第5話 ウラジオストックの朝市

文字数 1,192文字

 人いきれ。売り声。活気。喧噪。混沌。
 市場の雰囲気が好きである。外国旅行の愉しみは、市場に尽きるといっても過言ではない。ウラジオストックの市場は、港近くで開催されていて、生鮮食品、黒パン、ソーセージやハムといった加工食品のテントが並び、ウラジオストック市民の台所を支えている。
 日曜日とあって人出が多く、次々に欲しい食品を買い求め、両手いっぱいに袋をかかえている。ひとつひとつの店をゆっくりと見ていると、売り子が威勢のいい声で、安いよ、安いよと、自慢の品物を私たちの目の前に差し出してくる。

 ただ一週間分の食材を基本としているのか、どの店も量が多過ぎて、一介の旅行者では食べきれない。試食すれば、半ば強引に買わされる羽目になるので、足を止めることは憚られる。
 今回は二泊三日の旅行ゆえ、ハムを一本だけ買ったとしても、明日の朝までハム三昧の食事になってしまう。

 もうひとつウラジオストックで眼を瞠るのは、朝鮮半島に近いので、売り子は我々と同じモンゴル系の顔が多くアジア色が強いこと。
 味噌を売っている店もあれば、キムチ専門店も出ている。
 ちなみに街中を走っているのは、九〇%近くは日本車だ。ほとんどが中古車で、日本では久しく見られなくなった、昔の名車が現役として颯爽と走っている。
 社名ステッカーもそのままに、ヤマト運輸もいれば、幼稚園のバスも走る。市場に横づけしていたのは西原商会と書かれたトラックで、海を渡っても仕事は同じかと笑ってしまった。自動車の群れをぼっと眺めているだけでも、時間が過ぎていく。
 旅行会社は、日本に一番近いヨーロッパと宣伝しているものの、その風貌にアジアの体臭をきつく感じるのが、ウラジオストックの面白いところ。百の民族が住むロシアの極東ならではの雰囲気だろう。
 
 市場をひと通り散策した後は、ロシア名物バーニャに向かう。
 バーニャとはロシア式のサウナ風呂のことで、ロシアの重要政策はバーニャのなかで、決定されると言われるほど、信頼関係を築く社交場、腹を割って本音を語れる場所、裸の付き合いが大原則な大衆浴場というべき場所。
 さすがにソビエト時代もバーニャには盗聴器は仕掛けなかったのだろう。バーニャだけは唯一、心身ともに安心できる場所だったにちがいない。

 またバーニャを日本の狭いサウナ風呂と同じものと想像してはいけない。公共のバーニャは、ホテルのラウンジぐらい広く、プールやダイニングテーブルが併設されている。
 文字どおり庶民の社交場という雰囲気である。最近の日本のスーパー銭湯に近いかもしれない。ただ明白にちがうのは、貸し切りで利用できて、ウォトカやビール、酒の肴を持ち込んでは、時間がゆるすかぎり、吞めや歌えや、汗かけやと、仲間同士で自由に過ごせる。
 精神と身体を解放するのには、うってつけの場所である。今回は男ばかり四名で、郊外のバーニャを借りた。
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