第4話

文字数 1,261文字

 どうも、酸っぱい葡萄と申します。
 現在が、幸せの絶頂だと思ってしまった時、人はどうしたら良いのでしょうか。
 最近はそんなことを考えています。

 例えば、私が高校生の時。自身が、青春を生きていることが、はっきりと私には分かりました。それまでの15年間に感じたことのない気持ちの高まり、幼稚な無敵さを振りかざして生きていました。
 高校生という存在が、世間で価値をもっていること、それは例えば性的な目線に限らず、のことでした。相も変わらずメディアに依って作られたイメージに過ぎないのですが、高校生というものは、年を取った人からも、幼い子供からも、羨ましく見上げられる存在だと信じて疑いませんでした。
 それは間違ってはいないのです。
 現在大学生の私にとっても、高校生活は楽しかったと懐かしく振り返るほどなのです。決して大学生活が楽しくないわけでは無いのですが、そういうものになってしまっているのです。
 大して校則が厳しい学校ではありませんでしたが、制服を毎日着て、髪を脱色するだの、身体に穴を開けるだの、化粧をするだの(やっている人もいましたが)、そういったものから距離があったあの頃が、無性に懐かしくなるのです。
 酒なんて飲まなくても何時間でもいられたフードコートに、校庭での鬼ごっこが楽しかった最後の年代。鬼ごっこは今やってもきっと楽しいでしょう、走れるかどうかはいったん置いておくことにしましょうか。
 一度でも夜通し飲み明かすという無駄な時間を知ってしまうと、知らなかった頃に戻れないのです。
 知らない頃は、知るのか、知らないままでいるのかを選ぶことができますが、知ってしまったら最後、どれだけ巧妙に知らないふりをしても全く違う存在に変わってしまうのです。経験は不可逆反応です。
 私は今、まだこの時代を生きている感覚があります。若者、と言われる範疇にいて、私の感覚は未熟ながら、世界の流れに後れをとっていると思うことは全くと言っていいほどありません。
 それは、私がある程度分別の付く年齢に足を踏み入れ始めており、また情報にアクセスする手立てを知っているからでしょう。私達の手のひらに収まる大きさの端末は、私が見たことのない、これからも実際に見ないであろう世界を包含しています。
 これが、年をとり、自分の生きてきた常識との乖離を感じるようになってきた時、私は何を思うのだろうか。自分の盛りを過ぎた感覚を、どう乗りこなせばよいのだろうか。

 これを憂いていること自体が、私自身の青臭さを証明しているようで、どんな顔をしてこれを全世界に公開すればよいのだろうか。あまりにも黒歴史を製造しているようで、それは若気の至りとでも表現できるものである。
 こんなに偏見を持つことに対して嫌悪感を抱いてるにも関わらず、私が今回書いてきた思想は、エイジズムとでも言えばいいだろうか、若さに異常に執着する社会の影響がどうしても抜けない。
 こんなに先進的な若者だという面で生きておいて、私の根幹に眠る思想はこんなものだったのです。
 全く、反吐がでる。
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