「お風呂、さっぱりしたね、マッキー!」
「すっかり直ってよかったねー。明乃さん、今度は何ヶ月、空焚き我慢できるかなー」
「いやマッキー、母さん別に常日頃、浴槽壊したくてうずうずしているワケじゃないよ!!?」
連休中に、親友のマッキーこと牧志臣が、ぼく・殿村雛人の家に泊まってくれるようになって久しい。
最初マッキーは、『家族団らんに水を差しちゃ悪いから』と固辞していたのだけれど、ぼくと母さんが『マッキーがいたほうが楽しい!!』って半ば強引に、殿村家へ引っぱりこんだんだ。
彼にとっては、とても困ってしまうお願いだったのかもしれないけれど、ぼくたちは、マッキーが『ひとり』でいることが、すごく哀しくて……心配だったから。
母さんも一緒になって、みんなでわいわいしながらご飯を作って(ぼくが包丁を持つと、なぜか途端に、刃物は手からばーん! って飛んで、四方を荒くれロケットみたいに乱舞しだすから、ぼくはサラダのレタスをちぎったりくらいしかさせてもらえないのだけれど……本当になんでだろう??)。
ご飯をいただいたあと、少し休んでからマッキーとお風呂。洗いっこして、湯船でまったりしながら男の子トークに花を咲かせるから、いつも少しだけのぼせちゃう。
『マッキーは髪が長いから、洗ったあと乾かすの、大変でしょ?』、『んーん、今はすっごい吸水性のいいタオルがあってねー』なんて遣り取りしつつ、パジャマに着替えたぼくたちは、ふたりでひとつのシングルベッドにもぐりこむ。
「マッキー、ごめんね。ベッド、せまいでしょ……。いい加減、買い替えなきゃなんだけれど、本を買うとお給料がぱーって飛んじゃって……」
「んーん。オレがお邪魔しちゃってるんだから、謝んないといけないのはこっち。それに『施設』では、床で雑魚寝が当たり前だったから、ふかふかベッドはすごくありがたいよ?」
「……っ! ごめん、なさい」
……マッキーは、『施設』……児童福祉施設で育ったって、出会ってしばらくしてから話してくれた。
そして、そこはあんまり……手厚い場所ではなかったらしくて。
からだに直接だったり、精神的な暴力も、頻繁にあったらしい。
マッキーは――本人は、気づいていないかもだけれど――たまに、心にぽっかりと昏い穴が空いてしまっているような……寂しそうな瞳をしているときがある。
ぼくはそれに気づくと、きゅうっと胸が締めつけられたようになって、苦しくなるんだ。マッキーのほうが、ずっとずっと、つらい思いをしてきたのに。
マッキーは、しゅんとしたぼくのおでこをつん、と優しく小突いて、ふわっと笑った。
「オレは、自分の運命に感謝してるよ? 保健医になったのも、オレみたいにしんどかった誰かの痛みを癒やしたいと思ったからだし、それにほら。高校に勤めたお陰で……ヒナに、逢えたしね」
「……っ、マっ、マッギぃイィ~~……っ!!」
「ほらほら、強い子は泣かないのー。よーしよし♪」
「ぼくもっ、マッキーと出逢えてよかったよおぉ!」
マッキーに抱きつくと、ふっと、嗅覚が甘やかな香りをキャッチして、ぼくは、彼の首筋に顔を寄せる。
「ん……?? くん……」
「わ、くすぐったいよヒナー」
「だって。マッキー、ぼくと同じシャンプー使っているハズなのに、なんだかぼくには欠片も感じられない、甘い匂いもするっていうか……。これがフェロモンってやつなのかな、うう~、ぼくも色気ほしい……!」
「えー? どうしたー、藪から棒に?」
「えと、あ、あの。……マッキーって、恋愛というか、色っぽいことの経験豊富……、なんだよね?」
ベッドの中で、もじもじとしはじめたぼくに、マッキーはその意図を探るように、目を細める。
「……ほんとに、どうしたの?」
「……ぼく、この前、りえとキ……、キス……したって話、したでしょ?」
「ああ、キレたりえちゃんにお粥ねじこまれたってやつ? 初めてで舌入って、粘着質なお粥も絡むねちゃねちゃなプレイはハードル高かったよねー」
「やー!! 生々しく言わないでマッキーのヴァカー!!!」
「はー、かわいいなぁ♪」
真っ赤になって絶叫するぼくに、マッキーは片手をごめんねの形にするけれど。その発言も表情も、絶対悪いって思っていない……!
