変てこなバイオリニスト_1

文字数 3,569文字

「改めて聞くよ。本当に私は人を殺したの?」
「ああ、本当だ」

 少女は本当に自身が人を生前殺したのか菩薩様に伺った。菩薩様はうんと頷いた。
 何度聞いても答えは変わらない。

「信じられない……だって、殺した相手のことも思い出せないもん」

 少女は殺した相手の事を覚えていない。
 さらにそれだけではなく、生前の人生の大半を思い出せずにいた。

 ただ覚えているのは……

「お母さん、そしてお兄ちゃん……」
「母とお兄ちゃんの事はどうやら覚えているようだな。お父さんの記憶はあるか?」
「な、ないかも……」
「ふん、そうか」

 少女の頭に浮かぶのはただ一人、母の笑顔と優しいお兄さんの面影である。お父さんの記憶はどうもないらしい。
 冷たい彼女を身体に残されたものは、その母の温もりと兄の愛情だけであった。

「お母さんとお兄ちゃんに会いたい……」
「だめだ」
「どうして!!」

 少女が母に会いたいとそう菩薩様に願うも否定される。

「お前は生前人を殺した身。罪を償わなければいけない」
「つ、罪を償う……」

 菩薩様に告げられたのは罪の償いであった。少女はぐっと唾をのみ込み、その菩薩様から一方後ろに離れた。

「人を殺して浮遊霊になったお前は、人殺しに相応しい償いをしなければ成仏することを許されないんだ」
「つ、償いって、何をすればいいのさ!」
「きなさい」
「きゃっ!!や、やめて!!」

 菩薩様は少女の手を強く掴み引っ張った。どこかに連れていくように、その少女の手をがっちりと掴んで離さず、街路樹を潜り抜けるように歩き始めた。

「や、やめて!!私に何するつもりなの」
「罪の償いだ」
「やだ、どこに連れてくの、怖いよ、お母さん!お兄ちゃん!!」

 少女は菩薩様に無理やり引き連れられ、人の気配のない小さな公園にまで歩かされた。

「さあ、これから罪の償いを始める」
「ひ、ひいい!!」

 少女は震えあがり、これから何をされるのかと恐怖ですくんでしまった。
 生前人を殺した少女は、罪を償う必要があった。

 拷問か、殺したと同じ苦痛を与えられるのか。
 何をされるのかと少女は狼狽える。

「や、やめろおおおおお!!!」

 少女が叫んだ、その瞬間!

「いえーい、ピース!スタイリッシュお兄さんの登場でえーす」
「はえ?誰?」

 少女が口をぽかーんと開けながら、少々大袈裟に木陰から現れたその男に素性を訪ねる。

「だから、スタイリッシュお兄さんですよ、ぱちぱちぱち」
「What?スタイリッシュ菩薩に引き続き、スタイリッシュお兄さん?」

 状況が飲み込めない少女がそこにいた。これから償いを受けるっと聞いていた少女は何をされるのかと身構えていた。しかし、そこに現れたのはまたも奇抜な恰好をした中年の男であった。

「なんで、その……変な全身タイツの恰好をしているんですか?中年の男性が公園でそんな恰好をして恥ずかしいと思わないのですか?」
「お、いいねいいねその反応。楽しんでくれているみたいじゃないかあ」
「いいえ、楽しんでいません。結構です。お帰り下さい」

 少女はその男に帰って下さいと頼んだ。

「おお、喜んでくれて嬉しいよ」
「喜んでません。お帰り下さい、変態さん」
「いいよ、いい反応だよ。どうだい、元気湧いてきたかい?」
「あんたの頭は沸いてるのかい?」
「はは、楽しそうで何よりだよ、こっち来なよほら」
「いやです、離れて下さい、変態さん。そんな卑猥で頭の沸いている男に元気湧いてる私な訳ないでしょうに」
「そんなこと言ってると、僕からきちゃうよーん」
「うわ、きしょ!!」

 その首元まで覆うような全身タイツの奇抜な恰好をした中年の男、自称:スタイリッシュお兄さんが少女に向かって走り出した。
 少女はつかさず逃げるように走り出すも、すぐに追いつかれる。

