第2話(1)

文字数 4,271文字

 薄暗い部屋の中、ベッドの上で一人の女が私の上に覆い被さっていた。
 部屋の明かりの光を受けて銀色に輝く髪を持つ女。
 顔の全貌は影に隠れて良く分からないが、影の中からギラリと輝く真っ赤な瞳は私のよく知る人物に似ているような気がした。
「私に血を差し出しなよ。そうすれば、君を捨てた家族を見返す力をあげるよ」
 女は私の耳元で甘い声を囁く。
 声が頭の中で反響して、目が回ったかのような上下左右の感覚が滅茶苦茶になる。
 不思議なことにそれを気持ち悪いとは感じず、むしろ心地良いと感じてしまう。
「さあ、言いなよ。欲しいって言いなよ」
 もう彼女が何について話しているのか分からなかった。
 けれど、彼女はそう言ってほしいんだろうな、ということくらいはかろうじて理解できたのだ。
「……欲しい。欲しいです」
 だから、その言葉の意味も理解せず、言われるがままそう呟いてみせたのだ。
 すると、女は不気味に、そして嬉しそうに口角を吊り上げた。
 そして、彼女は異様に発達した犬歯を見せつけるように口を開けると、そのまま私の首を……。

「いやああ!!」
 私は悲鳴を上げながら飛び起きた。
 そこは私の家だった。
 家と言っても、今にも倒壊してしまいそうなボロアパートの一室である。
「夢?」
 現実の出来事ではなかったことに一安心。
 一応、女が噛みつこうとした首筋を確かめてみるも、当然傷は見当たらない。
 けれど、妙に現実味があって、全身からは嫌な汗が吹き出していた。
「あれ?そもそも、私いつの間に家に?」
 ふと、違和感を覚える。
 私の家なのだから、私が家で寝ているのは普通のことだ。
 けれど、家に帰ってきた覚えがない。
「仕事が終わって、給料日でしたからカジノに行こうとして、それでどうなりましたっけ?」
 ギルドを出たあたりから記憶がおぼろげになって、思い出そうとしても思い出せない。
 まるで酷くピントがずれた眼鏡を通してみているかのようだ。
「お酒でも飲んだんですかね?」
 私がカジノよりも飲酒を優先することなんて考えられないし、二日酔いの感覚もないのだが、これ以外説明のつけようがなかった。
 問題さえ起こしてなければ何でもいいや……。
 私は考えることを放棄して、ベッドに転がった。
 時計を見ると、出勤のことが頭に過る。
「行きたくないな」
 もう仕事にはうんざりしていた。
 けれど、頼れる人のいない私は働くしか選択肢はない。
 自然と重々しい溜息が出た。
 このままでは出勤前に心が潰れてしまいそうで、仕事以外のことを考えるようにする。
「そう言えば、あの人、エリザベートさんに似ていたような」
 金髪と銀髪でまったく印象が違うのに、何故かそう思えてしまった。
「あれ?」
 急に呼吸が荒くなった。
 心臓に鼓動が早くなって、身体の奥が熱くなる。
 会いたい、会いたい……。
 エリザベートさんに会いたい……!
「ふふっ。大分疲れてるんですね、私」
 今まで彼女のことをそういう目で見たことなんて一度もない。
 こんなことを思うのは疲れているからなのだろう。
 なんておこがましい。
 他人を求めようなんて考える自分が恥ずかしくなった。

