第2話

文字数 1,219文字

 一度だけ、皇帝は騎士の忠誠を疑ったことがある。皇帝が託した国を、騎士が手放したからだ。
 泥沼の戦闘が続くその国から、軍を置き去りにして、皇帝は単身、帰国したのだけれど。

 兵士らを救う為だったと、騎士は答えた。軍には疫病が流行っていた。なんとしてでも全軍帰国を実現させる責任があったのだ、と。

 騎士が、自分の命令よりも、兵士らを大切にしたことに、皇帝は腹を立てた。
 騎士にとって自分は、いついかなる場合でも一番でありたい……あるべきだなのだと皇帝は思った。たとえ自分が間違っていようとも、騎士だけは、真っ先に傍らに駆け寄るべきなのだ。
 それなのに、あろうことか、兵士どもの帰還を優先するなどと!

 けれど結局、皇帝は騎士を許した。彼を失うことに耐えられなかったからだ。
 この件に関しては決して謝らないと言い張っていた騎士は、皇帝に許されると、改めて献身の誓いを立てた。そして翌日、戦場で皇帝の失策を補い、味方に勝利を齎して死んだ。


 皇帝の全てを尊重し、何の見返りも期待せずにその計画の実行に奔走してくれる者は、死んだ騎士の他にいなかった。
 国政に携わるようになってわかったことだが、閣僚達は狡猾だった。軍もまた、私利私欲に走る。彼らの皇帝への賛美は一方通行だった。褒美が必要だったのだ。

 皇后でさえ、彼を裏切った。
 跡継ぎを生ませるために娶った若い妃は、帝国に利あらずと見るや、生まれた子を連れ、祖国へ逃げ帰った。

 騎士だけだった。皇帝をまるごと受け容れてくれたのは。
 純粋に皇帝の為に戦い、皇帝を救う為に死んでくれたのは。

 そのことに気づいたのは、騎士が死んでから十年ほど経ってからだった。
 戦争を続ける皇帝に、人々の心は離れつつあった。周辺諸国は反撃の機会を窺い、徴兵によって働き手を失った国土は荒れ果てていった。
 参謀でさえ、もはや皇帝を支持しようとしない。
 騎士に会いたかった。彼の気配を肌に感じたかった。自分を信じ、目を輝かせて将来の希望を語り合った若き日の夢をもう一度見たい。あの男に会いたい……。

 騎士の亡骸(なきがら)は、急峻な山頂にある修道院に葬られていた。
 死んだ騎士には、人望があった。十年前の皇帝は、その人気を恐れた。騎士の墓所が、帝政反対派の集会所となることを危惧した。それで、滅多に人の近寄らぬ高山に、騎士の墓所を構えたのだ。
 年を取り、乗馬さえ難しくなった皇帝に、山登りはきつい。なぜあんなところに騎士を葬ったのかと、今更ながらに後悔した。
 これでは彼に会いに行けない。
 死して後の、彼の忠誠心を疑ったのが誤りだった。彼はたった一人の、皇帝の騎士だったというのに。

 会いたい。どうしても会いたい。
 すでに騎士の親族には相応の地位を与えてやった。年老いた母親には高額な年金を与え、姉は軍の高官に嫁がせた。騎士は結婚しておらず子どももいなかったので、甥を要職に取り立てた。
 これ以上何をしたら、騎士に報いることができるだろう。





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登場人物紹介

皇帝

軍のクーデターを起こし、成り上がった

画像:wiki

騎士

後に皇帝となる男に絶対の忠誠を誓い、戦死した

画像:wiki

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