第3話

文字数 2,733文字

 早朝のランニングを終え、冷水しか出ないシャワーを浴びてから朝食。
 食堂でトレーに朝食を乗せて、適当に空いている席に着いた。
 一気に500人くらいが食事をとれる巨大な食堂。8人掛けのテーブルに今は名前もしならい班員(クラスメート)が数名。全員が無言で吸い込むように食事をとる。
 全員顔色は悪い。全身バキバキに痛むし、寝床は最悪。
 睡眠時間は確保されているが、「突然の号令に跳び起きれない愚図は、私が直々に叩き起こすから覚悟していろ」という入所した時の教官の恐喝のせいで、安心して寝れた試しはない。ここにいる殆どがそうだろう。
 どれだけ悲観しても、なにも変わらない。軍隊とここの大きな違いはそこだ。
 軍は辞めようと思えばいつでも辞められる。ここは辞めても、帰る場所がない。ここにいるしかないのだ。
 心が折れそうだが、折れた所でどうしようもない。
 ぼくはため息をついて、テーブルに着いて朝飯をかき込むしかできない。
「さっきは、ありがと」
「ん?」
 隣の席に座った誰かが、突然声をかけてきた。
 胃は拒絶気味だが、食っておかないと後が持たない。朝食をむさぼり、口は動かしながら顔を上げる。時間は限られている。短い時間で食いきらなければならない。
 隣に座っていたのは、さっき走りながら声をかけた少女だ。
 男女だと可哀想になるくらい量の違う食事だが、彼女はそれでも文句なさそうに咀嚼していた。
 なんでも女子は高ストレス下に置かれると、生存本能から脂肪を溜め込みやすくなるらしい。だからこの環境では食事制限をしないと、瞬く間に太っていくらしい。なので男子の十分の一、というか一日の最低摂取カロリーに足りないくらいの量だ。絶対足りないだろう。
「ああ。あ? なにがだ?」
 礼を言われる覚えはない。むしろ罵られてもいいぐらいだと思うが。ぼくの提案で、彼女まで雷を落とされしまった訳だからな。次はうまくごまかそう。
「その、元気、でたから……」
「ん? なら班長に言うべきだな」
 元気が出たというなら、ぼくじゃなくて班長のおかげだと思う。
「その、だから……」
「悪い。もう食い終わった。先に教室行ってる」
 この食堂は確かに大きいのだが、席の数以上に生徒が多い。だから食ったら直ぐに入れ替えないと、誰かが食いっぱぐれてしまう。
 だからさっさと席を立った。何か言いたそうだったが、ここで長居するのはマナー違反というか、倫理的に問題がある。
 軽く挨拶だけして、ぼくは一度寮に戻り、教科書とノートが詰まったカバンを手に持つ。そして教室などがある本学舎へ向かう。軍人のような事をしているが、軍人が訓練ばかりしていると思ったら大間違いだ。むしろ座学が半分以上を占めているのだ。
 なので朝一の訓練が終われば、今度は座学の時間である。
 ここに来て最初に身に付いたのは、早歩きだと言っていい。
 道のりとしては、寮から直線距離で200メートルほど。グラウンドを挟んで向こう側に本学舎はある。ただグラウンドは用もないのに立ち入ってはいけないから、回り込む必要がある。合計で歩く距離は400メートルくらい。
 ぼくの他に本学舎に向かう生徒達が多数。
 特に実働部という軍隊まがいの学部に所属する連中は、非常に時間に厳しい。
 分、秒刻みで動く。一瞬の遅れが命取りに繋がるから、当然といえば当然か。もともと普通の学生生活が送れるとは思っていなかったが、まさかこんな極限状態だとは、予想以上だ。
 時間に余裕を持って教室に入り、自分の席につく。
 ここは第四班の一年生の教室。
 海兵隊と呼ばれる防衛部第四班は、5つの班の中で2番目に人数が少なく、最も過剰な訓練を強制される班である。と言っても、四班と五班は志願者のみで構成されているのだから、ある意味でお望み通りの過酷さなわけだ。
 早朝のランニング。圧倒的に多い魔法(砲)の授業など。なるほど海兵隊。最も過酷である。
 入学してから日が浅いぼく達にとって、ここは想像を絶する地獄だ。
 まぁ、中には平気な顔をしている者もいるが。
「どうした諸君! 元気が足りないぞぅ!」
 この男はむしろ元気だ。
 背の高い偉丈夫。この学校の詰め襟制服だと、数珠も下げて苦しいんじゃないかというくらいに首も太い。そして頭がツルツルだ。誰が言ったか、あだ名は和尚。たれ目で柔和な雰囲気だが、訓練中は妙に眼光が鋭い。そしてぼくのバディだ。ぼくなら破戒僧とかあだ名する。
「特に真希ぃ! お前さんは全然平気なんだから、そんな顔をしているな!」
 このぼくのどこを見て平気だというか、この男は。
「平気なものか」
 どかんと隣の席に座った彼は、がははと笑う。肘置きのような小さな机付きの椅子は、彼の体を収めるには若干小さすぎる気がしないでもない。
 そこは彼の席ではない。
「疲れや苦労とは、なんとも刹那的なものだ。そんな物は気にかけるだけ無駄ということだ。がはは!」
「心は消え、魂は静まるか? ぼくにはできそうもない」
 そこで和尚は、にっと笑った。
「無にとらわれ、幻に惑わされるな。いかなる事も、所詮は無常なり。その心身の疲れもまた、刹那の幻に過ぎない。がはは!」
 こいつ、本当に坊主だったのか。たしかに高そうな数珠つけているし、どんな訓練でもへこられないし。何者だ。仏門に則しているとは微妙に思えないし。
「あの、そこ……」
 笑う和尚の背後に、女の子が困った顔で立ち尽くしている。和尚が座る席は、元々彼女の席だ。
 そうか、今朝の子、隣の席だったのか。通りで見覚えあると思った。
「おぅおぅ、これは失敬失敬。では、真希。またな!」
 立ち上がり、席を叩いてから和尚は自分の席に戻った。妙に紳士的な坊主だな。
 そして本来の席の主が着席した。
「男の子って、ご飯食べるの早いよね」
 微苦笑を浮かべる彼女。名前は忘れたが、おかっぱが印象に残る。目も大きいし、結構かわいい部類。制服がぶかぶかに見えてしまう程度に背は小さい方で、いかにも女の子らしい。そんな子がどうしてこんな軽い地獄にいるのか、不思議で仕方ない。
「そんな事はないと思うぞ?」
 少なくともぼくはそこまで早くはない、と思う。和尚とか、まるで倍速再生している見たいな速さで食事するしな。それに比べれば普通だ。
「そうかなぁ? あんなにいっぱいあったのに、ぺろって食べてたよ」
 だいぶ顔色が戻った彼女は、小首を傾げて机の上に教科書などを並べる。腹減っていたせいかもあるのかもしれない。
 そうか、教科書並べないといけないんだよな。
 鞄から必要な物を取り出して、机に並べていく。
 生まれてこの方というか、学校教育の中でちゃんと授業に参加できた事なんて無かったから、すごい新鮮に感じる。なるほど、これが普通か。
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