償い_END

文字数 3,370文字

「立夏、最後の償いをしようか」

 菩薩様に連れられて、立夏はある場所へと連れてこられた。
 立夏は最後の償い場にいる。

 お父さんである悟、そして立夏自身の遺影が飾られた一室に立夏はいるのだ。

「お母さん、お兄ちゃん」

 遺影を前に、立夏の母と兄が涙を溢れさせていた。
 傍には、立夏のバイオリンコンクール入賞時に貰った賞状が飾ってあった。

「菩薩様、私全てを思い出したよ」

 人を殺したとされる立夏、そしてその償いを強いた菩薩様。

「私は私を殺した」

 立夏が幽霊として自身を自覚した時、手にはべっとりと血が付着していた。
 それは他人の誰の血でもない。

「私はジュニア管弦楽団に所属していて、だけど自分の才能に絶望して、あの日、あの蒸し暑い夏の日、自分の忌々しいこの無能な手の手首を切って自殺したんだ」

 全てを思い出した立夏。
 代々音楽の家系であった立夏は幼少期からバイオリンの英才教育を受けていた。しかし成績は振るわず、自分の才能のなさ、そして子供が集う管弦楽団の中で仲間にも馴染めず、いじめも受けていた。

 そんな自分が嫌になって、嫌いになって、ついには手首の動脈を切り裂いて自殺した。

「私は私を殺した。そしてもう一人は」

 父の他界。今その事実を立夏は噛みしめ、そしてこの場にいる母と兄の会話から確信する。

「父は私の後追いで首つり自殺をして死んだ」

 父である悟が先ほど消失する瞬間、その首元に痛々しい縄の痕が刻まれていたのを見た。恐らくは死の瞬間に刻まれたその痛々しい傷跡は、浮遊霊になっても彼を縛っていた、死の瞬間の苦痛の刻印である。

「お父さん、私、自分ばかりじゃなく、これじゃ、お父さんの死の原因を作ったのも私じゃないか!」

 父である悟は立夏の自殺をきっかけに後追い自殺を行った。立夏の死に起因して父が死んだのならば、その責任は立夏自身にあると彼女は考えた。いや、そう考えるしかなかった。

「私は自分を殺しただけじゃなく、お父さんまで巻き込んでしまって」

 自殺も人殺しの罪に問われるとの菩薩様の判断。立夏の自殺は自身に掛ける罪。しかし、悟の死の原因が立夏にあるために、これではまるで父も間接的に殺してしまったような気がして嗚咽が走った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 立夏は自身の、そして父の遺影から目を背けた。

「見れないよ、お父さん。もう一度見たい、もう一度その愛しい顔を見たくても、怖くて、見られないよ!!だって、私が全て悪いんじゃないか!!」

 立夏は部屋を飛び出し、家を飛び出した。そして菩薩様に肩を掴まれ引き留められる。

「離して、離してよ!!」
「聞くんだ立夏!!!」
「なんで話してくれなかったんだ!悟が父だって!!全て忘れてた。幽霊になった後遺症か分からないけど、何も思い出せなかった!!!」

 立夏はなぜ菩薩様が悟が実の父だということを黙っていたのかを問いただした。

「それはお前の父に止められていたんだ」
「なんで!!」
「お前の父から聞いていた。悟という名前を明かしただけでも、お前は気分が悪くなって倒れたそうだな」

 思い出す、あの日のことを。何も知らず、ただの変な中年のとしか認識していなかった時に悟という本名を知った時、具合が悪くなって倒れてしまったことを。

「自殺というお前の生前の行いに対して、父の浮遊霊が急にお前の前に現れたらどうなる。父が死んだのがお前の後追い自殺と知ったらどうなる。悟と言う名前を聞いただけでも気分が悪くなっただろう」

「確かにそうだけど!!」

「お前の父は、浮遊霊として町を徘徊している彼自身が立夏の父であることを明かすのは、お前にとっては恐らく辛い苦痛をもたらす可能性があると知っていたから明かさないようにしていたんだ」

 お父さんがお父さんであることを最後まで黙っていたのは父なりの優しさであった。

「じゃあ何で今頃、私はこんな辛い目に合わなきゃいけないんだよ!苦しいよ、辛いよ」
「それはお前のお父さん、そして私自身が、もう既にお前さんが成長し、その姿で母に恩返しする準備が整ったと信じているからだ!」

