第3話
文字数 1,648文字
「じゃあ、送ってくれてありがとう。おやすみなさい」
彼女をタクシーで送った後、チリルはそのまま自宅へ向かった。
家に着いた瞬間、着信が鳴る。
今日会食するはずだった取引先だろうかとスマートフォンを確認し、鳴っていたのはこちらではないことに気がついた。
こめかみ辺りを三秒ほど触り、中から丸い電子機器を取り出す。
スマートフォンよりも小さく薄いこの機器は、通信専用だ。
「……はい」
「■■■■か」
リビングの電気をつけ、チリルはどさりとソファに座った。
はあ、と息を吐く。
「上司に対してずいぶんな対応だな」
「こっちでの名前は■■■■ではなくチリルです」
くく、と電話先の相手は小さく笑った。
「ではチリル。本日の報告はまだか?」
「勘弁してくださいよ。こっちは仕事終わったばかりなんですよ……」
「報告こそがお前の本来の仕事じゃないか」
「このブラック企業が」
「ほう。働き詰めることをブラック企業というのか。やはり地球は面白いな、つい数十年前ではそれが美徳とされていたのに、どうやら良い意味ではないらしい。そういうことも報告してくれたまえよ」
飄々と答えるその声が癇に障り、終話ボタンを押そうとしたその時だった。
「対象者の捕獲はまだなのか」
氷のように冷たく、低い声。
三秒ほど間が開く。
チリルはゆっくりと口を開いた。
「まだ早いかと思われます。もう少し時間をかけて……」
「いつものお前ならとっくに捕獲している頃だろう」
言葉に詰まる。
すぐに上司は楽しげな声を出した。
「まあ、それならそれで構わないよ。ただしその場、君も捕獲をして調査するけれど。興味深いね、何百年も黙々と仕事をこなしていた宇宙人【チリル】と何不自由なく育った地球人【堀絹子】の愛。素晴らしい」
「……失礼します」
力強く終話ボタンを押し、電子機器をこめかみにもどした。
地球のごく近くにある、小さな星。
そこが、チリルの本当の故郷だった。
本名は■■■■。発音が難しいので、音が似ている「チリル」と名乗っている。
--そう。
僕は、地球人じゃない。
本当は宇宙人だ。
いち早く地球の存在に気づいたチリルの星は、「地球と愛を築く」という理由のため数名を地球に送り込み実態を探った。
ターゲットに近づき、調査し、後は捕獲して星へ連れ去る。
その後の捕獲者がどうなるかは、チリルの知ったことではなかった。
こちらの星と地球人とでは、そもそもの倫理観や善悪が根本から違う。物同然に扱われ、壊れてしまった後は廃棄されるだけだろう。
「愛」なんて名ばかりだ。
上層部のやつらは地球人のことを少しもわかっていない。
落ち着くために水を一杯だけ飲み、深呼吸をした。
「チリル」が好かれるのは当たり前だった。
こちらの星と地球では流れている時間が違う。
チリルは五百年ほど前から地球に来て、人間が戦ばかりしている時代から現代に至るまでさまざまな時代を過ごしていた。
そこで、チリルはひとつ気がついた。
ここでは人に好かれた方が生きやすい。
チリルは勉強した。
どういう見た目が受け、どういう振る舞いが受け、どうしたら人に好かれるかが手に取るようにわかる。
チリルのために罪を被ってくれた人も、借金を背負った人も、中には命を落とした人もいた。
そうやって対象者に近づき、捕獲し、星へ連れ帰る。
悲痛な表情を浮かべていた人も、あなたのためならと笑っていた人もいた。
しかし、そんなのはチリルにとってどうでもいいことだった。
--気が狂っている、と、絹子は思うだろうか。
心優しく、純粋な彼女だ。
きっと絶望してしまうに違いない。
「時間がないな……」
チリルがつぶやく。
あの通話の調子じゃ、乗り込んできてお構いなしに連れ去る可能性もある。
守りたい、と思うようになっていた。
絹子のことだけじゃない。
会社のことも、絹子の家族のことも、花田さんやまりちゃんのことも。
「確かに、調査されるのは僕の方かもしれないな……」
