第1話

文字数 1,571文字

 最近、「しくじった、惚れちゃった。」と言われ、ピザ屋の彼女になってみたい、なんて考えている。
 私なんぞは所詮、文学好きのような顔をした、ただの世間知らずなので、上記の台詞の抜粋を目にした時、それがすぐに太宰の斜陽だ、とはピンとこなかったのだけれど、それでもこの短い文に強烈に引きつけられた。(斜陽は読んだことがあるはずなのに、全く覚えていないから読んでないも同義である。)
 ピザ屋の彼女の方はと言うと、こちらもまた椎名林檎の曲は片手に収まるほどしか知らない、という筋金入りの厚顔さ。全国津々浦々のファンの皆さんには謝り続けるしかない。私のようなものが、林檎嬢の歌詞を引用して何か文章を書こう、なんざ許されまい。

 高校時代から何か小説らしきものを書き始めたが、コンクールに出すわけでもなくただ書き散らし、本当に最近、このプラットフォームを見つけて投稿を始めたのだが、その矢先、私は最初に書いた、斜陽の一台詞に再開した。
 あまりにも短く、あまりにも平易な言葉でしかないのに、あまりにも魅力的だった。
 正直、いわゆる文豪の文章は、時代背景もあり、読んでいて少々堅苦しいのが常であった。まるで現代の口語体の小説とは異なり、仮名遣いも含めてしっかりと咀嚼する必要がある文章だと。すらすら読める最近の小説には無い向き合い方だと感じていた。私はその時代の香りが漂う、そこが好きだったのだけれど。
 しかしそんな私の印象とは裏腹に、何とも純粋な刃でさっくりと私のこころは串刺しにされた。
 比べるのもおこがましいが、私には決してあれは書けない、と思ったのだ。
 宮沢賢治の銀河鉄道を読んで、あの青さと冷たさと静けさを真似ることは出来ない、と思うし、高村光太郎の智恵子抄を読んで、レモンの香りをトパアズ色の香気とは表現できないと思う。エリスが狂う過程をあんなにも痛々しく鮮明に描くことは出来ないし、恋は罪悪などとさらっと言えない。
 幼い頃から読んできた文豪たちの、文豪たる所以を、最近になってようやく実感したのである。稚拙ながら文章を書くようになって初めて分かる彼らのすさまじさ。凄味。

 それと同時に、私は最近、働かずに毎日好きな本を読むことが出来たとしても、一生そうして過ごせたところで、今世界にある、ありとあらゆる名作の類を読み切ることが出来ないのだ、ということに絶望している。
 読みたい本なんて文字通り無限にある。ここまで言及していたら斜陽を読み返したくなったし、太宰、漱石、寺田寅彦、川端康成、梶井基次郎、など名前すらもきりがない。国内の文学に限らず、マザーグースやシェイクスピアなどの超有名大作を読まずして読書好きを騙っている自分に定期的に腹が立つ。
 そして読んだ暁には、いっぱしの教養人ぶりたいがために、有名な一節はいつ何時でも引用できるようになりたいのだ。それは「いづれの御時にか」と言われて「いとやんごとなき際にはあらねど」と続けたい、「祇園精舎の鐘の声」と言われて「盛者必衰の理を表す」と続けたい、そういうことなのである。
 クジャクヤママユと聞けばエーミールに思いを馳せ、嫉妬でどうしようもなくなった時には虎になってしまう、と冗談を言いたいのだ。知っている上で機転を利かせて、気の利いた返事をしたい、という俗な願いである。
 「おい、地獄さ行くんだで。」を知っていても蟹工船を読んだことが無い私は、己の未熟さと浅ましさに肌が粟立つが、そういう一歩から始まるのだ、と一瞬後には面の皮を厚くする。

 想像していたよりはるかに徒然なるままに書き散らしてしまったが、こんなものでも不定期で更新していきたいと思う。日記が続いた例がないのは、毎日書かなくてはいけない、という縛りを課していたからであって、書きたいときに書けば良いのならある程度は続けられるだろう。
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