2 漱石とフォルマリズム

文字数 2,882文字

2 漱石とフォルマリズム
 漱石はわずか二年の間に『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』、『草枕』といった違うタイプの作品を書いている。いずれも文体が異なっており、意図的に使い分けたと考えられる。漱石は以後もさまざまなジャンルの作品を書いている。その際、彼は、主題や構成はともかく、一つの作品を一つのジャンルとして扱い、一つの文体を用いるという統一性を示す。

 漱石は、1911年の講演『中味と形式』において、「そこで現今日本の社会状態というものはどうかと考えて見ると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活というものもまた、刻々と非常な勢いで変わりつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない」と言っている。書くことが生にいかなることをもたらすのかということが漱石の試みである。彼には、そのため、一つの作品において一つの文体と一つのジャンルに絞る必要がある。けれども、文体やジャンルの統一性があっても、主題や構成の面で「自然ズレて来なければならない」。

 漱石のジャンルに対する姿勢は彼が英文学者であったことと切り離せない。アングロ・サクソン系から文学を読み始めたものは、フランスやドイツなどの大陸系から影響を受けた文学者と異なった認識を獲得する。例えば、漱石に先立ち学生に関する小説を書き、英文学から西洋文学を読んだ逍遥にとって、作品を読むことはテクスト・クリティクを意味している。彼は、「空理を後にして、現実を先きにし、差別見を棄てて平等見を取り、普く実相を網羅し来りて、明治文学の未来に関する大帰納の素材を供せんとする」(『小説神髄』)と言っているように、歴史的な遠近法をとらず、帰納法的に小説を分類している。それはニュー・クリティシズム的な分類と言ってもいい。漱石の『文学論』など文学に関する考察は、逍遥と同様、ニュー・クリティシズム的である。

 漱石は、『創作家の態度』において、読解について次のように述べている。

 今迄述べた三ヶ条はみな文学史に連続した発展があるものと認めて、旧を棄てて漫りに新を追う弊とか、偶然に出て来た人間の作の為に何主義と云う名を冠して、作其物を是非此主義を代表する様に取り扱った結果、妥当を欠くにも拘らず之を飽く迄も取り崩し難きwhole と見倣す弊や、或は漸移の勢につれて此主義の意義が変化を受けて混雑を来す弊を述べたのであります。ここに申す事は歴史に関係はありますが、歴史の発展のとは左程交渉はない様に思われます。即ち作物を区別するのに、ある時代の、ある個人の特性を本として成り立った某々主義を以てする代りに、古今東西に渉ってあてはまる様に、作家も時代も離れて、作物の上にのみあらわれた特性を以てする事であります。既に時代を離れ、作家を離れ、作物の上にのみあらわれた特性を以てすると云う以上は、作物の形式に題目とに因って分つより外に致し方がありません。
 だから詳しい区別を云うと、純客観的態度と純主観的態度の間に無数の変化を生ずるのみならず、此変化の各のものと他と結び付けて雑種を作れば又無数の第二変化が成立する訳でありますから、誰の作は自然派だとか、誰の作は浪漫派だとか、そう一概に云えたものではないでしょう。それよりも誰の作のここの所はこんな意味の浪漫的趣味で、ここの所は、こんな意味の自然は趣味だと、作物を解剖して一々指摘するのみならず、其指摘した場所の趣味迄も、単に浪漫、自然の二字を以て単簡に律し去らないで、どの位の異分子が、どの位の割合で交ったものかを説明する様にしたら今日の弊が救われるかも知れないと思います。

 明治に入り、文学情報が大量に西洋から日本へ流入する。それに秩序を与えて整理しなければ、その洪水に飲まれてしまう。そうした整理には歴史的や論理的な分類がある。「浪漫派」と「自然派」は文学史的概念であり、順序として登場している。しかし、漱石はそれらを「歴史の発展」として文学においてとらえていない。彼は、ニュー・クリティシズムと同様に、文学を歴史的以上に論理的に把握している。アングロ・サクソン系の文学・哲学に影響されたり、親近感を覚えたりしていた書き手は概してフォルマリスティックである。日本の写実主義は、正岡子規や漱石も含めて、「ジャパニーズ・フォルマリズム」と呼ぶべきものである。

 一方、逍遥と没理想論争を行った森鴎外はドイツ文学から西洋のそれへ入っている。鴎外の文学作品の読解は演繹的である。没理想論争は帰納法と演繹法の対立と言っていい。結局、逍遥らの理論は鴎外らドイツ・フランス系によって抑圧され、日本文学批評において主流にはならない。

 ニュー・クリティシズムは、経済的不安から社会的に混乱した1930年代にアングロ・アメリカ北部の左翼勢力による社会志向の批評に対抗して、南部の詩人や学者たちの間からアングロ・サクソン的伝統への回帰として生まれている。彼らは作品を帰納法的に読むことを極限化する。彼らは作品の読解を社会・歴史志向ではなく、対象・言語志向へと転回している。アングロ・サクソン的な帰納法に基づいたフォルマリスティックな読解は、ドイツやフランスの体系的理論の影響が強まった時に、それを読みかえる形として現われる。ニュー・クリティシズムの代表的批評家としては『動機の文法』のケネス・バークや『批評の解剖』のノースロップ・フライなどがあげられる。彼らの読解は歴史的よりも論理的な分類の傾向が強い。

 逍遥や漱石らの作品には伝統的学識や道徳的厳格さ、ユーモアに溢れた言葉が見られる。彼らは伝統を拒まなかったが、回帰するのでもない。明治の文学者・哲学者たちには日本の古典だけでなく、漢文学や東洋哲学の素養がある。他の知識人たちと比べて、逍遥や漱石らは、そうした教養に帰納法的な思考が加わったことによって、伝統とも早めに折り合いをつけたように思われる。

 明治以前の日本文と西洋の文学の間には違いがあるのに、それを同質であるかのように扱う逍遥らの主張に対し、歴史主義的な鴎外は並列的だと批判する。文学には歴史的文脈がある。それを切り離して形式的に扱うべきではない。鴎外が『舞姫』において西洋人のエリスの語りを平安朝の文体で記すのは、必ずしも西洋事情に明るくない当時の読者に彼女の人格をイメージさせるためであって、形式的な引用ではない。

 確かに、鴎外は後に没理想論争の際の自説と矛盾する歴史小説に向かっている。ただ、彼の先品群は時期によって比較的明確に区分できる。鴎外の小説総体は時間的に把握できる。一方、漱石は作品ごとにスタイルが変わっている。その目まぐるしさは時間的と言うより、論理的な位置づけを促すものである。それは漱石の形式主義のラディカルな現われである。

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