第7話:投資と山梨の先生を信大MPCへ

文字数 1,849文字

 そのため営業所の各担当者の夏のボーナスも過去最高を更新して、満足げであった。一方、村下が、以前、購入した、不動産株が、1999年7月、3800万円となり売った方が良いと言われ成り行き売りをし3800万円で売れ手数料と税金を引いた儲けが3000万円となった。

 まるで、キツネにつままれたように気分であり、あっけにとられた。担当者も、こんなに高くなるとは、思わなかったと、彼自身も驚いていた。これにより資産合計が8000万円を超えたので投資を終えることにした。

 山梨大学でも数人が、パソコンを使っていたが、主にマッキントッシュによる学会発表のスライドつくりが主であった。そのため吉川先生が、東京での手術の結果や薬剤の臨床治験でデータベース作成ソフトを利用した事がある程度だった。そこで、村下が、信州大学メディカルパソコンクラブの話をした。そして、毎年、夏、研修会をしている事を説明した。

 すると、吉川先生から、そんな大事な事は、もっと早く、話してよと言われた。さらに吉川先生から、実は、臨床治験で、データベースを利用したが、上手くできなくて困っていたと打ち明けられた。医局に2人、パソコンに強い先生がいるから研修会に連れて行ってと吉川先生に依頼され、村下が快く、了解し信州大学に連絡することになった。

 早速、信州大学の久光先生に連絡し、その件を伝えると大歓迎すると言われた。お盆過ぎ
8月20日から22日、諏訪で開催すると言われスケジュールを送ってもらった。そして村下と
上川先生と小清水先生の3人でMPC研修会に参加すると伝えた。やがて8月20日となり、村下のスペースギアで諏訪の会場の旅館に到着。久光先生に山梨大学の上川、小清水先生を紹介。

 四国からも3人の先生が来た。データベースⅢの臨床治験への応用の演題が、3つ出ていた。初日から上川先生も小清水先生も質問したり関連資料をもらったり積極的に研修会に参加した。
その後の懇親会で、小清水先生が、今後、信州大学でデータベースの応用についてビジョンを尋ねた。翌朝、上川、小清水先生を、「岡谷のやまびこ公園」へ連れて行った。

 そして、諏訪湖と八ヶ岳がよく見える広場に案内すると、すごい美しい景色と喜んだ。こんな素敵な所が、あるとは知らなかったと盛んに写真を撮った。昼食は、レストランでゆっくりといただいた。15時の研修会に間に合うように帰った。今晩もデータベースとマックのファイルメーカを使った臨床写真入りのデータベースという演題が、2題出ていた。

 これには、驚いた。以前、村下さんが、最初、ファイルメーカーを紹介したと言ってくれた。
画像入りデータベースを作るのは、簡単だが、大きなデータベースを作れないのとデータベースの並べ替え、抽出が、決められたコマンドだけに限られ自由度がないのが、難点と指摘した。しかし臨床写真を入れたデータベースの価値は医者にとっては非常に大きいと語った。

 つまり、どんな手術や医薬品が、どの位、効果があったか手軽に目で見てわかるのは理想的だと伝えた。きざな言い方をすると村下の蒔いた小さな種が、芽吹き始めた。いずれ、日本中の多くの病院で、きれいで大輪の花として咲き誇り多くの患者さんを助ける事になるはずだ。その後、懇親会がはじまり今年も盛り上がった。

 最後に久光先生が、今回は、この会の発起人の一人でもある、村下君が、ここに来てくれたのは、非常にうれしいと言ってくれた。とかく何でも新しいものは全て、大都会から流れてくるがパソコンのデータベースの臨床治験への利用というのは、我が信大メディカルパソコンクラブが最初だと感慨深げに話した。そして利用例も一番多いと信じている。

 今後も、地方から都会へ逆に発信していこうではないかと締めくくった。村下は、当事者としては、何かジーンと心に迫るものを感じた。本当に、ここまで、やってこれて良かったと再認識した。翌朝、面識のある先生方に、お別れの挨拶をし10時過ぎに帰路についた。帰りの車中で小清水先生が、村下さん、あんた、すごいんだね。また教えてくれと言われた。

 お昼頃、山梨大学について先生方を送り届けた。吉川先生の部屋で両先生と共に研修会の話をした。吉川先生が、びっくりして、何で、この話をもっと前にしないのと言われた。そこで、っ村下が、出しゃばるのは、あまり好きではない性分である事。ここの大学で、どの位、パソコン・データベースのニーズがあるのか調べてる暇が、なかった事などを話した。
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