 菩薩様はもの凄い覇気で立夏を諭し上げ、そしてその右手に持つ父からの贈り物を指さした。

「その手に持っているものはなんだ」
「これは……」
「お父さんの、お父さんの……最後のプレゼントのバイオリンで……」
「じゃあお前が今背を向けているのは誰だ」
「私の大切な、お母さんとお兄ちゃんで」
「そして今日、何の日か分かるか」
「今日は……お盆で……その、その……」

 立夏は涙でべとべとになった頬に皺を刻みながら一生懸命に口を開く。

「そう、お盆だ。祖霊信仰の元に死者と生者の境界が揺らぐこの日、お前の気持ちは生者である母と兄にも届きうる」
「私はどうすればいいのですか……」
「お前は何を望むんだ」
「私は、私は」

 立夏はガクガクと震える脚に一生懸命に力を入れ、向けた背を振り返るように母と兄の方を向いた。

「私は、私は……母・兄に謝って、急にいなくなってごめんねを伝えたくて……」
「それだけではないだろう」
「そして、そして今までの感謝を伝えて、そして、お父さんとの1年間の努力を見せて、そして、そして……最後のさようならを言いたい」

 走った。立夏は直ぐにこの想いを家族に伝えたいと家の中に飛び込んだ。

「り、立夏……」

 母と兄が同時に呟く。

「お母さん!お兄ちゃん!」

 反応はない、しかし、確かに先ほどは何かしら立夏の動きに反応するそぶりを見せた。

「お母さん、お兄ちゃん。ごめん、一杯心配かけてごめん」

 反応はない。

「身勝手で、急にいなくなって。しかも私だけじゃなく、お父さんもいなくて辛かったよね」

 母と兄が何かに反応するように首をきょろきょろとし始める。

「いるのか立夏、立夏!!ああ、帰ってきてくれたのか立夏!」

 母と兄はきょろきょろと這いつくばりながら彼女の姿を探す。

「急にいなくなってごめん、だけどね、死んだ後、お父さんと会えたんだ。不器用で少し厚かましくて、正直うざったく感じるたこともあったけど、今思えばそれは、私の事を大切に思ってくれていた証拠だったんだ。私、今更だけど、普段家族って近くにいすぎて気づけないんだけど、その愛情に守られていたって理解できたんだ」

 立夏はゆっくりとバイオリンを持ち上げて、お父さんである悟と練習した曲の数々を奏でてみせる。

「この音、立夏、やっぱり帰ってきているのか!!立夏!!」

 母と兄に、どこかしらバイオリンの音色が聞こえてきた。小さく、どこで鳴っているのかも分からないその音色。
 さらには生前の立夏の奏でる音色とは思えないその美しい響きに、むしろ本当に立夏であるのか疑ってしまう状況を作り出していた。

 しかし家族にはその、お父さん譲りの奏法の癖を聞き逃しはしなかった。
 美しい響きの中に立夏らしさを感じ、母と兄は彼女の存在を確信した。

「立夏、いるのかい、立夏!!」
「お母さん、お兄ちゃん!私、本当にこの家族の元に生まれてよかった!!」

 直接会話できているとは言えない状況、しかし気持ちが通じているのか、家族一同は続けて会話を続ける。

「急にいなくなって、心配したんだよ、立夏!立夏の悩みに気づいてあげれなくて、ダメなお母さんだ」
「お母さんは悪くないよ。全部私のせい。皆は悪くないよ!!」

 直接は会話できている訳ではないようであった。しかし、気持ちが通じている。

「立夏、いつでもまた内に帰ってきてもいいんだからね。幽霊でもなんでも、お盆の季節、それ以外でもなんでも、お父さん連れてでも遊びに来て……立夏、いつでも待ってるよお母さんとお兄ちゃんは」
「お母さん、ありがとう……大好き」
「立夏、何度でも、何度でも言うんだから。ありがとう、生まれてきてくれて。大切な家族、愛してるよ立夏」

 立夏の身体が薄っすら淡くぼんやりとした存在へと変化する。

「最後にお母さんとお兄ちゃんに会えて良かった。感謝を伝えられてよかった。ありがとうを言えて良かった」

 ぼんやりとして、おぼろげな存在へと変化し、空へと溶けてゆく。

「ありがとうお母さん、お父さん。そして償いの機会を与えてくれてありがとう、スタイリッシュ菩薩様。そして今行くからね、お父さん」

 そうして今日、立夏は天国へと旅立った。





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