第2話

文字数 1,878文字

 春は腕を組んで、どこをどう直せば小説らしくなるのか、面白い物語になるのか頭を悩ませた。しかし、推敲すれば推敲するほど根本から変えるしか手はないように思えて、春は冬眠明けの熊のように唸った。
 限られた休日。時刻はすでに午後三時を回っている。明日からまた社畜の一週間が始まる。そんな日々から抜けだすために、小説を書きはじめたのに貴重な日曜日まで苦しんでいる。一発当てて、作家デビュー。会社員との二足の草鞋。いずれは専業作家へ移行。そんな青写真を描いていたのに。これじゃあ本末転倒だ。
「本末転倒ってどういう意味だっけ?」
「勝手に思考を読むなって言ったろ、羽室(はむろ)」
 春は別に驚きもしない。鍵のかかっていないドアをノックもせずに開けて入ってきて、挙句に自分の考えていることを言いあてられてもそれはまったくの日常だ。依光とは逆隣の住人である羽室透(とおる)は涼しい顔をしている。
 おまけに羽室は顔が整っている。本人もそれを自覚している。しかし、根っからの労働嫌いのせいで、モデルや俳優などを目指す気は微塵もないらしい。このシェアハウスおよび近所でのみ愛想や愛嬌を振りまき、お菓子をもらったり一番風呂の権利を勝ち取ることに注力している。イケメンの無駄遣いである。
「そんなことないよ。ぼくは自分の顔をきちんと有効活用してるよ」
 さらに小憎らしいイケメンは、近くにいる相手の思考回路を一瞬だけ読みとれる。ほんの切れ端、小さな舌打ちレベルの気持ちをすくいとる。そういう部分にこそ本音は漏れる。非常に厄介な特性である。
「これは面白くないね」
 図々しいイケメンは春のパソコンを覗きこみ、大変失礼なことをさらりと言う。「そうっすよねー」と寝転んで漫画を読んでいる依光も便乗する。
「すんごい現実っすもん。夢がないっすよね」
「なによりイケメンが出てないね」
「ああ~キャラも重要っすよね。なんか登場人物みんな平凡っすよ」
「頼むよ、春。一発当てて、映画化でもして、ぼくを起用して」
「働きたくないんだろっ!」
「知り合いの現場なら楽できそうじゃない」
 いけしゃあしゃあと。オーディションの段階でふるい落としてやる。「ひどいな」とすぐさまクレームが飛ぶが、春は完全無視を決めこむ。
 が、平凡な日常からの脱却を図った文章は、今やただの重荷になっていた。骨格だけやたらしっかりとした内容は、一部をちょこちょこいじったところで劇的に面白くなるはずもない。文体そのものを変えなければならない。いや、むしろ舞台を変えるべきなのかもしれない。キャラも魅力的にしなければいけない。こうなってくるといっそ、これをなかったことにして、また一から――?
「それがいいと思うよ」
「うるさいっ! 簡単に言うなっ! あと心読むなっ!」
「書きなおしたほうがいいんじゃないっすかね」
「おまえ、読めないくせに心読むなっ!」
 春はあきらめてノートパソコンの蓋を閉じた。いったん頭を切りかえねば。どうも脳が委縮している。こんな気分ではアイデアも出ない。おまけに大の男二人が、部屋の主よりもすっかりくつろいでいる。不愉快極まりない。
「ネタがないんだ、ネタがっ! フリーターと無職イケメンにはわからないだろうが、ただの会社員の日常にそうそう面白いことなんて起きてたまるかっ。あるのはストレスのみ!」
「そんなふんぞり返って言われてもね」
「だから作ればいいじゃないっすかあ」
「日常が面白くないのに、面白い話なんか書けるかっ」
「会社って面白いことないの?」
「あるもんかっ。仕事だぞ仕事」
「バイト先は面白いっすけどねえ。暇なときは、ペットボトルの蓋でオセロ作って遊んだりして」
「遊んでるんじゃねえええ」
「いいじゃない、暇なときって言ってるんだから。春はちょっと真面目すぎるんじゃない?」
 春はぐっと言葉に詰まった。真面目というのは本来は褒め言葉のはずだが、小説を書くことにおいては石頭と評されているに等しい。なににもとらわれず、他人の部屋で自由を謳歌している二人を見ていると、自分がどんどん平凡でつまらない人間に思えてくる。
 つい弱気になったところを、また読まれるかなと身構えたが、羽室は漫画に没頭しはじめたのか静かになった。依光も同様だ。春は一階にある共用のダイニングで、コーヒーブレイクをして気分転換を図ろうと決めた。ドアノブに手をかけようとした瞬間――
「ぐえっ!」
 勢いよくドアが開いて、春の額にクリーンヒットした。くつろぎモードだった二人も、悲痛な叫び声に顔を上げる。春は額を押さえながら、酔っぱらいのようにその場でよろめいた。
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