【りえ視点】ヒナくんと私

文字数 2,979文字

 私は、いつも(かわ)いている。

 ヒナくんのこと、よく『ダメ』なんて言ってしまうけれど。

 ヒナくんなしでは私が『ダメ』になること、自分自身がだれよりもよく()っている――。



✿✿✿✿✿



 秋も深まり、外はきっと、この引きずった(そで)がなければ指先が冷えて痛くなってしまうであろう頃合(ころあ)い。

 適度(てきど)暖房(だんぼう)()いた保健室で、お友だちの(あや)ちゃんと私は、牧先生の好意(こうい)(あま)え、()み物を教えてもらっていた。出してもらった紅茶は飲みおえて、そっと小脇(こわき)()けてある。


「えっへへ、野田センセー、喜んでくれるかなぁ~」

 そううきうきと話しながら、編み棒を動かすのは英ちゃんだ。英ちゃんは生物学的には男の子で、性自認(せいじにん)も男の子ではあるけれど、今日も女の子の制服を可憐(かれん)に着こなしている。

「野田先生、来年には定年なんだよね」

 私が相槌代(あいづちが)わりにそう返すと、英ちゃんは前のめりになって(ひとみ)(かがや)かせた。

「うへへぇ♡あの()具合(ぐあい)……(やわ)らかな物腰(ものごし)……垣間(かいま)見える(しぶ)み!! もぉたまんないよねぇ♡りえは殿村センセーに編んでるんでしょ? てゆーかその(せつ)はゴメンね! 年上好きオーラを察知(さっち)したからさぁ、ついすきなひと探っちゃった★」


 そう、以前、英ちゃんには()かれたことがある。『ウチの学校の先生で憧れているひとはいるか』と。なんとなく防衛本能が働いて『人間として』憧れている牧先生の名前を()げさせてもらってしまったっけ。


 結局、彼女は『私にとって害となる人間ではない』。そんな風に判断したあとは、すっかり意気投合(いきとうごう)し、気軽(きがる)にお話ができるようになった。


「英ちゃん、そこ、ひと()飛ばしているかな?」

 そのとき、紅茶のおかわりを用意してくれながら、柔らかい声音(こわね)で牧先生は語りかけた。

「わわー、ホント!? ありがとです、牧センセー!」


 牧志臣(まきしおみ)先生。保健の先生で、ヒナくんの一番のお友だちだ。もちろん、ヒナくんにとって大切なひとは、私にとっても(うやま)うべきひと。

 何気(なにげ)なく目が合って、私はにこり、と無難(ぶなん)微笑(ほほえ)んだ。


「りえちゃん、相変わらず袖で手を隠したままなのに器用(きよう)だねぇ」

 私の前にそっと紅茶を置いてくれた牧先生に、私は改めて会釈(えしゃく)をして返す。

「うっかり、やりすぎちゃいますから(・・・・・・・・・・・)

「――……」


 牧先生がぱちぱち、と、その端正(たんせい)な形をした目を(しばたた)かせたとき。英ちゃんがアッ!! と、大きな声をあげた。

「やっだー、今日、『(ぼん)おじ和気藹々(わきあいあい)チャンネル』の生配信だった! (みそぎ)しなきゃいけないから帰るね!!」

 華奢(きゃしゃ)なデザインの時計を確認しながら(あわ)てて立ちあがる英ちゃん。『盆おじ和気藹々チャンネル』っていうのは、数人の壮年(そうねん)なおじさまたちが、盆栽(ぼんさい)についてきゃっきゃと語りあう動画チャンネルの名前らしい(そしてそれが正式名称らしい)。

 英ちゃんは、その前にお風呂に入って身を清めてからじゃないと観られないくらい、(あが)(たてまつ)っているんだって。


 “まあ本命は野田センセーだけどー!!”と叫びながらもぱたぱた楽しそうに()ってゆく英ちゃんに手を()りながら、私と牧先生は、改めて顔を見合わす。


「……少し、休憩(きゅうけい)しようか?」

 やわらかく目を細めて、牧先生は言った。



✿✿✿✿✿



「りえちゃんの長袖の理由(わけ)、ずっと気になってたんだよね。()いてもいい?」

 ちらり、と私の引きずる袖を見て、先生はさらっと(たず)ねる。

「ふふ、単刀直入(たんとうちょくにゅう)なかたは嫌いじゃないです」

 私はセーターに(つつ)まれた手指を口もとに当て、上品に笑う。


「リスト・ウェイトってご存知(ぞんじ)です?」

「ああ、手首に()(おも)りのことだよね?」

「それと同じです。――(かせ)みたいなもの。杭が打たれないための(・・・・・・・・・・)

