第2話(2)

文字数 4,757文字

 私リンネは魔術の扱いに長ける魔術士の名家フランメ家に産まれた三番目の子共だった。
 けれど、私はそんな名家に産まれたにも関わらず、魔術を扱う才能が欠落していた。
 それを知った家族からの扱いは酷いものだった。
 毎日愛情を注いでくれた両親や召使いたちはまるでゴミを見るような視線で私を見るようになり、まともに口を聞いてくれなくなった。
 そんな大人たちを見ていたのだ姉弟も次第に態度が変わり、私に暴力を振るうことをなんとも思わないようになった。
「う、うう……魔法が使えるようになれば、きっと皆認めてくれます。だから我慢、我慢です……」
 家の名に恥じない魔術士となれば、もとに戻ってくれる。
 そんなことを夢見て毎日泣きながら夜遅くまで魔術の勉強をした。
 けれど、やはり私には魔術を扱う才能はなかった。
「お前のような無能はこの家にはいらん。さっさと捨ててしまえ」
 父のその一言で私は家から追放され、天涯孤独の身となった。
 そして、一人になった私はいくつかの街を転々として、やっと今の生活を手に入れた。
 しかし、蔑まれ、罵倒され、痛めつけられる私の日常は環境が変わってもなくならなかったわけである。
 我ながら酷い、救いようのない人生だ。

「……」
 ギルドの職員スペース。
 多くの職員がいなくなり、静かになった部屋の中で私は一人ニカに押し付けられた仕事をやっていた。
 ギルドの酒場は夕暮れから深夜にかけてが稼ぎ時なので、冒険者たちのどんちゃん騒ぎが微かにこちらにも聞こえてくる。
 ああ、なんで私だけこんなことを……。
 漏れ出すように涙が湧き上がり、とめどなく頬を伝っていく。
「私って、何のために生きてるんだっけ?」
 実家を追い出されて。
 冒険者に怒鳴られて。
 ギルマスに暴力を振るわれて。
 稼いだお金はカジノで溶かして。
 何のために生きてるんだろう……。
「……」
 このまま大した目的もなく、何も成せないまま私は死んでいくのだろうか……。
「う、うう……」
 姉弟やニカの言う通りだ。
 私は弱くて使い道のない、野垂れ死ぬのがお似合いのクズ人間なのだ。
 涙が止まらない。
 明日が怖い。
 今すぐ世界が滅んでしまわないかと起こりもしない未来を望んでいる。
 私は、最低だ……。
「こんなところで、なに泣いてるのさ」
 背後から女の声。
 この部屋には私以外誰もいないはずなのに。
 恐る恐る後ろに視線を向ける。
 そこには真っ白なワンピースに身を包んだ魔物の女がいた。
「あなた、夢の……」
 いや違う。
 私はこの人に会ったことがある。
 突然湧き出すように脳裏を過る昨夜の記憶。
 そうだ、彼女は……。
「エリザベートさん」
「正解。自分で暗示を解いたね。偉いよ」
 そうか、記憶を封印されていたのか。
 どうりで昨夜のことが思い出せなかったわけだ。
「で、何で泣いてるのさ?」
「それを知って、あなたはどうする気ですか?」
「どうするのが正解かな?」
 自分から聞いたくせに。
 一体何がしたいんだこの魔物は。
 ああ、イライラする。
「……なら、私を殺してくださいよ」
 エリザベートを睨みつけながら、静かにそう言った。
「何故?」
「もう嫌なんですよ。生きることが」
「それがさっきの答えか」
 エリザベートは少し考えると、私の目を真っ直ぐ見つめてこういった。
「それが君の望みなら、仕方がないね」
 すると、突然部屋の灯りが一斉に消え、部屋の中は闇に飲み込まれた。
 足音が私のもとにゆっくりと近付いてくる。
 鮮血の如き真紅の瞳と細く伸びる犬歯が闇の中に浮かび上がっていた。
 あ、私ここで死ぬんだ……。
 自然とそう感じた。
 さあ、私の血を全部吸って……。
 私は目蓋を閉じて、全身の力を抜くことに徹した。 「え……?」
 しかし、エリザベートは私に噛みつかなかった。
 彼女は私を抱きしめたのだ。
 グッと力強く、それでいて愛情深く。
 私の身体を包み込む膜状の翼はまるで私と世界を切り離すかのようだった。