「きゃあ、助けて!!」
「償いを受けてもらうにょーん」
「おえ、キモすぎる!!」

 スタイリッシュお兄さんはぎゅっと少女を抱きしめた。

「きゃあ!!ってあれ?」

 少女はその中年のスタイリッシュお兄さんに抱きしめられ、瞬時に叫び声を上げた。しかし、何か違和感を感じた。

 きもい男に抱擁され、勿論温もりなど感じるはずもないは分かっているのに、しかしその男には温もりどころか体温もなく、生気もなく……

「つ、冷たい……」

 その男もまた、少女同然に冷たい身体をしていた。

「スタイリッシュ菩薩様……この人ってもしかして」
「ああそうだ。思っている通り、この男もまた浮遊霊の1人だよ」

 菩薩様はその中年の男を浮遊霊と言い放った。つまりは少女と同じ境遇の者ということになる。

「あなたも、私と同じ、浮遊霊さんなのですか?」
「そうだよ。立夏(りっか)……」
「立夏……」

 首元まで隠れた全身タイツの男、自称スタイリッシュお兄さんは、少女の事を立夏と呼んだ。その名をかみしめるように少女は頭を巡らせた。

「そうだ、私の名前は立夏……なんで忘れていたんだろ……」

 今の今まで少女は自身の名前が立夏であることを忘れていた。

「なぜ私の名前を知って……いや、そんなことは今はどうでも……」

 立夏は改めて今置かれた状況を思い出す。そう、彼女は人殺しの償いのために菩薩様に公園へと連れて来られた。しかし何をされるかと思えば、急にこの中年の変てこな男が現れて抱き付いてきたのだ。

「スタイリッシュ菩薩様……一体これは」
「お前の償いの1つとして、この男と1年間程暮らしてもらう」
「じ、地獄だ!!って、なんじゃそりゃ!!」

 菩薩様は急にとんでもないことを言い放った。人殺しの償いとして、この中年の男と1年間暮らせと言うのである。

「そ、それが人殺しの償いになるなんて、へ、変てこだよお!!」
「何を言う。それがお前の立派な償いになるんだ」

 立夏は償いの内容に驚愕する。

「つ、償いってそんな内容なの!?」
「そうだにゅーん、立夏ちゃん!」
「お前は黙ってろ!!」
「ぴえん」

 訳が分からない、そう立夏は率直に思った。罪の償いを迫られて何が来るかと思えば、この中年の男と1年間暮らせとの内容だとは驚愕である。

「いや、でも確かにこれはこれで地獄か……」
「僕と遊ぶのはそんなに嫌なのか……悲しいよ、お兄さん」
「正直……嫌です」
「ふっ、そうか。立夏はいつもそうだ」

 立夏はまたもぎゅっとその中年男性に抱擁された。

「うえっ!!や、やめろおおお、ってあれ?」
「……」
「な、なんで泣いてるの?」

 男は泣いていた。立夏を急に抱擁したかと思えば、急に涙をぽろぽろとこぼし始めた。

「情緒の変動激しすぎない?」
「ああ、ごめんよ。いや、ごめんにょん」
「いや、そこは言い直さなくていいよ」

 その中年の男はすっと立夏から手を放し、今度は菩薩様の方に目を向けた。

「ありがとう、菩薩様」
「スタイリッシュ菩薩である」
「ああ、スタイリッシュ菩薩様」

 立夏は中年の男と菩薩様の会話の内容を理解することができないでいた。さらにそんなことを思っていると、その中年の男はどこから取り出したのか、何かの入れ物のようなケースを手に取って持ってきた。

「さあ立夏、ショータイムだ!!」
「え、バ、バイオリン?」

 中年の男が持って来たケースがゆっくりと開かれ、その中から取り出されたのはバイオリンであった。スッと取り出されたバイオリンを男は構え、立夏に向けて言葉を放つ。

「迷い人のお姫様。私はその凍てついた心を溶かすことができるかな」

 そう言って、ゆっくりとバイオリンを奏で始める。

 美しい、立夏は率直にそう感じた。

「美しい……そしてこの音色、聞いたことがあるかも」

 中年の男が全身タイツ姿で奏でるその音色は、どこかで聞いたことがあるような気がした。

「どこかで聞いたことがある、この音色。この曲。」
「はは、そうかい、お姫様」
「う、美しい……」
「私が君の心を溶かしちゃうよーん」
「きも美しい……」
「私が立夏の心をメルトさせる天使になるにょーん」
「ウルトラきも美しい……」

 だんだんとキモさが増す男であるが、そのバイオリンの音色の美しさは本物であった。

「さあお姫様、今度はあなたの出番ですよ」
「えっ!!ちょ、ちょっと!!」

 その中年の男は急にもう1つのバイオリンを取り出して立夏に放り投げた。驚いた立夏は慌ててそのバイオリンを受け取った。

「さあ、弾くのです!」
「無理です!」
「諦めずに、弾いてみせるのです!!」
「だから無理です!!」
「君ならできるにゅーん」
「引いたのです!」
「私に引くのではなく、自分を信じてバイオリンを弾いてみなさいな」

 中年の男はそっと立夏に歩み寄り、その手にバイオリンの弓を優しく握らせた。

「君ならできるよ、立夏」
「む、無理だって、だって私は……」
「立夏だよ。知ってる。よく知ってるよ。だから自分を信じてやってみなさい」

 おせっかいで厚かましい男。
 立夏は促されるままに仕方なくバイオリンの弓を握りしめた。















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