「うぅー……!」
キッ!! と、ぼくにとっては精一杯の鋭い目で威嚇すると、マッキーはちょっと眉を下げつつも、楽しそうに、続きをうながした。
「ふふ、ほんとにゴメンって。で? そのキスがどうしたの?」
「あっ、えと、そうだった……! あのね……」
ぼくは、頭の中のぐちゃぐちゃになっている感情を上手にならべようと努めながら、言葉をつむぐ。
「……りえにとっては、雛鳥に強制食餌する母鳥くらいの気持ちだったのかもしれないけれど。……あれから、りえのくちびるを見る度、ヘンに意識しちゃって。ああ、このかわいいくちびるに、もっともっと触れたいな、とか……。ぼ、ぼくってヘンタイなのかな。だから……、マッキーの場合は、どうなのかなって。誰かとのキスを思い出して、おかしな気持ちになったりする……?」
マッキーは、きょとん、とした顔をしていたけれど、視線を上にあげて、思案しているような素振りを見せたあと、軽い感じで答えた。
「んー、オレは……なんだかんだ、キスはしたことないんだよね」
「えっ……、えええぇえっ!?」
「いや驚きすぎでしょ」
「だ、だってマッキー……いろんなひとと寝たことあるって……」
「口以外だけでも充分、イかせられるし☆まず相手の下半身に手を」
「言わなくていいよ!!?!」
「あはは。まあ、いつも『キスしたい』って言われても、のらりくらりとかわすかなー」
「……なんで?」
「なんかさ、自分を求めてるひとに気持ちよくなってもらうのはすきなんだけど。……くちびるだけは、ほんとに愛してるひとだけに許したいんだ」
マッキーは、天井をぼんやり眺めながらそう言うと、ぼくを見て、少し申しわけなさそうに、微笑んだ。
「……参考にならなくて、ゴメンね?」
「……ううん。マッキーの考えかた、すごく素敵だと思う! やっぱりマッキーは、ぼくのあこがれのひとだよ!!」
「……ヒナ」
次の瞬間。ぼくの頬に、ちゅっ、と柔らかくて、少し湿った感触がした。
「……え」
「さ、もう寝な。明日は一緒に、りえちゃんの誕生日プレゼント、買いにいくんでしょ?」
頭をぽんぽん、となでてくれて、ぼくのからだを引き寄せるマッキー。
「う、うん……? あ、あの、アドバイスよろしくお願いします、マッキー恋愛マイスター先生!!」
「はは、なにそれ。お役に立てるよう善処してしんぜよう、なんてね。おやすみー」
いい匂いがするマッキーの胸に顔をうずめたけれど、ぼくの頭には疑問符がぴよぴよと飛び交う。
……今の、マッキーのくちびる、だったよね? でもマッキー、キスは、だいすきなひととしかしたくないって……??
……いやでも……。うん、マッキーはオトナな男だもんね。ほっぺにキスだったら、マッキー的には『そういう』意図に全然入らないのかも。うわわ、マッキー、オトナすぎる!! ぼくも見習おう!!
***
十分後。
ぼくは生来寝つきがいいから、すっかり寝入ってしまって、
「ふふ、ヒナかわい。……叶わない、恋だよなぁ」
と、マッキーがぼくを抱きしめながら、切なそうにつぶやいたことなんて、気がつきもしなかったんだ。
【終】