心地よく感じているこの生活は、おそらく愛だった。
彼女をタクシーで送った後、チリルはそのまま自宅へ向かった。
家に着いた瞬間、着信が鳴る。
今日会食するはずだった取引先だろうかとスマートフォンを確認し、鳴っていたのはこちらではないことに気がついた。
こめかみ辺りを三秒ほど触り、中から丸い電子機器を取り出す。
スマートフォンよりも小さく薄いこの機器は、通信専用だ。
「……はい」
「■■■■か」
リビングの電気をつけ、チリルはどさりとソファに座った。
はあ、と息を吐く。
「上司に対してずいぶんな対応だな」
「こっちでの名前は■■■■ではなくチリルです」
くく、と電話先の相手は小さく笑った。
「ではチリル。本日の報告はまだか?」
「勘弁してくださいよ。こっちは仕事終わったばかりなんですよ……」
「報告こそがお前の本来の仕事じゃないか」
「このブラック企業が」
「ほう。働き詰めることをブラック企業というのか。やはり地球は面白いな、つい数十年前ではそれが美徳とされていたのに、どうやら良い意味ではないらしい。そういうことも報告してくれたまえよ」
飄々と答えるその声が癇に障り、終話ボタンを押そうとしたその時だった。
「対象者の捕獲はまだなのか」
氷のように冷たく、低い声。
三秒ほど間が開く。
チリルはゆっくりと口を開いた。
「まだ早いかと思われます。もう少し時間をかけて……」
「いつものお前ならとっくに捕獲している頃だろう」
言葉に詰まる。
すぐに上司は楽しげな声を出した。
「まあ、それならそれで構わないよ。ただしその場、君も捕獲をして調査するけれど。興味深いね、何百年も黙々と仕事をこなしていた宇宙人【チリル】と何不自由なく育った地球人【堀絹子】の愛。素晴らしい」
「……失礼します」
力強く終話ボタンを押し、電子機器をこめかみにもどした。
地球のごく近くにある、小さな星。
そこが、チリルの本当の故郷だった。
本名は■■■■。発音が難しいので、音が似ている「チリル」と名乗っている。
--そう。
僕は、地球人じゃない。
本当は宇宙人だ。
いち早く地球の存在に気づいたチリルの星は、「地球と愛を築く」という理由のため数名を地球に送り込み実態を探った。
ターゲットに近づき、調査し、後は捕獲して星へ連れ去る。
その後の捕獲者がどうなるかは、チリルの知ったことではなかった。
こちらの星と地球人とでは、そもそもの倫理観や善悪が根本から違う。物同然に扱われ、壊れてしまった後は廃棄されるだけだろう。
「愛」なんて名ばかりだ。
上層部のやつらは地球人のことを少しもわかっていない。
落ち着くために水を一杯だけ飲み、深呼吸をした。
「チリル」が好かれるのは当たり前だった。
こちらの星と地球では流れている時間が違う。
チリルは五百年ほど前から地球に来て、人間が戦ばかりしている時代から現代に至るまでさまざまな時代を過ごしていた。
そこで、チリルはひとつ気がついた。
ここでは人に好かれた方が生きやすい。
チリルは勉強した。
どういう見た目が受け、どういう振る舞いが受け、どうしたら人に好かれるかが手に取るようにわかる。
チリルのために罪を被ってくれた人も、借金を背負った人も、中には命を落とした人もいた。
そうやって対象者に近づき、捕獲し、星へ連れ帰る。
悲痛な表情を浮かべていた人も、あなたのためならと笑っていた人もいた。
しかし、そんなのはチリルにとってどうでもいいことだった。
--気が狂っている、と、絹子は思うだろうか。
心優しく、純粋な彼女だ。
きっと絶望してしまうに違いない。
「時間がないな……」
チリルがつぶやく。
あの通話の調子じゃ、乗り込んできてお構いなしに連れ去る可能性もある。
守りたい、と思うようになっていた。
絹子のことだけじゃない。
会社のことも、絹子の家族のことも、花田さんやまりちゃんのことも。
「確かに、調査されるのは僕の方かもしれないな……」
心地よく感じているこの生活は、おそらく愛だった。