第2話

文字数 918文字

 仕事が人についている組織は最適な状態と言えるのか、と考える。
 大して組織運営について知識があるわけでは無いが、私は人が変わっても仕事が遂行できる状態が組織の役割上最適なのではないかと思う。例えば、病院に掛かった時、「今日は技師がいないのでこの検査が出来ません。」と言われたらいい気分はしないだろう。(一応ことわっておくと、休みを取るなと言いたいわけでは無く、適度な働き方でも回るように人を雇うなり運営方法を考えて欲しい、ということである。)
 しかし、仕事が人についている例では各種職人が挙げられるだろう。
 究極に人についている例はひょっとしたら皇族なのでは?とも思う。

 私がいなくても仕事が遂行されるように。
 一番歴が長く一番事情に精通している人がいなくとも、ある一定水準を満たした仕事ができるように、指導にあたるのが先輩の務めだと思うのだ。
 しかし、私がいなくとも平気だ、という状況を自ら作りに行く際の、先輩側のモチベーションはどこにあるのだろうか。やはり見えない部分のコミュニケーションとかいうことになるのだろうか。
 自分の存在意義、あるいはアイデンティティになるかもしれない部分を包み隠さず教えて、自分はサポートに回るのが、正しい姿だとしたら、自分が自分のためにやりたいようにできるのは初学者の間だけということになるのか?ある程度分かってきたところで、即教える側に回らなくてはいけないのは、個人の変なこだわりや妙なしきたりを生産しないという観点からは良いかもしれないが、個人としては部品のような使い方だな、と思わざるを得ない。
 結局どうしたらいいんだろうな。
 私がいることで、(直接的には何もやっていないけれど)後輩が安心してくれれば良い、と思うべきなのか。確かに自分が後輩の時は、仕事が任されるようになってからでも困ったら先輩に聞けば何とかなるという安心感があるのとないのとでは大違いであった。
 私には直属の先輩といった存在がおらず、(少し遠いけれど先輩自体はいた)先輩がいないときの不安感も、たまにその先輩が来てくれた時の安心感も両方経験している。
 後輩に老害扱いされないように気を付けながら明日からも生きていきたいと思う。
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