「死にたいなんて言わないでよ」
 耳元でエリザベートはそう言った。
 少しだけ声が震えている。
「……私の血が欲しいんですよね?なら一滴残らず飲んでくださいよ」
「私がいつ君を殺したいなんて言ったんだ?」
 私を抱きしめる力が一層強くなる。
 息苦しい。
 けれど、その息苦しさが無性に心に染みる。
「話してよ。どうして死にたいなんて言うんだ」
「……」
 世間一般、魔物とは総じて獣であるとされている。
 生きるために、人間を襲う。
 生きるために、人間を騙す。
 ならば、当然彼女の言葉の本質は自身が生きるためであるはずだ。
 私に胸の中に溜め込んだものを話したところで、理解されない、そもそも理解する気がない。
 ……はずである。
「……」
 どうしてだろう。
 この人は魔物であるはずなのに、私を理解してくれそうな気がする。
 私が欲しいものをくれそうな気がする。
「エリザベートさん、私……私……!」
 私は抱えていたものをエリザベートにすべて吐き出した。
 かつて家族から虐待を受けていたこと。
 家族から見捨てられ、一人となったこと。
 今の仕事が苦しいこと。
 そして、嫌なことを忘れるためにカジノに通っていること。
 エリザベートは何も言わず、つまらないであろう私の話に耳を傾けていた。
「私、もう生きてるのがつらいんです。苦しいんです。苦しくて苦しくて今にも潰されそうなんです……!」
 いつの間にか私の目には大粒の涙が流れていた。
「だから、死にたいんです。楽になりたいんです」
「……それを聞いたらますます殺せなくなった」
「え?」
 どうして?
 私に生き地獄を味わって言うの?
「君は嘘をついてる」
「嘘?嘘なんてついていません」
「じゃあ、試してみようか」
 潜るよ、という一言の後、私はエリザベートと共に影の中へと身を沈めた。

 影の海を渡って辿り着いたのはエリザベートの屋敷の寝室だった。
「あっ……」
 寝室に来たのもつかの間、私はベッドに押し倒される。
「……エリザベートさん?」
 彼女は不思議な表情。
 赤色が刺した頬。
 緊張した面持ち。
 荒くなった呼吸。
 そこに何を考えているか分からないようないつもの表情はない。
 人間の姿の時もそうだが、このエリザベートという女は女でさえ息を飲むほどの美貌を持っていた。
 私だって例外ではなく、彼女の美しさに目が釘付けになる。
「……リンネ、好きだよ」
「え?」
 突然の告白。
 初めに私は自分の耳を疑った。
「好き?エリザベートさんが私を?」
「そうだよ。君が好きなんだ」
 何を言ってるんだ、この人物は。
「最初は私の血が欲しいって言ってましたよね?」
「……」
「ほら、嘘じゃないですか」
「嘘じゃないんだよ」
 エリザベートは私に手を掴んで自分の胸に押し当てる。
「鼓動、早いでしょ」
 これが証拠だと言いだいんだろう。
 確かに手に感じる心臓の鼓動は早かった。
 力強く心地の良い鼓動だった。
「魔術で早くしているだけかもしれません」
「そんなことをできないよ」
「私は信じません」
 エリザベートは困った表情を作りながら、視線を泳がせた。
 そして、何かを思い立ったようで私をまっすぐ見つめる。
 「もう一回言うよ。私は君のことが好きだ。心からそう思ってる」
 真剣な眼差し。
 心臓を掴まれたかのように胸がギュッとなる。
「……そんなこと言われても信じませんよ」
「分かってるよ。だから、行動で示す」
「え……?」
 直後、エリザベートは垂れ下がる銀の長髪をかき上げながら、自身の唇を私の唇に重ねた。
「――っ!?」
 人生で初めてのキスだった。
 唇を包み込み柔らかい感触に思考が真っ白になる。
「これで伝わった?」
 私は生まれてこの方一度も恋愛なんてしたことはなかった。
 だから、そのキスに潜んだ相手の感情なんて分かるはずがない。
「……」 
 言葉が出ない。
 顔が熱くてのぼせそう。
 ドクン、ドクン、という鼓動が頭の中で鳴り響いて止まない。
