8. キノコ・マジック

文字数 1,967文字

 小川のせせらぎがチロチロと心地よい音を立て、鳥がチチチチと遠くで鳴いている。その(おだ)やかな自然の調べ(しらべ)をBGMとして静かに一歩一歩挑戦が続いて行く。

「よしっ! 行けるぞ!」

 思ったより順調に距離を稼いでいく俺。

 子供の身体は軽い分、こういう時は有利である。だが、それでも落ちたら死ぬのだ。ふと、下を見た瞬間、予想以上の高さに心臓がキュッと()め付けられ、俺はギリッと奥歯を鳴らした。

(ゲームの中なら、こんなの朝飯前なのに……)

 何度も諦めそうになったが、アベンスの可憐な紫の花はもうすぐその先で揺れているのだ。とても諦めきれない。

 苦闘の連続の末、最後にはなんとかアベンスまで手が届く場所にたどり着くことができた。

「くぅぅぅぅ……。やった……。やったぞ!!」

 肩で息をしながら俺は達成感に包まれる。

 落ちないように慎重に薬草を採集し、バッグに突っ込む。思わずにやけてしまう。

(きっと銀貨一枚くらい……日本円にして一万円くらいにはなるに違いない)

 だが、喜びもつかの間。今度は降りなければならない。降りるのは登る何倍も難しい。チラッと下を見ると、地面ははるか彼方(かなた)だ――――。

 くぅぅぅぅ……。

 俺は涙腺(るいせん)が熱くなるのを感じながら、丁寧に一歩ずつ降りていく。それは辛く苦しい命がけの挑戦。でも、確かに生きているという手触りを感じ、俺は思わずにやけてしまう。ゲームばかりやって暗い部屋に籠っていたあの頃に比べたら圧倒的に『生きている』実感にあふれているのだ。

 どのくらいの時間が経っただろうか。永遠とも思える時間の後、ようやく山場を越えることができた。

「ふぅ……、あともう少しだ。良かった良かった……」

 安堵の溜息(ためいき)()らしたその瞬間だった。

 ゴロッ――――。

 足元の岩が崩れ、俺の体が宙に浮く。

「へっ……?」

 間抜けな声を上げながら、俺は転落していった。目の前で景色が回転(かいてん)し、風を切る音が耳に(ひび)く。

「ぐわぁ!」

 思いっきりもんどりうって転がる俺。世界が目まぐるしく回転し、背中に鋭い痛みが走る。

(安心した瞬間が一番危険……か)

 俺は身をもってその教訓を(たた)き込まれた。

 ゴロゴロと転がり、小川に落ちる寸前でようやく止まる。全身が(しび)れるような痛みに包まれた。

「いててて……」

 身体をあちこち打ってしまった。(ひじ)から血が(にじ)んでいる。死ななかっただけましだが、痛みで目に涙が浮かぶ。

 体を起こそうとした時、目の前の倒木の下に()を奪われた。プックリとした可愛いキノコが、まるで宝石のように輝いている。見慣れない形をしているそのキノコに、俺は思わず見とれてしまう。

 何気なく鑑定をかけてみると――――。

「ええっ!?」

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「キタ――――!」

 俺の声が森に木霊(こだま)する。ケガの功名とはこのことか。痛みも忘れ、俺は飛び上がってガッツポーズ。

「やったぞ! いける! いけるぞぉ! ぐわっはっはっはー!」

 思わず叫び、そして大きく笑う。その笑顔は、今までの人生で見せたことのないような、純粋(じゅんすい)な喜びに満ちたものだった。

 フリーターでゲームに逃げていた俺が、今、異世界で新たな人生をつかみ取ったのだ。ただの孤児では終わらない、成功への道を一歩踏み出した実感に全身が(ふる)える。

 その後、★3のハーブをいくつか採集し、陽も傾いてきたので帰路についた。院長に教わった通り、来た道には短剣で木の幹に傷を付けてきてあるのだ。帰りはそれを丁寧にトレースしていく。

 森の中を歩きながら、俺は今日の出来事を反芻(はんすう)する。危険と隣り合わせの冒険、そして予想外の発見。これが本来の人間の人生というものなのだろう。暗い部屋でゲームばかりして忘れていた野生を取り戻せた気がして。俺はグッとこぶしを握った。


        ◇


 夕焼けに染まる空を仰ぎながら、ユータは早足で街へと戻っていった。石畳(いしだたみ)は夕陽に照らされ、まるで燃えるように赤く輝いている。

 この街、正式名称を『峻厳(しゅんげん)たる城市アンジュー』という王国の中心地は、まるで中世ヨーロッパの絵画から抜け出してきたかのような佇まいを見せていた。
 ごつごつとした石造りの建物が立ち並ぶ中、夕陽が作り出す陰影が街並みを立体的に浮かび上がらせ、まるでアートの様な美しさを放っている。

 遠くから聞こえてくる教会の鐘の音が、カーン、カーンと静かに時を告げた。

「早く帰らないと、院長が心配してしまうな……」

 俺の目指す先は薬師ギルドだ。採った薬草はギルドで換金してくれると院長に聞いていたのだ。

 裏通りにひっそりと佇む薬師ギルドの扉を開けると、独特の香りが鼻をくすぐった。壁一面に並ぶ色とりどりの薬瓶、そしてカウンター越しに見える無数の小さな引き出しが並んだ棚。まるで魔法使いの研究室のような雰囲気だ。


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