 冒険者ギルド、それは周辺地域の治安を守るために作られた自治組織である。
 魔物の討伐やダンジョンの制圧、また野盗、犯罪者の捕獲、被災地の復興支援などのギルドが抱える課題は様々。
 これら課題の対処を冒険者と呼ばれる傭兵と連携して行うことでこの街の治安を維持しているのである。
 そんな冒険者ギルドに就職すると、初めに経験するのが依頼窓口対応と資料整理だ。
 私はもうここに入って三年目だが、未だにこの二つの仕事以外のことをやったことはなかった。
「こんにちは。こちら冒険者ギルドバードック区域の依頼受付です。用件は何でしょうか?」
 私はカウンターの向こうにいるガタイの良い男性冒険者に問いかける。
「依頼の受注だよ。見たら分かんだろう!早く依頼書を出せ!」
 男性冒険者はカウンターに一枚の革張りの手帳を叩きつける。
 それは冒険者手帳と呼ばれる彼の冒険者としての情報が記された証明書である。
「了解しました。ただいま準備いたします」
「早くしろ」
 なんて態度の悪い冒険者なんだろう……。
 イラつきを顔に出すまいと我慢しながら、依頼を紹介する準備を行う。
 戦闘適性……4。
 調査適性……1。
 魔術適性……0。
 犯罪履歴……なし。
 その他情報は……。
 見た目や体格からも予想はしていたが、この男は魔術を使わない純粋な戦士タイプの冒険者らしい。
 私は手帳を確認しながら、彼の適正にあった依頼書を棚から取り出していく。
 ちなみに、この評価は0〜9、A、S、SSの十三段階である。
「お待たせしました。こちらが今回受注可能な依頼書です」
 私は数枚の依頼書をカウンターに並べる。
 あとは冒険者自身が依頼内容や報酬など、条件にあった依頼を選択すれば依頼完了なのだが……。
「チッ、安い報酬ばっかりじゃねえか。おい、もっと報酬が良いやつはないのか?」
 たまにいちゃもんを付けてくる輩がいる。
「報酬の良い依頼はありますけど、冒険者さんの適正が――」
「あるなら出せよ」
「適正は合わない依頼は失敗の可能性が増えますし、冒険者さんの命にも関わります。ですので、ご紹介はできません」
「うるせえ!出せって言ってんだろうが!」
 冒険者ギルドに響くほどの大声を上げて、拳をカウンターに叩きつけた。
 あまりの高圧的な態度に思わず身体がすくむ。
「えっと……」
 ちゃんと説明しなきゃ……。
 冒険者の持つ適正よりも高い適正が必要とされる依頼を紹介することはできない決まりなのだ。
 そう説明しようとするのだが、その時にはもう身体が酷く震えて声も出せなくなっていた。
「あ、う……」
 言葉が出てこない。
「おい、早くしろよ!」
「ひっ!?」
 怖くなって耳を塞いだ。
 すると、音がさらに怒鳴って、耳を塞ぐ手を離せなくなった。
 活気に溢れるギルドの空気が一気に重くなる。
「冒険者さん〜。こちらの依頼はどうですか〜?」
 すると、カウンターの奥から現れた小柄で年若い職員が一枚の依頼書を手に現れる。
 同時にギルドにいた冒険者がワッと声を上げた。
「ニカニカだ」
「やっぱカワイイわ」
 職員の少女はニコリと笑ってウィンク。
 その愛らしさに冒険者の気分はさらに上がる。
 彼女はニカ。
 私よりも年下だが、職員としての経験は豊富で一年前からギルドマスターに就いている。
 そして、この冒険者ギルドで絶大な人気と支持を得ているギルドのアイドルだ。
「おお、ニカニカ。今日は会えないかと思ってたぜ」
 私に怒鳴り散らしていた男はニカを前にすると態度を一変させ、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた。
「もう〜。冒険者さん、ニカと会えないからって怒鳴っちゃダメだよ〜」
「えへへ、ニカニカに怒られると悪い気はしねえな」
「こら〜。ちゃんと反省しないと、めっ、だぞ〜」
 そう言いながら、ニカは手にした依頼書を男に見せる。
 その依頼は私が見繕ったものの一つだった。
「冒険者さん、この依頼とかどうかな〜?ニカのオススメなんだけど〜」
「ニカニカのオススメならもちろんやるよ」
 男は二つ返事で依頼書を受け取った。
 そんな……同じ依頼なのに……。
「ここはニカがやるから、リンネちゃんは資料整理をお願いね〜」
 ニカはにこやかな笑みを作って私にそう言う。
 けれど、冒険者の目の届かないカウンター裏では手で私を追い払うような仕草を見せる。
「……はい」
 私は逃げるようにカウンターの奥へと引っ込んだのだった。
 この後のことが怖くて怖くてたまらなくて、このままギルドから逃げてしまいたかった。

「ねえ。ちゃんとやってくれないかな〜?」
 言われた通りに資料室で資料を整理していると、ニカから声がかかる。
 カウンターにいた時とは打って気の強そうな態度を取っている。
 これが冒険者の知らない彼女の裏の顔である。
「ニ、ニカさん……」
 彼女の声に勝手に身体がガタガタと震えだす。
「リンネちゃんさ、何年目だっけ〜?あれくらい後輩の子でもできるだけど〜?」
「……ごめんなさい」
「謝る前にさ〜」
 突然、ニカは私の髪の毛を鷲掴みにし、強引に引っ張り寄せる。
「グズで能無しの私を助けてくれて、ありがとうございます、でしょ〜?」
 ニコニコとまったく笑っていない笑顔を作っては、私を見下ろすニカ。
『魔術を扱うの才能がないかわいそうな妹。私たちみたいな天才と一緒に魔術の鍛錬ができるのを喜びなさいな』
 それはかつて鍛錬と称して私を痛めつけた姉弟たちから向けられる表情とまったく同じだった。
「あ、あう……」
 ニカの顔が姉弟たちの顔と重なると、途端に視界がぐにゃりと歪んだ。
「泣いてないでさ~、言うこといいなよ。このグズ!」
「うっ……」
 ニカの跳ね上げられた膝が腹部に食い込む。
「先輩に感謝の一言も言えない、まともに仕事一つできない上にすぐに泣いて誤魔化す!この無能!いい加減、給料泥棒だってことを自覚しろ!!」
 腹部の痛みでうずくまる私に何度も靴底を叩きつける。
 そんなニカの表情は痛快とばかりに明るかった。
「ごめんなさい!ごめんなさい……!私は無能です。これ以上は許してください……!」
 嗚咽混じりに絞り出したそれは幼少期から染み付いた降伏の言葉だった。
 ごめんなさい、自分は無能である、ということを何度も口に出すと、姉弟たちはニコニコと笑みを浮かべて許してくれた。
「ふ~ん。じゃあ、何したらいいか分かるよね〜?」
 ニカも同じような人間だった。
「無能な私を助けていただき、大変ありがとうございました」
「は~い。よくできました」
 笑みを浮かべながら、私の頭をまるでペットを撫でるかのようにぐしゃぐしゃと撫で回す。
「じゃあ、引き続き資料整理はよろしく〜。あ、追加分の依頼書の作成と売上の集計もよろしくね〜」
「……はい」
 どちらの仕事も本来ギルドマスターであるニカの仕事であり、営業時間終了後に行う仕事である。
 つまり、この瞬間、残業が確定したわけだ。
 だが、残業代は出してもらえない。
 完全なタダ働きであるが、何か言おうものなら暴力を振るわれるので何も言えないのだ。
 自分の仕事を押し付けることができたニカは上機嫌で部屋から出ていった。
「……」
 こんなのが毎日だ。
 もう嫌になってくる。
 辞めたい、こんな仕事もう辞めたい……。
 毎日のようにそう思うものの、無能な私が次の職が見つけられるとは思えない。
 だから、辞めたくても辞められなかった。
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