 分からない、私の身に何が起こっているのか。
 分からない、私はどうしてエリザベートから目が離せないのか。
 分からない、この胸の中を満たそうとしているものが何なのか。
「リンネ、私は君が欲しい」
 私が欲しいなんて、生まれて初めて言われた。
 何一つできない私にそんな言葉をかけてくれる相手なんていないのだろうと思っていた。
 なんて、心に響く言葉なんだろう……。
「う、うう……」
 長らく忘れていた熱いものが瞳を濡らす。
 私は嘘をついていた……。
 本当に死にたいのなら、一人で死ねばよかったのだ。
 私が本当に求めていたのは……。
「エリザベートさん」
「何?」
「私を、愛してください……」
 すると、エリザベートは勢いよく私に抱きついた。
「愛してあげるよ。君のためならいくらでも」
 耳元で囁かれたそれは、まさに私が欲しいと思った言葉だった。
 一度も恋愛なんてしたことがない。
 恋愛に憧れたこともない。
 しかし、そんな疎い私でも分かる。
 私は今この瞬間、エリザベートに恋をした。
「エリザベートさん」
「エリーって呼んでよ。そっちの方が呼びやすいでしょ」
「エリー、さん」
「さんはいらない。呼び捨てにして」
 いきなりそんな……。
 私は他人の名前には必ずさんやらくんやらをつける人間だ。
「エ、エ……」
 言えない……。
 さんを取るだけなのに、顔がカッと熱を持つのだろう。
「やっぱり、エリーさんで……」
「エリーって呼ばないなら、君のして欲しいことはしないよ」
「え!?」
 この人はなんて悪党なんだ。
 そんなことを言われたらやるしかないじゃないか……。
「エ……エリー……」
 恥ずかしさに抗って絞り出した言葉は情けないほどか細いものだった。
 するとだ、エリザベートはパッと表情を明るくさせる。
 こんな顔もできるんだ……。
「リンネ、好きだ。好き、大好き」
 そう言いながら、私を抱きしめる。
 もう何回抱きしめるんだか……。
 でも、エリザベートの包容は心地いいから何回でもされたいと思う自分がいる。
 そして、エリザベートに応えたいと思う自分も。
「エ、エリー……」
「ん?」
「私も好きです」
「……」
 エリザベートの動きが固まった。
 かすかに荒くなった彼女の呼吸する音が耳元で聞こえる。
「リンネ。あの、ごめん。このまま襲ってもいいかな?」
「え?襲う?」
 この状況で使われる襲うという言葉にピンと来ない私。
「エリザベートさん、襲うとは一体――」
「ごめん。我慢できそうにない」
 私が言い終わるよりも早く、エリザベートは私の口を自分の口で塞いだ。
 だがしかし、それだけではない。
 口づけは長いし、唇が離れたかと思うと間髪入れずに唇が覆いかぶさってくる。
 そして、終いには、口の中にエリザベートの舌が入ってくるではないか。
 何これ、これがキス……?
 そういうことに疎い私の頭を?が埋め尽くす。
 けれど、次第にキスによる快楽が頭の中を塗りつぶしていくようになる。
「ズルい女でごめんね」
 そう言うと、エリザベートは私の首筋に噛みついた。
「ああっ……!!」
 喉の奥から部屋中に響く大きな喘ぎ声が漏れる。
 痺れるような甘い痛みが一瞬の内に全身を巡り、身体が大きく仰け反った。
 エリザベートはすぐに牙を抜いてくれた。
「あ……あっ……」
 な、何これ……。
 身体がおかしい。
 全身がゾワゾワする。
 身を包む服に肌が擦れる感触や空気の温かさといったあらゆる感覚が鮮明に感じられる。
「身体の感覚を鋭敏にしたよ」
 エリザベートは私の耳に息を吹きかける。
「あああっ……!?」
 頭の奥で火花が散った。
 もう考えると気力なんてこれっぽっちも残ってはいない。
「大人の階段を一気に上らせちゃうけど、ごめんね。でも、責任は絶対取るから。安心してついてくるんだよ」
 そう言って、私に口付けをした。
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