変てこなバイオリニスト_2

文字数 2,373文字

「あれ、なんだろう」

 立夏はバイオリンの事など何も知らない。そう思っていた。
 しかしなぜか彼女の身体は自然と動き始め、初めはぎこちなくも、だんだんと音が音色となり、やがて中年の男が弾いていた曲を自然と奏で始めてしまった。

「あれ、なんで」
「どうしたんだい、小さな大切なお姫様」
「なんで……」
「なんでバイオリンが弾けるか、かい?」
「違う。なんで私、泣いているんだろう」

 立夏は弾けるはずがないと思われたバイオリンを急に弾いてしまった。彼女自身が一番驚いている。しかしそれよりも、何故彼女が、彼女自身が、ぽろぽろと涙をこぼしているのかと驚愕してしまった。

「それが、君のもう1つの償いになるんだ」
「もう1つの償い……」

 立夏が受ける償いの1つは、この中年の男と1年間程度過ごすこと。そしてもう1つが、このバイオリンを弾くことにあるようだった。

「君の償いはこれで達成できる」
「そ、そんなことでいいの?私、生前に人を殺したみたいなのに?」
「ああ、それでいいんだ。僕と1年間暮らし、そして君には、バイオリンをもっともっと上手になってもらうよ」
「で、できないよ、私!!」
「大丈夫、僕が君のバイオリンをコーチングするから」
「できない、できる気がしないよ!」
「大丈夫、安心なさい、小さなお姫様」
「私、あなたと一緒に1年間もいたら頭おかしくなっちゃう。できる気がしないよ!!」
「えっ、そっちー??」

 何故かバイオリンを弾けた立夏。人を殺した償いとして、バイオリンの練習はともかく、その中年の男と1年程度過ごすことに拒絶反応を示した。

「はは、全く立夏は」
「ス、スタイリッシュ菩薩様あ!一体これはどういう状況なのですかあ!って、うそでしょ!?」

 立夏は菩薩様にこの中年男性の奇行を止めてくれと目で合図を送った。しかし、何故か微笑ましそうに菩薩様が笑っていたのだ。

「よきかな、よきかな。さあ、頑張るのだ、小さな少女よ。いや、立夏!」
「ちょ、待ってよ!!!!」
「さらばだ立夏よ!!」

 菩薩様は走って公園を離れて行く。

「ま、待ってええええ、菩薩様あああ!!」

 走って逃げて行ったはずの菩薩が急に戻って来た。

「え、戻って来た?」

 菩薩様は立夏の耳元の口を近づけた。

「え、どうしたの菩薩様……」
「ス……菩……」
「え、良く聞こえない……」
「スタイリッシュ、……菩薩であるぞ」
「え、ええ……そこいちいち修正するの!?」
「大事なことであるぞ!ではさらば!!」
「ちょ、ちょっと待ってええええ!!」
「はっはっはー」

 そう言い残して、菩薩様は立夏とその中年の男を街はずれの公園に残して去っていってしまった。

「さあ、僕と君の物語はここから再開する」
「さ、最悪の状況だよ、マジで……」

 立夏は首元まで覆うような全身タイツを履いたその中年の男と一緒に公園に残され、ただただこの状況を理解できずに佇んでいた。

「で、あなたは一体私に何を望む訳?どんな償いをさせるの?」
「まあ一緒に過ごすとは言っても、特に何かやることを考えている訳じゃないからねえ」
「何しに来たのマジで!?殺すよ?」
「え、生前人を殺して償いを求められた君がそれ言っちゃう?」
「逝かせちゃうよ?」
「言い方変えただけだよね、立夏ちゃん?」
「〇すよ?」
「伏字にしても無駄だよ……立夏ちゃん……」
「I want to kill you」
「私はあなたを殺したいって……英語にしても伝わるから……さ」
「I would like to kill you」
「もしよかったら殺してもよろしいですかって……全然丁寧になってないよ、立夏ちゃん……。would付けても無駄だからさ……」
「I like to kill you」
「今度はwould消しちゃうと、僕のこと殺すのが大好きって意味になっちゃうから!さっきの方がまだましかな!!立夏ちゃん!!」

 立夏は現在、この奇妙な男に強い嫌悪感を抱いている。
 しかし、正直安心した一面もあった。始め立夏は生前の人殺しの罪で償いをさせると菩薩様に言われた時は、どんな拷問を受けるのかと思った。

 しかし、蓋を開けてみればただこの変てこな中年の男と過ごせばよいだけの話。
 割り切ってしまえば、生前の人殺しの罪の償いとしては非常に楽なものであった。

「まあさ、ちょっと嫌なのは嫌なんだけど……まあいいや。一緒に過ごすよ」
「立夏……」

 その中年の男は静かに立夏へと近づいた。

「改めて、立夏。よく、僕の元に戻って来てくれた」
「なんでそんな私のこと知ってる口ぶりなんだよ。まだお前の名前も知らないのに」

 立夏は今更であるが、その中年の男の名を知らないことに気づいた。この慣れ慣れしい男の名前を、知りたくもないが、これから過ごすとなれば、知らなければ不便である。

「お、よく聞いてくれました。そうです、僕の名前は……」
「名前は……」
「名前は、いや言っても大丈夫か……悟だよ」
「悟……」

 立夏は中年の男の名前が悟であると教えてもらった。しかしそれと同時に、何かが引っかかっるように頭の中がぐるぐると回りはじめた。

「悟……悟……どこかで、どこかで聞いたような」
「立夏、大丈夫かい?」
「どこか、どこかで」

 立夏が頭を悩ませ始めた。そして急激に顔色が真っ青になり始め、その悟という中年の男の名前に何かが引っかかるように感じながら、突如として嘔吐感にさいなまれた。

「ご、ごめんなさい、おえっ」
「だ、大丈夫か、立夏!やっぱりまだ僕の名前を教えるには早すぎたか」
「ごめんなさい、こんな私でごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「だ、大丈夫か、おい、立夏!!」

 立夏の容体が悪化し、顔、唇、さらには手先まで真っ青になり始めた。そして彼女の意識はぷつりと途絶えた。

「立夏!おい立夏!!」

 ごめんなさい、その懺悔の言葉だけが公園に響き渡っていった。













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