襲ったことなんて殆ない。昔、ある人間に助けられてね。それから私は人間のつもりで生きてる。だから、ないでしょ。人型魔物の目撃情報なんて」
 確かに人型魔物の目撃情報は冒険者ギルドに届いていない。
 けれど、それだけで彼女が潔白であることは証明できない。
 目撃者が全員彼女の手にかかっていれば、目撃情報がないのも不思議ではないからだ。
「でも、いくら人間のように振る舞っても、本質は魔物だからね。性質上、どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」
「やらなきゃいけないこと、ですか?」
「定期的に血の摂取が必要なんだ」
 その言葉を聞いて、首筋に噛まれた時の痛みを感じた気がした。
「魔物は人間にはない魔力があるのは知っているよね?その魔力を作る方法は種によってそれぞれ違うんだ。そして、私の場合は血の接種というわけ」
 エリザベートは肩をすくめて更に続ける。
「でもね、ただ血を飲めばいいってことじゃない。新鮮な血じゃないとダメなんだ。その上、生き物の種類で効果に違いもあってね。結論から言うと、人間の血を、それも成熟したての女の血を飲むのが一番効率のいい方法なんだ」
 彼女の言葉に背筋が凍る。
 成熟したて、という意味はあまり分からなかったが、それに私が当てはまっているような気がした。
 そして、その予想の答えを示すかのように、エリザベートは魔物の姿で私の上に覆い被さった。
 コウモリのものに似た翼は目一杯広げるとベッドを覆い尽くすほどで大きく、その圧倒的な強者の圧に息が詰まる。
「リンネ、どうか君の血を分けてくれないだろうか?もちろん殺しはしない。君の生活に支障が出ないようにすることも約束する」
「だから、私は魔物の言うことなんて――」
「もちろんタダでなんて言わないよ」
 エリザベートは私の耳元に口を近づけて、こう続けた。
「私には特別な力を持っていてね。私に血を吸われた人間はその人が持つ血の才能を開花させることができるんだ」
「血の才能……」
 エリザベートの言葉に、私の心は大きく揺れた。
「フランメの血を開花させたいと思わないかい?」
 フランメ、それ優れた魔術師を多く輩出する名家のことである。
 そして、それは魔術の才能がないという理由から一方的に奪われた私の家の名でもあった。
「どうしてその名を知ってるんですか!?誰にも教えていないのに!」
「ふふ、なんでだろうね?」
 そう言って、不敵な笑みを私に向ける。
 エリザベートという存在が一層怪しくなった。
 この街の人間が絶対に知らないことをこの魔物は当然のように知っている。
 血をもらうため、なんて言っているけれど、それすらも本当か怪しいものだ。
「さっきも言った通り、私の目的は君の若々しい血。君は自分の血を提供するだけで、君の欲しかった才能が手に入るんだ。こんなお得なことはないと思うよ」
「……」
 エリザベートは私の顎を持ち上げて、私をのぞき込む。
 鮮血のように鮮やかな赤い瞳に私の顔が映りこんでいた。
 歓喜と不安が滅茶苦茶に混じりあった表情であった。
「さあ、どうする?」
「あ、う……」
「ほら、いいなよ」
 エリザベートは私に催促をするように首筋に舌を這わせる。
 緊張で敏感になっていたのだろうか。
 エリザベートの舌が肌を這う感覚に身体がピクリと跳ねた。
「欲しくないの?私の力があれば、自分を捨てた家族を見返せるよ?」
「う、うう……」
 エリザベートの舌はどんどん上の方へと上がってくる。
 ざらざらとした彼女の舌が肌と擦れるたびに、身体の芯から広がるような甘い痺れが全身を駆け巡る。
 身体が熱くなって、頭もフワフワしてくる。
 そして、エリザベートは私の耳元に唇をそっと近づけて、こういった。
「ほら、いいなよ。欲しいって」
「……しい。欲しいです」
 朦朧とした意識の中、私はそう口にしたのだった。
 きっとこれが本心だったのだろう。
 私は不覚にもそれを引き出されてしまった。
 初めて出会った時、緊張していた私の心を解きほぐしたように。
「よく言えたね。頑張った子には、ご褒美をあげないとね」
 そういうや否やエリザベートは私の首筋に嚙みついた。
「あっ!?」
 エリザベートの犬歯が皮膚ごと私の血管を引き裂く。
「あ、ああっ……!」
 傷口から血を吸い上げられる感覚がはっきりとあった。
 身体は電気を流され続けているかのように痙攣し、エリザベートが血を勢いよく吸い上げる度に、頭の中でバチバチと火花が弾けて意識が明滅する。
 血を吸われているだけなのに……。
 体内の血が少なくなって、身体の末端から冷たさという形で死の気配が近づいてくるのを感じる。
 なのに、なのにだ。
 気持ちいい……!?
 それはカジノで大当たりした時に感じる頭の中から噴き出す、一度感じたら忘れられない鮮烈な快感そのものだった。
 いや、その快感は私が知っているそれの何倍もの快楽をはらんでいた。
 これは知っちゃダメなやつだった。
「ダ、メ……」
 意識が飛ぶ……。
 頭がどうにかなってしまいそうなほどの快感に耐え切れず、ブツリと糸が切れるように私は意識を失った。
 
「おっと。いけない。吸い尽くしちゃうところだった。まったく、君の血が美味し過ぎるからいけないんだよ」
 リンネが意識を失ったことに気づいてエリザベートは慌てて首筋から口を離した。
 快感に耐え切れず、リンネを白目をむいている。
 首筋にできた傷はもう塞がっていた。
 エリザベートはそっと彼女の目蓋を下ろしてやる。
「ごめんね、リンネ。実は吸血には強い依存性があるんだ。カジノに依存する君のことだから、きっと目が覚めれば吸血のことで頭がいっぱいになってると思う。でもそれじゃあ、足りないんだよね」
 リンネを身体をいとおしく撫でながら、彼女はこう続ける。
「君は身体も心も全部私の色に染まらなきゃいけない。私しか見えないようにならなくちゃいけない。だから、次は君の心を満たしてあげるよ」
 薄暗く不気味な部屋にエリザベートの笑みが響き渡る。
 
「楽しみにしててね。リンネ」
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