今日も、様々などじをしでかしつつも、高校の数学教師を何とか勤めあげ、帰宅したぼく・殿村雛人は、ダメな自分にため息を吐きそうになって、いけない……!! と、自身の頬をぺちっ、と叩いた。
よし、至らないところだらけだけれど、こんなぼくでもいいと言ってくれたひとがいるんだ。明日もぼくはぼくのままで、ぼくらしくがんばろう。
***
時刻は夜が始まるころ。
タオルやシャンプーが入った洗面器を腕に抱え、自宅から外へ出ると、とある女性に声をかけられた。
「あらぁ、雛人くん~」
「あっ、伊万里おばさん! こんばんはー」
花園伊万里さん。お隣に暮らす主婦さんで、ぼくのだいすきで大切なひと・りえ……花園りえのお母さんだ。高校生の子どもがいるなんて信じられないくらい若々しく、おっとりとした雰囲気のひとで、笑顔がりえとよく似ている。
おばさんは、ぼくの小脇に抱えられたお風呂道具一式に目を遣り、ちょっと不思議そうに尋ねた。
「雛人くん、これから銭湯?」
「はい、母さんが家のお風呂、空焚きして壊しちゃって……」
「あらあら~、うふふ、明乃ちゃんらしいわね~」
『明乃』っていうのは、ぼくの母さんの名前。ふたりはとても気が合うようで、よく一緒にお茶をしている。いわゆる『マブダチ』というやつなんだと思う。ふふ、何だか、ぼくとマッキーみたいだな……と、今は行きつけのバーでおしゃれなお酒を嗜んでいるであろう、優しくてかっこいい、ぼくの自慢の同僚兼親友に思いを馳せていると……。
「雛人くん?」
「あっ、すみません、ぼーっとしちゃって……!」
「そんな調子で大丈夫? 銭湯ってここからかなり遠いでしょう? 湯冷めしちゃ大変だし……。……そうだ! 雛人くん、ウチのお風呂に入っていかない!?」
伊万里おばさんは、『名案!!』というように、目を輝かせた。
ぼくはぶんぶんと必死に、空いているほうの手をからだの前で振る。
「ええっ!? いやでも悪いですし……」
「ほら、遠慮しないで!! すっごくいい香りの入浴剤があってねぇ~♡」
こうなると伊万里おばさんは止まらない。こんな華奢な腕で、どうして成人男性のぼくをここまで軽々と引っぱれるんだろう、と一抹の恐怖を感じたのも束の間、ぼくは素っ裸にされてぽーん、と、花園家のお風呂に投げいれられてしまった。
「ど、どうしてこんなことに……」
困りながらも湯船につかり、おばさんイチ押しの入浴剤に意識を向けると、お湯を白く染めているそれは、ふんわりと優しく香っていた。その甘く漂う芳香に心を奪われ、うっとりとしてしまう。
「ホントにいい匂い……」
このお風呂に、いつもりえも入っているんだな……というところに思考が行きついたぼくは、頬を赤くし、頭をぷるぷる振る。な、何、おかしなことを考えているんだ、ぼくの変態!!
冷静になろうと深呼吸しようとした瞬間、お風呂場の外で、ぼくの最愛のひとの声がした。
「ママー、お風呂入ってくるねー」
「は~い」
(えっ、りっ、りえがお風呂に!!!?? おばさん何で!? ぼくが入っているのに!!? ど、どうしよう……!?)
そうこう焦っているうちに、りえが服を脱いでいる、衣擦れのような音がする。
ぼくは頭を混乱させながらも、ひとつの結論に達した。
(幸いお湯は真っ白だし、潜ってやりすごそう……!!)
ぼくはすぅー、っと可能な限り息を吸ってから、お湯の中に、できるだけ音を立てず、身を隠した。
「♪~」
愛らしく鼻歌を歌いながら、お風呂場へ入ってきたらしきりえは、浴槽の外で、ざぱーっとからだにお湯をかけているような音をさせたかと思うと、そのまま上機嫌そうに、ぼくには気づかず、湯船に足をつけいれた。
……あの、ちょっといいかな。お湯に潜ったはいいけど……。その、あの……。
息 が 保 つ わ け な か っ た 。←アホ
苦しくてたまらず、ぷはっと湯船から勢いよく出てきたぼくに、りえは目を見開く。
「ヒ、ヒナくん!!?」
そこにはしっとりとお湯に濡れたみずみずしい肌がまぶしい、生まれたままの姿のりえがいた。まだ成熟しきっていない幼さが残っているけれど、控えめな胸の確かなふくらみや、繊細でしなやかなからだの線が、すごくきれいで。あまりのことに、頭がくらくらする。これ以上はまずい……!!
(~~~っ、か、隠さなきゃ……!!)
ぼくは反射的に、りえの胸をむにっとつかんでいた。手で直接おおってしまえば、胸が見えてしまう可能性は完全になくなるし!! 我ながら、ナイス判断!!
「ぼ、ぼく、見てないよ! 見てないから……っ!!」
「…………。……ヒナ、くん」
全身真っ赤にしながら、なおも胸をむにぃぃ、とつかみつづけるぼくに、りえはしばらく硬直していたけれど、不意に、そっとぼくの手に自分の手を重ねた。突然のことに、どきっと心臓が跳ねる。
「り、りえ……?」
「……グーとチョキとパー、どれがいい?」
……? どうしたんだろう、いきなり??
「えっと……?」
「どれ?」
そう尋ねるりえの笑顔は、すごくかわいくて見とれちゃうんだけれど、何だか、底知れない『圧』も感じるような……?
脳内に疑問符がいくつも浮かぶけれど、普段教師をしているせいか、質問されると答えなければ、という本能が働いて、素直に自分の考えをまとめはじめる。
「うーんと、チョキ、かな……? ピース(Peace)とも言うし……??」
「……そっか」
それを聞いたりえは、右手をスッとチョキの形にしたかと思うと……、
「チョキの目潰し!!!」
「あうち!!!!??」
ヒナくんのえっち!! という怒号とともに、音速でぼくの目を突き、浴室には、ぼくの絶叫が響きわたった。
ちなみにグーは裏拳全身連打で、パーは平手打ち150往復だったらしい。女の子って強い……。
***
「おばさん!!」
「ママ!!」
からだを拭くのもそこそこに、お風呂場のそばで聞き耳を立てていた伊万里おばさんへ、同時に抗議の声をあげるぼくとりえ。
「うふふ、ゴメンね~。私、若者をラヴ☆ハプニング♡に陥れるのが、三度のご飯よりだいすきなの~♡♡」
伊万里おばさんは、そんなぼくたちを全く悪びれない様子で見つめ、心底幸せそうにハァハァするのだった。
☆☆おわり☆☆