奴隷の望みと現実の誤差 2

文字数 1,331文字

 何か間違ってしまったのだろうか?
 両手両膝を床につけてがっくり項垂れた様子の主人を黙って見下ろすわけにもいかず、私は一緒にしゃがみ込んで問いかける。
「どうかなさいましたか? ご主人様」
 問う私の顔をちらっと見た主人は、ものすごく複雑な表情で再度項垂れた。ついでに唸り声のような呻き声のような声も上げている。何がなんだかわからないけれど、何かご不満があるようだ、と私は察する。
 しかしここまでの流れで主人に不満を抱かせるような言動などあっただろうか?
 ごく当たり前の、奴隷らしい発言しか、した記憶はないのだが……ここで主人の挙動不審を責めるなど奴隷の思考ではない。この場合、当たり前の奴隷的言動の中において主人の不本意なものがあったと推定すべきで、良い奴隷は己の主人に合わせた言動を行うべきである。
 一般論など、主人の前では些事以下の概念なのだから。
「ご不満が御座いましたら何なりとお申し付けください。如何様にも対処致しますので」
 言葉遣い、仕草、態度。
 現在の振る舞いは、所詮私が勝手に判断して用意したものに過ぎず、優先されるは主人の希望。
 だから変えられる場所であれば全て主人の望むように変えてみせよう。
 そう決めて尋ねる私に、ぶんぶんと黒髪を揺らして主人は首を横に振る。
「ティリエに不満なんかない。ティリエは、望むように振舞って構わないんだ。これはどっちかってーと俺の方の問題で」
 いやでも、と歯切れの悪い主人は、またちらりと私の顔を見て、言う。
「あのな。せめて、その、ご主人様というのは止めてもらえないでしょうか?」
 何故敬語。
 急な申し出に一瞬私の思考が止まるが、良い奴隷を目指す者としてここで反論や躊躇などあるべきではない。呼び方なんて主人の望みを優先すべきものだ。
「ご命令とあらば。その代わり、どのような呼び方をすれば良いのか指定頂けますか?」
 なんなりと、どんな呼称だろうが対応しようと身構えた矢先、主人はまたぶんぶんと頭を振る。
「いやまずそこが! 違うんだよ!! 俺は、ティリエに命令はしない。絶対に、だ」
 ……。
 …………?
 ………………こちらは少々理解に時間がかかった。
 だって彼は、奴隷である私を買った主人である。契約書も交わし、正式に私の主人となった人だ。それなのに命令はしない、とは……。
 しばし思考し、知識を漁り、私は類似の可能性を見出す。
「日常において対等に振る舞う事をお望みであれば、一度そのように命じて頂ければそう致しますが」
 珍しくはあるが、皆無ではない可能性だ。
 奴隷と主人の間には絶対的な立場差があるけれど、時にそういうものを感じさせない振る舞いを奴隷に常日頃から求める主人もいる。絶対に裏切らない親友(あるいは家族や恋人)のような振る舞いを求め、徹底させる主人の例はある。
 何かの要素によって簡単に揺らぐ他者との関係の中、命令さえあれば最後まで決して揺らがない奴隷との関係の方に安寧を求める人間は決して珍しくない。
 そういう事ならば吝かでないと思う私に、主人はまた横に頭を振って否定してくる。
「根本的に違う」
 …………?
 困った。
 契約早々、主人の言葉が理解出来ないとは。目指す理想の奴隷にはまだまだ道のりが遠そうだ。
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