「……そっか」

 さすが、牧先生は察してくれて。少しの間、私たちは静かに紅茶を飲みすすめる。


 私は(うなが)されるままに、聞いてもあまり愉快(ゆかい)ではないであろう自分の身の上を語りはじめた。



✿✿✿✿✿



 ――出る(くい)は打たれる、とは確かな(ことわざ)だな、と身を持って知るには、当時の私はあまりにも(おさな)すぎた。


 自慢(じまん)でもなんでもなく、不得意なことが、私にはなかった(・・・・・・・)のだ。


 幼稚園のころには(すで)に『なんでもできすぎてこわい』、『化けものみたい』なんて同い年の子から言葉を()びせられ、小学生になって始まった授業は、本当に不安なくらい簡単に感じられてしまったほど。


 よく、わからない。なんだか、ずっと足りない。

 乾く。乾く。こころが、()せてゆく。


 そんなときだった。ヒナくんが隣に引っ越してきたのは。


 彼は、よく泣いて、よく笑うひと。

 そして、とてもがんばり屋さんで。


 ――私にはないものを、全て持っていた。


 満たしてゆく。ヒナくんといると、満たされる。

 優しい気持ちが、あふれてくるの。



 “りえはすごいね。とってもかっこいい!”って(てら)いなしに()めてくれる。

 私に投げつけられたひどい言葉に、一緒に泣いてくれた。


 この袖のヒントをくれたのも、そんなときのヒナくんだった。

 “ぼくはりえの全部が丸ごとだいすきだけど……。このすごい手がずっと隠れていたら、りえの悲しい気持ちが減ったりするのかなぁ……?”と。彼は目に、大粒(おおつぶ)の涙をためながら、そう言ったのだ。


 それからずっと、この長袖スタイルを(つらぬ)いている。

 この袖が、ヒナくんのひらめきが、私のことを守ってくれている。

 お(かげ)(すべ)てが、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)だ。


 だから。



✿✿✿✿✿



「ヒナくんって、『おひさま』みたいなひとですよね」

「うん?」


 突然(とつぜん)の言葉に、目をぱちくりさせながらも、牧先生は首肯(しゅこう)する。


「いろいろな、『ひかり』に()えている者が(ほっ)するっていうか」

「……」


 私はにっこり、極上(ごくじょう)の笑みを浮かべ、言う。

「私、よくばりなので。(ひと)()め、してしまうかもです」

「――うまく、ゆくといいよね?」


 牧先生は、表情だけは優しく微笑(ほほえ)んでいたけれど、その声はほんの少しだけいつもより、温度が低めに感じられた。



 私たち(恋敵同士)の静かな応酬(おうしゅう)なんてつゆしらず、ヒナくんは顧問(こもん)をしているプログラミング部で、部員さんたちとのんびりお茶でもしているんだろうな。




【了】

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登場人物紹介

殿村 雛人(とのむら ひなと)


 アホでピュアでドジな高校教師。あだ名は『ヒナ』。


 黙っていればキレイな顔立ちをしているのに、しゃべりはじめるととにかくヘタレで、周囲のひとびとは生温かい目で見守らずにはいられなくなる。


 幼馴染であるりえがだいすきで、そんな彼女をいつも笑顔にしたいと思っている。

花園 りえ(はなぞの りえ)


 ヒナの幼馴染で、世話焼きな女子高生。ヒナが勤務する高校に通っている。


 いつも長い袖をひきずっているが、その割にはヒナのネクタイ結びなど、こまごまとした作業をササッとこなす器用な少女。

牧 志臣(まき しおみ)


 絶世の美形で、ヒナの親友。ヒナと同じ高校で保健医をしている。あだ名は『マッキー』。


 セクシーでイケメンすぎる上、とにかく優しいので、学校には彼の熱狂的なファンクラブが存在するらしい。


 料理・洗濯・裁縫となんでもこなすオトナな男。

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