第3話 「ノスタルギア」でランチ

文字数 1,087文字

 ランチはウラジオストックで有名なレストラン「ノスタルギア」で、ロシア家庭料理を愉しむ。このレストランは、全ロシア家庭料理コンテストで見事に一位を獲得した店だと、ローマさんとチェリパシカ氏が、自身の名誉のように自慢するので、想像の輪が水紋のごとく広がっていく。
 ネットで調べてみると、ウラジオストックを訪問したら、必ず行くべきレストランであり、ローマに行ってトレビの泉に行かないようなものであると書いてある。

 店内に入ると、その名声に恥じないようなシックな内装とアンティークな調度品が並び、中世の貴族の屋敷を思わせた。
いつもの買付旅行だと、コンビニの軽食コーナーのような簡素な店で、ペルメニやピロシキ、ボルシチで済ましてしまうのが日常だっただけに、この豪華絢爛の内装で心のときめきが半分、居心地の悪さが半分。どうも格式高い場所は苦手である。
 しかもメニューは分厚く、百科事典のようで、ロシア語で料理の詳細な説明が書かれている。慣れ親しんだ使い古されたメニューとはちがう。深くため息をつき、心が落ち着くのを待つが、日本でも食事と言えば、ホルモン屋の串焼き、レストランと言えば町中華の餃子、寿司と言えば回転ずしという食生活が胃袋に染み込んでいるので、なかなか平常心を保つことができない。
 しかも理解できるロシア語はほとんどない。

 結局、食べ慣れたペルメニとオリヴィエサラダ、それに「ノスタルギア」の看板メニュー、ビーフストロガノフを注文。ローマさんとチェリパシカ氏は、それ以外にもカツレツや海鮮料理を頼み、私の貧乏性の胃袋を笑う。
「せっかくウラジオストックに来たんだ、ステーキを一プードぐらい食べたらどうだい?」
「一プードって?」
「ロシアの重量をはかる単位で、今だと十六キロぐらいの重さだ」
「十六キロの肉なんて、一年分の食べる量だよ」
「日本人の胃袋は、ウサギ並みというのは嘘じゃないんだな」
「その喩え、ウサギに悪いね。ウサギは昔から崇高なベジタリアンだ」
「それならばネズミにしよう」
「ネズミほど子沢山じゃないけどね」
 そんな他愛ない会話をしながら、ビーフストロガノフをスプーンですくう。
 生クリームが溶け込んでいるのか、濃厚な味わいが舌の上をとろりと転がっていく。そのなかを赤ん坊の拳大の肉の塊と玉ねぎが、皿のなかを所狭しと絡み合っている。日本の淡白なクリームシチューを想像していてはいけない。
 濃密、濃艶、豊潤、強靭、豊満な舌触りは、草食系民族である日本人には、脂質が強すぎて、皿一杯分を食べ終えただけで、ずっしりと胃のなかに鎮座してしまい、ほかの料理にまで手が回らなくなる。
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